第16話 車輪のギルド
〈エルシャ、外縁部の広場にて〉
「……他の訓練生が街のあちこちで観測を始めたわ」
みんなと昼食を食べながら、わたしは結成したばかりのアスタルトの家が出遅れたことを悔しがる。でも相棒のセトは食べることに夢中で事態をよく分かっていない様子だ。意見を求めてじっと顔を見つめると、セトは何か勘違いしたようで、最後の串焼きを素早く掴み取って、口にくわえ羊肉を飲み込んだ。
わたしが串焼きを奪い取るとでも思ったのだろうか、失礼な奴め。
喉に詰まらせ、苦しむセトを冷たい目でしばらく見守っていると、トゥイが水筒をそっと差し出していた。わたしと違ってさすがの気配りである。
「今回の依頼は訓練生のほとんどが参加しているみたいよ。エルの心配も分かるけど、これは大人達が出した宿題みたいなものじゃないかしら」
「宿題?」
「ええ、仲間を集めること、いい観測地点を探すために広い街を歩き回ること。つまりは多くの知己を作り、クルケアンを知っておけ、というところじゃない?」
そう言えば街の人達は訓練生によく声をかけていた。北西の公会堂の屋上は星が見えやすいとか、小神殿の鐘塔に登ろうとするのならこの神官にお願いするといいとか……。訓練生をわざと動かして、色々な人に会わせようとしているのだ。何てことだ、依頼とは
「……面白くない」
「エル?」
「子供扱いされて面白くない! こうなったら大人も含めて市民をあっと言わせましょう!」
アスタルトの家は新しいクルケアンを作るのだ。この依頼を見事に果たして目立ち、ちやほやされたい……もとい、信頼を勝ち取りたいのだ。わたしが思うに、それには二つの事が必要だ。一つは依頼を完璧にこなすこと、もう一つは依頼以上のことを達成することだ。むせていたセトがようやく平静を取り戻し、クルケアンを指し示して言う。
「ほら、あそこがいいんじゃない? 他の訓練生も行けないし、一番正確に観測もできる」
セトの言葉に、観測においては一番有能なエラムが難しい顔をした。
「セト、クルケアンの中央部では観測できないよ。そりゃ外縁部の他に中央部に近い場所での観測は必要だけどさ」
「なんで中央部そのものではだめなの?」
「だって、中央部は各層の天井があるだろう。まぁ、吹き抜けとなっている百層の大廊下なら別だけど」
「だから、その百層だよ」
みんなは一斉にセトの保護者であるわたしに顔を向けた。百層には大廊下といわれる吹き抜けの層があって、そこに二本の塔が支え合うようにして中層と上層を構成している。確かにそこで観測をすれば精度も高まるだろう。でも百層以上には許可された者か、貴族しか立ち入りを許されてはいないのだ。ガドが常識知らずのセトを注意しろと言わんばかりに目で訴える。
「……ガド、セトも百層に行ってはいけないと知っているよ」
「知っているなら何で提案するんだよ」
「セトは行ったから」
「へ?」
「セトは外壁をよじ登って百二十層まで行ったことがあるの! 経験者なのよ」
「そ、それで大丈夫だったのか? 俺は叔母さんにだけは怒られたくないんだが」
「……経験者、答えて」
「区長からたった十日間の煙突掃除で許してくれたよ。今度ばれてもきっと同じくらいさ」
「知ってたか? 二回目は初犯より罰が重くなるんだぞ」
「でもねぇ、百層から見る景色はすっごいきれいなんだ。前は昼間だったけど、夜空もきっとすっごいことになっているはずだよ」
興奮して語彙力がなくなったセトはすごい、すごいとしか言わなくなる。みんなは煙突掃除を二十日(ガドはタファト先生の説教付き)もする未来図が頭に浮かぶのか、肩を落として諦め顔をしている。仕方ない、ここはわたしが助け舟を出すとしよう。どちらの助けかというと、もちろん……。
「行きましょう、百層へ!」
