第18話 ダレトとニーナ

〈ダレト、図書館にて〉


「おはよう、セト」


 先日の騒動から一夜明けて、俺は神学校の図書館でセトに声をかけた。

 図書館とは名ばかりのこの廃屋は、かつては神官のために教義や、儀式の作法を学ぶための施設だった。そしてここで文献や原書を書き写す場所でもある。史料には恵まれた場所だが、やはり欲しいのは神殿が禁書指定したものだ。もしくは数百年前に禁書を逃れた本がこのクルケアンのどこかにあるのだろう。


「ダレトさん、魔獣に関する本を読んでもいい?」

「クルケアンの本ではなく、魔獣かい? 君にしては、いや普通の男の子ならそうかもな」


 バルアダンが先日、魔獣を仕留めたことは神殿でも話題になっている。セトも少なからず影響を受けたようだ。見習いの騎士が大型の魔獣を一瞬で二体も倒した、との報にシャヘルが苦い顔で受け止めていた。


「飛竜騎士団めが、若い英雄の出現、いや英雄を作りだすことで増長しなければよいが」


 クルケアンを統治する評議会の議員は、貴族、神殿、ギルドの長、そして軍によって構成されている。その中で特に対立しているのが神殿と軍だ。神殿は教義により都市の拡大を目指しており、時には信仰を理由に協力・奉仕を民に強制するほどだ。魔力が強いと判明した下層民を神殿で飼い殺しにしたり、アサグのように高位の神官の機関に所属させ良からぬことをしたりと、目的のためなら手段を選ばない。

 対して飛竜騎士団は市民の生活を重視する。クルケアンの守護者として都市拡大に民の力を浪費するより、魔獣討伐に力を注ぐべきだとし、魔獣の発生場所とされる北方の黒き大地への調査を要求している。だが神殿はなぜか北方の調査を許さず、ここに両組織の対立は評議会においての舌戦となるのだ。


「シャヘル神殿長、なぜ黒き大地への調査を神殿は拒否するのか! 魔獣に襲われてから駆け付けるのでは後手に過ぎる。神殿は市民の死に責任を感じないのか!」

「べリア騎士団長、あそこはイルモート神が民を救うために魔人と戦った場所といわれておる。人が軽々に手を出してよいものではない。この数百年、神の御力で黒き大地が抑えられているとすれば、何かのはずみで魔獣や魔人が蘇ったのならばどう責任を取られる」

「だから調査だといっておる。軍の指揮の下、最少人数の騎士で騎行するのみ!」


 噂に聞く評議会の堂々巡りの議論は、経済を優先するギルドと自分の権力さえ守られればそれでいい貴族たちの日和見によって結論がでない。

 そこで評議会を指導する二人の元老、教皇のトゥグラトと、シャムガル将軍の妥協によって、いつも現状維持と決定される。まったくもってくだらない。

 だが、魔獣か……。神に反抗した者の怨念が瘴気となり魔獣が生まれるとされているが、魔獣の真実が分かれば神の存在も分かるのだろうか。


「お、魔獣から歴史を調べるか。五番目の棚にあるはずだが、なにせ昔の本は大きい。僕と運ぶのを手伝ってくれ」


 俺とセトは本を書見台にかけて調べ始める。三十年前に製本の職人たちがカデシュの祝福というギルドを結成して印刷された本が出回るようになった。しかし、それ以前の本は筆で記したものしかなく、大型の本にならざるを得ない。


「ダレトさん、この古代語の文字の意味は?」

「それは、人の名前だね、古代語といってもすこし変化しているだけで大体同じだ。これはオシールと読めてね……」


 俺は本が好きだし、教えるのも好きだ。いや好きだった。しかし、セトにあれこれと教えている中、目的は別として純粋に楽しんでいる自分がいることに気づく。


 オシールと彼の弟シャマール

 神よ彼らの勲しに祝福を与えたまえ


 これは四百年前の記録だ。その頃の英雄であるオシールとシャマール兄弟の武勲を讃える出だしに始まり、飛竜に騎乗して兄弟が魔獣を討伐していくくだりが叙事詩的に記されている。ある程度有名な話ではあるが、原書に近い内容を知ることはセトの勉強にもつながるだろうと一緒に読み解いていく。セトが本の要点を落ちていた古い石板に書いていくのだが、面白いことに昔のクルケアンの都市を読み取って、兄弟が戦った場所を記しているのだ。


「ダレトさん、北壁の記述はあっても、大階段の記述はないんだね」

「そうだ、恐らくこの兄弟の後に大階段の建設が始まったとされている」

「でも北壁の記述があるということは、北東側から攻められていたのをオシール達が撃退したということかな」

「今と変わらない状況なんだろうさ」

「でも黒き大地の記述がないんだ。それに戦った場所が……ええと、ティムガの草原って読むのかな、河に沿ったあたりの平原で行われたって」


 そしてセトは子供らしいというか、想像力豊かというか、突拍子もないことを話し始めた。


「これって、人同士が戦っていたりして。だって明らかに草原を奪い合うように真ん中の河の周囲で戦っているよ。獣は河を滅多なことでは渡らないしね」

「クルケアンの外敵の存在か、面白いがでもまだ根拠が薄いな」

「バル兄が魔獣をやっつけるところ見て思ったんだけど、北壁は魔獣を相手にするには高すぎるよね」

「それこそ人の相手でも高すぎるだろう。守るのに北壁が必要な相手なんているのかい」

「空飛ぶ魔獣?」


 セトの無邪気な言葉に、俺もセトも大笑いする。そんな魔獣がいるものか、まったくセトもまだまだ子供だ。そんな飛竜のような……。はっと思い直してセトと顔を見合わせる。飛竜が自由に動き回れるのは百層までの高さだ。百九十層の騎士館を棲み処としているのは見敵と高さを活かしての突撃のためで、地上から帰還するときはただゆっくりと上昇していくのだ。蛮族が飛竜を率いてクルケアンと戦争をしていたのだろうか。ティムガの草原で敗北し、魔獣を繰り出し北壁に拠って防戦するクルケアン……。となれば飛竜を御するオシールは味方ではなく敵だったのではないのか。


