鉄門回廊

第19話 鉄門回廊


〈ダレト、神殿にて〉


 飛竜騎士団のフェルネスがシャヘルに先の魔獣討伐の報告を行っている。義務以外の何物ではないというフェルネスの態度は、敬意を払われるべき神殿長の器不足によるものだろう。

 セトはフェルネスを優しい騎士だと思っているようだが、とんでもない。魔獣であれ、盗賊であれ一度でも戦う姿を見れば分かる。恐らくこのクルケアンで一番好戦的で、なおかつ容赦がないのはこの男なのだ。


「魔獣は城壁を飛び越え貧民街へ侵入、クルケアン北壁にとりつきましたが、このバルアダンが見事討伐しました。住民の被害はありません」

「ご苦労であった。して騎士団の取り分の屍骸はどうした」

「いつものようにサラ導師により石化しました。すでに上層部へ運んでおります」

「サラ導師はご壮健であったかの。何しろご高齢ゆえ、ほれ、体調がすぐれぬとか、足腰が弱ったとか……」

「いえ、むしろ隠居なさる前よりも元気であらせられます」

「そうか、報告は受けた。任務に戻るがよい」

「お互いに残念ではありますが、次の評議会についてもう二つほど報告がございます」


 フェルネスが渋面の神殿長に報告をしている間、俺はバルアダンとセトについて話していた。


「バル、セトはすごいんですよ。四百年前の本を読むだけでなく、分析をしていたんです」

「分析を? どういうことなんです、ダレト」

「ええ、四百年前の英雄オシールとシャマールの時代の物語なんですが、面白い仮説を立てまして、オシールが北東のあたりに何か狙っていたのではないかということです。納得できる根拠もあり、また空白の歴史を調べるのは印の祝福にも繋がるので調べてみようかと」

「北東部といえばモレクの門辺りか。しかし魔獣の襲撃もあったばかりだ。セトを危険な場所に行かせたくないな」

「僕にとってもセトは大事な教え子ですからね。なので先に調査に行って長老に話を聞いておこうかと。バルも一緒に来ませんか?」

「……もちろんだよ、ダレト」


 そう言ってバルアダンはフェルネスに許可を求める。


「シャヘル様、フェルネス隊長、念のためこちらの神官殿と今回の襲撃があった場所を見回りに行きたいのですが、よろしいでしょうか」


 シャヘルは尊大に、フェルネスは笑って手を振りながら許可をする。


「苦労性だな、バルアダン。よかろう、ベリア団長には見回りに行ったといっておく。……ダレト神官といったな、先にベリア団長が言った件、あれは本心だ。いつでも騎士館の門を叩いてくれ」

「僕の力を過大評価しないでください。こうして貴方と話しているだけで体が震えているのです」

「そんな男が魔獣が出るかもしれん場所に行くものかよ」


 フェルネスが手に持っていた兜を俺に向かって放り投げる。兜によって正面の視界が遮られ、わずかに見える下方には踏み込んだ足先が見えた。とっさに権能杖を振り上げて首筋に迫る殺気を振り払おうとする。兜が床に落ちる音と鈍い金属の音が響き、目の前には鞘付きの剣と雪豹のような眼があった。数瞬の後、フェルネスは剣で権能杖を押し出すように反動をつけ、笑いながら距離を取る。バルアダンがため息をついて上官に苦言をする。


「隊長、鞘付きのままとはいえ、あまり試すようなことは……」

「いざという時、足手まといになれば困るのは俺の部下だからな。実力を見させてもらった。それにお前も黙って見ていただろう?」


 ……これだから軍人は嫌いなのだ。神官のような心底を何重に隠している奴らと渡り合っている身としては、奴らの単純さによる行動を読み切れない。


「フェルネス、貴様、神殿で無礼を働くか!」

「シャヘル様。剣を抜いていないのに無礼とは心外です。それにこの件でこの神官が我が騎士の腕を折ったことは不問にしましょう」

「何、そのような報告は聞いておらぬ。どういうことだ」


 長い話は苦手だ。もしかすると後で余計面倒なことになるかもしれないが、ここはあの婆さんの名を出すとしよう。


「サラ導師が御存じです。よろしければあとでお訪ねください」

「……ええい、もうよいわ。現場に行くなら回廊からモレク門を通った方が早いであろう。通行を許可する故、さっさと行ってこい」

「了解しました。神殿長」


 慇懃に、そして無関心に俺は頭を下げた。

 神殿はクルケアン内部の空洞にあり、五十層の高さにわたってその偉容を誇る。百層の大廊下の底が、神殿のある大空洞の天井となるのだ。暗い穴の中で、大神殿のみが魔道具によって淡く輝いている。神秘的だと市民は言うが、俺にしてみればまるで死の国の宮殿のようで気味が悪い。その死の国の回廊をあのバルアダンと共に歩いていくのだから気分が落ち着くものではない。せめて共通の話題をと思えば、必然セトのことになる。


「このモレク門からラシャプ門への回廊は数人の神官しか使えないんです。セトが聞いたら僕もと残念がったでしょうね」

「気をつけた方がいいな。このことが知れたらあの子はきっと回廊に忍び込むぞ」

「その場合、怒られるのはバルなのでしょうね」

「いや、それは君の責任だろうに」


 俺たちは哄笑する。まったくセトに関してはこいつと馬が合う。恐らくバルアダンはこれまでのセトの冒険の数々の責任をとらされたのだろう。……次は俺の番か、という予感と覚悟もまた楽しいものだ。だが束の間の談笑は、凍り付くような空気で霧散してしまった。魔道具の灯が途切れ、長い暗闇の中に入ったのだ。

