第17話 師と弟子と

〈セト、学び舎に向かう〉


 エルの奴め。何が目に涙をためて、あなたしかいないの、だ。

 エルが目を伏せてしゃべっているときは誤魔化している時だ。

 ……でも口を尖らせていなかったので嘘ではない。

 そこに免じて僕も百層への下見を頑張ってみるか。

 

 祝福の日の少し前、僕はエルのお父さんのメシェクさんに忠告をもらっていたのだ。恐らくそれがなければエルの涙に騙されていたかもしれない。何でも若い頃のメシェクさんは女性に大変にもてたそうなんだけど、奥さんとなったツェルアさんと出会ってからは彼女の御機嫌を取るのに大変な苦労をしたとのことだった。だから女性の扱いには気を付けるんだよと人生の先輩として教えてくれたのだ。


「いいか、セト。君も十五歳になったんだ。そろそろ女には気をつける年頃だ」

「何に気を付ければいいんでしょう?」


 あの時はメシェクさんと帰り道に一緒となり、そのまま屋台で食べ物を奢ってもらって頬張りながら歩いていた。何故か頬が叩かれたように赤いメシェクさんを不思議に思っていたのだが。


「訓練生ともなれば多くの女の子と知り合うだろう? その時に間違った対応をすれば後々面倒なんだ」

「女の子……。比較がエルしかいないんですけど、世の中の女の子はみんな頬を抓ったりするんですか?」

「うーん、うちの娘は特別だからなぁ。例えばだ、私の女房のツェルアはな、何かお願いするたびに目を伏せて声を震わすんだ。そういう時の女には逆らっちゃダメだ」

「エルが声を震わすなんて!」

「……君、女の子はエルしか見ていないんだね。でもそういう時に男は黙って受け入れる方がいい。……あとで睨まれたり恨み言を言われるよりはね」

「あ、もしかしてツェルアさんと喧嘩しました?」

「……最近、家に帰るとね、顔は笑っているのに目は刺すように出迎えてくれるんだ。セトはこうなってはいけないよ」


 メシェクさん、僕はあなたの教えを守りましたよ。


 さて、サラ導師にどう切り出そうかと学び舎に向けて歩いていると、通りの人がざわついている。何かあったのかと聞くと、何でも神官と騎士団の集団が路上で鉢合わせをしたらしい。


「坊や、通りの端に寄った方がいいぞ。なにせ騎士団長のベリア様とトゥグラト教皇の最側近のアサグ神官だからな。お二人とも怖いお方だ、近寄らない方がいい」

「神殿と騎士様ならクルケアンを守る偉い人でしょう? 怖がる必要があるのですか」

「神殿と軍は対立をしていているんだ。ほら、軍が主張している北伐を神殿は反対し続けているからねぇ」


 街の人々は窓を閉めたり、背を向けたりしているなか、恐らく僕だけが好奇心で事態を観察していた。よく見れば神官の一群にダレトさんが見える。張り詰めた雰囲気なのに、こちらに気付いて片目を瞑るあたり、意外と神経が太い人なのかもしれない。先頭にいる人がアサグ神官だと思うのだけど、変だな、男性の名前なのに綺麗な女の人なのだ。そのアサグ神官はベリア団長を恐れる様子もなく近づいていく。団長は義足なのだろうか、足鎧が奇妙にきしむ音を立てながらこちらもアサグ神官へ向かっていった。