「そのオシール何だけど、北壁ではいつも北東で戦っているんだ」


 大階段がないということは当時のクルケアンは大神殿の北東だけ城壁を作っていたのだろう。だが敵が飛竜を擁していた場合、迂回して西側から攻めることもできたはずだ。市民の大半が住んでいる西側には被害を出したくなかったのだろうか、敵対しているのに奇妙な話だ。市民の味方でクルケアンの敵、いや神殿の敵ということなのか。だが彼が味方であれ敵であれ、セトが示した石板には、オシールはいつも城壁の北東でその戦いを終えている。この場所に何かあるということか。


「この辺りの長老様とか、何か言い伝えを知っていないかなぁ」


 この区画はクルケアン内部につくられた大神殿への出入り口の一つである、モレク門がある辺りだ。神殿の地下は大回廊となっており、太古の神の名を記した門が配置されている。瘴気や毒を示すモレク神の名前を付けているのは、人に神への畏れを忘れないようにするためだともいわれている。そこからやや南の疫病の神ラシャプの名を冠した門といい、市民にはあまり歓迎されていない名前でもあった。モレク門からラシャプ門にかけては歴代教皇の廟堂があり、教皇の威厳を保つために高位の神官以外は立ち入り禁止区域となっていた。偶然にしては出来すぎている。ここに何かあるのか、それともないのか。だが、見る価値はありそうだ。


「面白いな、明後日辺り行ってみるかい」

「……その日はギルドの依頼でしなきゃいけないことがあるので、別の日じゃだめですか?」

「いいとも。ただ治安が悪い区域なので、僕が先に様子を見てくるよ。長老の人とかのあたりはつけておこう」

「やったぁ、クルケアンの東側にいけるんだ!」

「じゃあ、今日もまた、権能杖に魔力を流して終わろうか」

「昨日寝ながら試してみたんだけど、魔力に語りかける感じで操作するとやりやすかったんだ、見ていて」


 ……魔力に語りかけるとは変なことをいう。己の魂の大きさであり、質であるはずの魔力に意思があるはずがない。それこそ魔力を与えたのが神で、神に祈れば力を貸してくれるのであればまだ理解できるのだが。そしてセトが権能杖に魔力を流し終わる。ただしこちらの指示で杖が壊れない程度にだ。

 別れ際、今日はサラ導師と百層の大廊下に行くんだ、と嬉しそうに走り去るセトの後ろ姿を見送る。瞬間、なくなった妹の後ろ姿と重なった。



「お兄ちゃん、お花を摘みに行ってくる」

「ニーナ、気を付けていってくるんだぞ」


 十年前、妹は元気で外縁部の公園を走り回っていた。

 両親は亡くなったとはいえ、神殿の善意を受けて何とか兄妹で楽しく過ごすことができた。だが五年前から強い魔力が体を蝕む魔障の症状が現れ、寝台で過ごす時間が多くなっていった。


 俺は多くの本を妹に読み聞かせたものだ。まだ見ぬ世界や物語に目を輝かせる妹を見て不安から逃げていたのかもしれない。そして助からないまでに病状が進んだ頃、神殿から使いが来たのだ。


「魔障は周囲にも影響を与えます。神殿でできるだけの治療はしましょう」


 もしかしたら助かるかもしれない、藁にも縋る思いでその神官に縋った。


「いや、神殿に行きたくない、行くのならお兄ちゃんと一緒に!」

「ニーナ、少しだけ待ってくれ。春になれば訓練生として神学校に行く。そうしたら大神殿で一緒に暮らすこともできるんだ」

「お兄ちゃんは先生になりたいんじゃなかったの。……このあたりの子によく歌とか神様の話とか楽しそうに教えていたのに」

「神官をしながら導師になればいいんだ。もしかしたら、ニーナの先生になっているかもしれないぞ」

「そうね……そうなったら、きっと嬉しいな」


 神殿で待っていてくれとの言葉に、ただ笑って応えた妹は、思えば死を覚悟していたのだろう。でも誰よりも優しく、誰よりも神様を信じていた妹は、神殿で死んだ。魔障により遺体も引き取れず、死に顔も見せてくれず、死を悼む神官の声だけがむなしく響く。生きる気力もなく、惰性で訓練生となった俺は、ある時、神殿の噂を聞いたのだ。神殿が魔力を持った子供を実験に供していると。


 神が人に魔力を与えたのなら、妹を殺したのは神ではないのか。神殿が妹を引き取ったのは利用するためだったのか。そして俺の復讐が始まった。あのアサグ機関を志願したのも、暗部に迫れると思ったからだ。


 だが、セトと過ごしていて胸が小さく痛む。先生の真似事をしてセトと接していることが、昔の夢の時間を持てていることが、とても苦しい。妹の死の先で自分が救われて何になるというのだろうか。


 胸の痛みを抑えて、報告のために神殿に向かう。

 そこには先日、魔獣討伐をした飛竜騎士団隊長のフェルネスとバルアダンが神殿長への報告に来ていた。


「やぁ、バル」

「昨日ぶりだね、ダレト」


 相変わらずの笑顔を浮かべているこの男も兄か。果たしてこの男は弟を守り切れるだろうか。俺のような愚かな兄になるのなら、そこまでの男だ。そう考えながら、俺は笑顔でバルアダンに話しかけた。

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