 角灯ランプを出して前方を照らすと回廊の途中で大きな扉が壁にあるのに気付いた。恐らく歴代教皇の廟堂に続く扉なのだろうが、鉄格子で封鎖された牢屋を想起させる。事実、大きな鎖で何重にも封鎖されているのだ。そして扉の赤黒い色は錆だろうか、それとももっとおぞましい何かだろうか。


「魔獣の匂い……?」

「馬鹿な、大神殿の内部だぞ、そんなわけがあるか。大方昨日の魔獣の匂いが甲冑に残っているのではないか?」

「そうかもな。それにしても、ダレトもそんな怖い言葉遣いをするんだな」

「……動転したんだよ。怖がりな僕をあまりいじめないでおくれ」


 そう言い終える寸前、バルアダンの目が大きく見開いた。俺を突き飛ばし、抜刀して斬りかかる。


「なにを、バルアダン!」

「動くな、ダレト!」


 バルアダンは切っ先を俺の脇下に突き入れ、後ろにいた何かを貫いたのだ。振り返ると角灯ランプの炎に照らし出された男達の顔が、八人ほど闇に浮かぶように見て取れた。しかも光が反射しているということは剣を持っているのだろう。そして匂いだ。この甘く、それでいて不愉快な匂いは何だろう。魔獣の血の匂いにも似ているし、人工的な香料のようでもある。


「これが神殿の歓迎なのかな、ダレト」

「……僕も襲われているんだけどね」

「冗談さ。さて八人か、私と君で半分ずつでどうかな」

「バル、僕はか弱い神官だよ。君が五人で僕が三人だ」


 俺の返事にバルアダンは笑って剣を構えた。俺は権能杖を握りしめ、バルアダンと背中合わせになり囲んだ男達と対峙する。


「お前達の目的はなんだ、飛竜騎士団のバルアダンと知ってのことか?」

「……こいつら、理性がないぞ。恐らく薬物で指令だけ実行するよう仕込まれている」

「よく知っているじゃないか」

「本による知識さ、ザババの実を食べると暗示にかかりやすくなる。だが……」


 男達は涎を垂らしながら剣を振り下ろす。力強くはあるが、狙いが定まっていない。それに力任せに振り下ろし、壁に当たって手首が折れても気にもしないのだ。ザババの実と自分で言いながら、心中では否定する。これは幻覚成分の実や草を摂取したのではない。もっとたちの悪い何かだ。


「暗示どころではない、こいつら何か仕込まれているぞ」

「そうかもな、これで、三人!」


 バルアダンは次々と剣の平で殴り倒していく、騎士見習いとはいえ、武の祝福持ちのバルアダンに力が強いだけの人間が勝てるわけがない。俺も権能杖を使って、二人を地に伏せた。


「流石だ、ダレト」

「必死だよ、早く残りの三人を!」

「割り当てが一人増えているぞ」


 ……結局バルアダンによって残りの男達は叩き伏せられ、回廊に気を失ってのびている。封鎖された回廊とはいえ神殿の敷地内で起きた襲撃に、神を呪いつつ周辺の様子を探る。


「お二人とも無事だったのですね」


 突然、熱を感じない声が目の前から聞こえて来た。角灯ランプを向けると蛇のように玲瓏な女が闇から浮き出てくる。


「身構えないで下さい。神官のアサグです」

「あなたがこの男達をけしかけたのか?」

「いいえ、バルアダン殿。ラシャプ門を出た辺りは貧民街。そこでザババの実の中毒患者が増えているとのことで、心配してお二人を追って来たのですよ」

「……いつ、私達を追い抜いた」

「これは気付きませんでした。暗いため、急いだ私がつい追い抜いたようですね。中毒者にも気づかれないとは、運が良いのか。いや、神のご加護でしょう」

「門が閉まっていれば中毒患者が入ってくるはずはないと思いますが?」


 俺はアサグに嫌味をいった。最近、この女の機関に所属したとはいえ、信用されておらず重要な仕事は任されていない。せいぜいセトの報告を神殿長よりも先にせよ、と命じられたくらいだ。だが、間違いなくこの女はクルケアンの暗部に関わっている。


「これはしたり、かんぬきがかかっていようがいまいが、門とは開くものでしょう。閉じるのみで開かないものは壁というのです」


 こちらの皮肉を意に介さず、アサグは淡々と語る。元老のトゥグラトの最側近でもあり、明らかに他の神官とは違う。視点が違うと言えばいいのだろうか。人が蟲を見るように全てを見下しているのだ。


「二人は役目があるとシャヘルから聞きました。この者共の捕縛は私がしておきましょう」


 上位のはずのシャヘルを呼び捨てると、アサグは権能杖を床に一突きする。暗闇の中から何かが蠢いて、まるで何かが飲み込んだように男達の姿が消えた。そして通り過ぎざまにアサグは俺に耳もとで冷たい声で囁いたのだ。


「好き勝手動くのは相変わらずですね。そんな貴方に猊下が会いたがっていましたよ。帰還次第、教皇の執務室へ来るように」

「……光栄です、必ず伺いましょう」


 息苦しさを我慢しながらラシャプ門を出る。着いた先は北壁と城壁の間にある薄汚れた貧民街だ。だが闇から抜け出た俺達にはそこが天の国であるかのように思えた。

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