「これはベリア殿、このような下層でお会いできるとは」

「最近魔獣がよく出現していてな、討伐してもすぐにその死骸を横取りする輩がいるので見回っているのだ」

「神の復活が近いのです。クルケアンがもうすぐ天に届くこの時、魔獣の力を都市に注がねばなりません。ご理解いただいているはずでは?」

「理解することと納得することは別だ」

「クルケアン最強の騎士に理解していただいただけで十分です。猊下も喜んでくれましょう。……では失礼します」

「待て、後ろにいる神官はダレトとかいったな。騎士館での騒動は面白かったぞ。どうだ、飛竜騎士団に来ないか? バルアダンと組ませれば面白そうだ」


 神殿と飛竜騎士団の対立を楽しんでいたように見えたダレトさんだけど、アサグ神官の蛇のような目を受けて慌てて背筋を伸ばした。


「ダレト神官、勝手に飛竜騎士団の館にいくなど何を考えているのです」

「それには事情がありまして。そう、神殿長の依頼で……」

「ダレト神官。貴方は末席とはいえ、私の機関に属しているのですよ。シャヘルの依頼を受けるのは構いませんが、私を通してからにしてもらいましょうか」

「いえ、これはこちらに所属する前からの任務でして……」


 任務と聞いて、アサグ神官だけでなくベリア団長も悪い意味での興味を持ったようだ。余計なことを口走ったダレトさんはしまった、という風に空を仰ぐ。


「ほう、何の任務です」

「面白い、その任務とやらに騎士団が関係するのか。私も興味があるぞ」

「任務というほど大層なものでは……訓練生の導師として、そこのセト君の様子を同居しているバルアダン殿に聞きにいっただけです」


 あれ、いきなり僕が当事者になってしまった。

 魔獣の檻に放り込まれたかのような状況に、僕は抗議の意味を込めてダレトさんに視線を向ける。ダレトさんが不器用に口を動かしているのは、恐らく謝っているのだろう。ベリア団長が部下を一瞥すると、強そうな騎士が僕に迫ってきた。

 

「まいったなぁ、とてもかないそうにないや」


 僕は面倒事を避けるために逃走を決意する。

 ふふん、クルケアンでの追いかけっこなら僕が一番強いのだ。……エルを除けば、だけど。


「……逃げるが勝ちってね!」


 息を思いっきり吸って駆けだそうとした時、首根っこを掴まれて足が宙を泳ぐ。


「これ、逃げようとするな! ややこしくなるだけではないか、愚か者」

「ええっ! サ、サラ導師!」


 何てこった。クルケアンで一番怖い大人がこの場に来てしまった。

 怖い子供の代表であるエルがいないことがせめてもの幸いなのかもしれない。


「ベリアにアサグよ、往来の真ん中で騒ぐでない。帰るべき場所に帰れ」

「こちらは騎士の腕を折られておる。関係者に事情を聞くくらいは良いではないか」

「このダレトは私の部下になったのです。事情はしっかりと確認せねば」

「お主ら、不服なら後で私の隠居部屋に来い。事情はシャヘルから聞いておる故、ゆっくりと話してやる。それともこのクルケアンの前元老を信じられぬか」


 ただし、酒を持ってこい、とサラ導師がいうとベリア様とアサグ様は眉を寄せて丁重に断った。


「こちらの非礼もあり、今回は不問にするとしよう。それにサラ導師とだけは飲むなとラメド殿やフェルネスから言われておるのでな」

「神官の身ゆえ、酒宴は遠慮いたしましょう」

「なら疾くと去ね。あぁ、アサグよ、往来を騒がした迷惑料としてそこのダレトを借り受けるぞ」

「……魔力の制御もできぬ、はみ出し者の神官でよければご自由に」


 やがて嵐は去っていった。ぽつんと残ったダレトさんと僕、そしてサラ導師だけが通りに残る。安心したのもつかの間、サラ導師が僕達の頭に拳骨を食らわせた。


「馬鹿弟子共が、目立ってどうするのだ!」


 サラ導師が僕達を引きずって学び舎に放り込む。そして罰として埃だらけのこの部屋を今日中にきれいにするように命令したのだ。掃除をしながらさっきのやり取りを思い出し、少しだけ恨みがましくダレトさんに問いかける。


「これはダレトさんが騎士の腕を折ったせい?」

「いや、バルアダン殿に会った時、柄の悪い騎士に囲まれてね」

「もしかして、それでばったばったと打ち倒していったとか!」

「……投げられたときに無我夢中で掴んだらそれが騎士の腕でね。偶然さ」

「なぁんだ、実はダレトさんが強いのかもと思ったのに」


 権能杖でさっそうと魔獣に向かっていくダレトさんを想像した僕の空想は一瞬で崩れた。それでも、もう二つほど気になったことがあった。あの二人をして引き下がらせるサラ導師の立場と、サラ導師が馬鹿弟子共、といった件についてだ。