「えぇ、エルも賛成なの? てっきりセトを止めてくれるかと思ってたわ」
「トゥイ、物語が好きなら、星が降るような夜空を見たいでしょう?」
「それはまぁ……」
わたしは瞬時に攻略相手を順序付ける。まずはトゥイだ。知っている限りの恋物語を挙げて、その中の星にまつわる話、特にお姫様が騎士を思って星に願いをかける場面を熱く語る。思った通り、次第にトゥイの瞳に熱が宿ってきた。その隣でエラムが諦めたかのように手で目を覆う。
どう、エラム? 恋人であるトゥイの願いは断れないわよね。
さて、これで敵はガド一人だ。
「ガド、叔母さんに怒られたくないのは、心配かけたくないということよね」
「当たり前だろ、親代わりでもあるんだぞ」
「安心させてあげればいいのよ。星祭でアスタルトの家が一番になれば、きっと嬉しがると思うわ」
「そ、そうか?」
「それに、わたしも怖いの。強いガドがいれば安心して百層に行けると思うんだ」
隣でセトが呆れたように目を細めている。詐欺師と小声で呟いたことは後で後悔させることにする。やがてガドも頷いたところで方針は決まった。決行は三日後、星祭りと同じ満月の夜だ。
「じゃぁ、エラムは
「まぁ、訓練用のなら持ち帰りはできるが、何で二本なんだ?」
「高いところには鷹の巣があるらしいので用心するのと、槍に縄を結んで梯子にしようと思うの。わたしとトゥイは高いところをよじ登れないかもしれないから」
「え、エルはきっと大丈夫だよ? よく一緒に木登りしてるじゃん」
「余計な事をいう悪い口はこれね!」
少しだけみんなに待ってもらって、わたしはセトに一番重要な任務を与えた。
「セトは百層の下見をして、みんなが安全に外壁から上がれる道順を調べておくこと! サラ導師にお願いすれば百層くらいすぐに行けるでしょう?」
「……僕が一番難しい課題じゃないか! 確かにサラ導師なら上層まで行けるだろうけど、後で忍び込むから連れて行ってくださいとは言えないよ」
クルケアンのことになれば諸突猛進するはずのセトがサラ導師のことを考え、気弱になっている。よほど怖い人らしい。セトによれば兵学校のラメド校長や、飛竜騎士団のフェルネスさんが頭を下げていたというし、仕方ないのかもしれない。でも、セトらしくないのだ。それに幼馴染よりサラ導師に気を使うのが許せない。しかし怒るばかりが人を動かす方法でもないし、時には持ち上げることも必要だろうと言い方を変えて説得を試みる。
えーと、ツェルア母さんが言っていたのは、目を思いっきり瞑って涙で瞳を潤わせて、少し目を伏せ、手は口元に寄せて……だったかな。
「セト、頼れる人はあなたしかいないの。あなたとわたしにできた、新しい友人たちと成果を出したいの。だからお願い……」
さぁ、セト、成長したわたしの魅力の前にひれ伏すがいい。
いつまでも子供だと思わないことね。
「……分かった」
お、ふむふむ。意外と……。
こうもあっさりと受け入れてくれるとは思わなかった。嬉しい反面、騙したようで申し訳なくも思う。セトと二人して黙っていると、エラムが現実的な、そして急ぎの案件を話し出す。そもそもアスタルトの家はまだ依頼を受けていないのだ。交渉役のわたしが行くことになり、みんなと別れて車輪のギルドの出張所へと駆け出した。
「すみません、訓練生のエルシャといいます。掲示されていた星祭りの依頼を受けたいのですが」
事務員だろうか、店の奥から車輪のギルドの紋章をつけた老人が現れた。
「仲間はちゃんと集めているね。それが最低条件だ」
「はい、最高の仲間と出会えました!」
「おぉ、それは良かったの。訓練生は三年間だが、友情はその後も続くものだ」
「お爺ちゃんもそうだったんですか?」
「そうだよ、堅物の軍人に、悪戯好きの行商人。それに怖い導師様。今でも時々昔話をしているさ」
「……みんなばらばらの性格なんですね」
「それがいいんだ。同じ性格だったら世の中面白くない。そうだろう、悪戯好きのエルシャ?」
「わたしを知っているんですか!」
「自覚を持った方がいいな、君は自分が考えるよりも有名人だ。やっと現れた水の祝福者だからというわけではないぞ? セト君と共にクルケアンを駆け回っていた事を市民はみんな知っている」
わたしは顔を赤らめた。幼いときは何も感じなかったが、十五歳となって昔の腕白ぶりと悪戯を持ち出されれば恥じ入るしかない。でもなぜこのお爺ちゃんは水の祝福のことを知っているのだろう。家族と、アスタルトの家、イグアル導師と神殿しか知らないことなのに。
「さて、仕事の話をしようか。依頼は星祭りの日、十五層の大広場からクルケアンの最上層に向かって
「報告すべき項目を教えていただけますか」
「全てだ。観測が正しいのはもちろんとして、それに至るすべての課程・手段・方法を我々は評価する。無論、答えを大人に聞いてはならない。それに口頭試問を行うので不正は出来ないと思いたまえ」
わたしは頷き、契約書に署名した。
「よし、契約は交わされた。車輪のギルドの名の下に」
「アスタルトの家の名の下に!」
アスタルトの家としていよいよ動き出したのだと、わたしは契約書を宝物のように抱きしめる。そして午後の学び舎に遅刻しそうなことに気付き、慌てて走り出したのだ。
〈ヒルキヤ、車輪のギルドの奥の部屋にて〉
エルシャが車輪のギルドを去った後、外用から戻ってきた事務長のソディが老人に向かって苦言を呈していた。
「ヒルキヤ様、御身は我々が匿っているのですぞ。恐縮ですが、日が高いうちは表に出ないようお願いします」
「すまないな、少し若い者に興味をもってね」
「工房のギデオン様からの伝言です。
「あいつのことだ、自慢したいのだろう」
「……あの方の抑えは我々ではできません。どうか工房へとおいでください」
「苦労を掛けるな。しかしあれは危険すぎないか?」
「魔獣の大型化が進み、飛竜騎士団ではともかく、ただの兵士では敵いませぬ。どうかご理解ください」
ヒルキヤは深くため息をついてソディの怜悧な目を見つめた。俊英が集まる車輪のギルドにあってもこの男の才能は群を抜いている。車輪のギルドは都市建設を担い、神殿の指示の下、都市を高く積み上げてきた。中層部にある工房には資材が高く積まれ、大塔によって最上層まで運ばれて一日、一日とクルケアンは高くなっていく。そのほとんどの業務を事務長であるソディが差配しているのだ。だがそれは表向きであり、裏の仕事としては下層の隠し工房で魔獣殺しの武器を開発しているのである。
「神殿が魔獣の研究を進め、その力を人に与えようとしているとの情報です。我らの敵は魔獣だけではございません」
「こちらは神を倒すために武器を作り、神殿は人を殺すために魔人を作るとは、まるで世界の終わりのようだ」
「……私達が愚かなのでしょうか?」
「いや、神殿も含めて愚かなのだよ」
「では愚者同士の殺し合いですな。……引き返すなら今ですぞ」
「若い者達はまだ愚かではない。大人だけで殺し合い、せめて未来の希望だけでも彼らに残そうではないか」
ヒルキヤは友人であるギデオンの顔を思い浮かべる。
あの悪友は身を潜めた自分のために孫のバルアダンの様子をよく教えてくれた。そして彼の孫であるセトとその相棒であるエルシャのことも。ギデオンが彼らについて嬉しそうに語る気持ちも分かる。先ほどのエルシャの未来を信じきった笑顔を見ればどんな老人も奮起するだろう。そして何かを残してやりたいと思うのだ。
「子供に託すための戦いか」
老人はそう呟き、隠し通路から工房に向かっていった。
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