「サラ導師は評議会よりも偉い、元老(ナギ)だったんだ。実質のクルケアンの支配者の一人さ。でも今は引退して、今は元老は二人だけだ」

「強くて、口うるさくて、元気なだけのお婆ちゃんじゃなかったんだ!」

「し、静かに! ああいう年寄りが耳だけはいいんだ。どこで聞いているか分からない」

「……で、ダレトさんもサラ導師の弟子なの?」

「五年も前の事だよ。妹が死んで自暴自棄になってね、その時叱りつけてくれた人がサラ導師だったんだ。一年ほどお世話になったというか、余計なことも考える暇もないくらいにしごかれたというか」


 雰囲気が少し重くなり、しばらく黙って掃除を行う。何しろ十年ぶりの掃除だ。机や椅子はもちろんのこと、本棚、倉庫など徹底的にきれいにしていった。日が傾きだしたころ、ようやく人が生活できるくらいになった。サラ導師に報告するため、上層の私室へと向かう。


「二人ともご苦労だった。これで前の持ち主も喜ぶだろう。せめてもの慰労だ、茶と菓子をお食べ」

「……」


 突然の好意に、僕達はなぜか警戒をしてしまう。


「どうした、口うるさくて耳だけはいい年寄りのもてなしはいらんと言うのか。悲しいのう」


 僕達は目を伏せるサラ導師の姿に戦慄し、一口で菓子を頬張り、二口で茶を飲み干した。 


「では菓子の代価として様子を聞こうか。ダレトがセトの教導係になったのは聞いておるが、何を教えておる?」

「教えるというより、印の祝福についての文献調査を一緒に行うつもりです。後は失われた百年、特に王の時代の歴史を発掘しようかと」

「発掘と言ったな、だがそれは神殿の暗部に関わることだ。命を落とす危険に子供を巻き込むでない」

「……もちろん安全な外縁部をです。中央の大神殿には近づきません。クルケアンの最古の外壁内部にはまだ未発見の部屋があると聞きますので、その辺りですよ」


 サラ導師は疑うような目でダレトさんを見て、大神殿には手を出すなと改めて厳命する。

 そして僕の方を見て嬉しい提案をしてくれた。


「クルケアンの歴史か……よろしい、明日の午後だがな、百層に行ってみないか」

「は、はい! 行ってみたいです!」

「クルケアンを知るにあたり、そこで講義をしてやる。俯瞰した見方をせねば都市も歴史も見えてはこないのでな」


 合法的に百層に行ける機会を得て僕は小躍りする。そしてダレトさんも当然と言う態でサラ導師に同行することを告げたのだ。


「なら教導係として僕もついていきましょう」

「お主は神官としてするべき業務もあろう。役目を超えてみだりに動くでない」

「ご自分は気ままに動かれるくせに……もしや、神殿に何か隠し事でも?」

「あぁ、神殿にも、お前にも隠していることは山ほどある」

「神殿はともかく弟子くらいは信じてくれてもいいでしょうに」

「そんな言葉は師を信じてから言うべきだ。ふん、口調が変わっても性格は変わらぬな」

「何を言うのです。僕は何も……」

「下手な芝居はよせ。僕なぞといい子ぶるでないわ」


 サラ導師が鷹のような眼でダレトさんを睨む。そして絞り出すような低い声でこう言った。


「道を踏み外すなよ。私はお前を見ているぞ、ダレト」

「……忠告、感謝します」


 気まずい空気のままサラ導師の部屋を出ると、ダレトさんは今日の騒動のことを僕に謝った。

 でも冒険みたいで面白かったよと返事をすると、安心したかのように笑ってくれた。

 その笑いは、サラ導師が言ったような芝居じみたものではない。

 安心した僕は少しだけ突っ込んだ質問をする。


「ねぇ、ダレトさん、何でサラ導師は最後にああ言ったのかな」

「……まだ僕が頼りないってこと。仕事をさぼらずに修業しなさいって叱ってくれたんだよ」

「何だ、そういうことか。二人が怖い顔をするから、仲が悪いんじゃないかって心配しちゃった」

「ははは、仲良くはないかなぁ。サラ導師も結局はお堅い神殿出身だしね」

「もう、ダレトさんも神殿に所属しているじゃない――」


 僕は笑いながらもう一度ダレトさんの顔を覗き見る。

 口元は笑っていて、さらに視線を上げれば――。 


 そこに黒い瞳があった。

 僕を見ながら僕を見ていない、

 巨大な穴のような怖い目を。

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