第15話 仮面をつけた男②
〈バルアダン、食堂にて魔獣討伐を振り返る〉
セトとエルが夕食をかき込むように食べていく。いつもは自分達の冒険談に夢中となり、料理が冷めると両親に小言を言われている二人がいったいどうしたことだろう。わずかにセトより早く平らげたエルが得意げに鼻を鳴らす。そしてセトが悔しがるのを横目に食器を片付け、戻ってくると開口一番にこう言ったのだ。
「さ、バル兄、魔獣をやっつけたお話、じっくり聞かせて頂戴!」
「……私はまだ食事中だよ」
「エル、ずっるい! 僕はまだ食べ終えてないのに!」
「セトは魔獣を見たんでしょう? だから今はわたしに優先権があるの」
セトとエルの口喧嘩をなだめている間に、気付けば他の家族も食事を終えていた。さて、子供の影響を親が受けたのか、それとも逆か。しかしこのまま少数派では肩身が狭い。急いで残った料理を胃に流し込むと咳払いをして話し始めた。
……あれは私の武勲ではない。今思えば隊長は私にとどめを刺させる気だったのだ。
あの時、私は訓練のため本来一人乗りの飛竜にフェルネス隊長と二人で騎乗していた。飛び上がってすぐに警鐘が鳴り、一番近くにいた私達が魔獣のもとへと急行する。しかし甲冑を着た騎士二人では飛竜の動きも鈍くなり、機敏な魔獣を相手にするのは困難だった。
「バルアダン、お前を下ろす時間がない。俺が竜を御するからお前が攻撃だ。降下しながらの一撃に全てを賭けるとしよう」
フェルネス隊長は事も無げにそう指示をするが、もし攻撃を外せば飛竜は態勢を立て直せず、その隙をついて魔獣が襲い掛かってくるのだ。
「突撃の勢いを稼いでやる。少し高度を上げるぞ」
飛竜が上昇し、クルケアン北側の百層あたりで浮いたような感覚となる。落下へ転じるわずかな時間に北方の黒き大地が視界に入った。
「あれが黒き大地、魔獣の巣か……」
「あぁ、どれだけの魔獣がいるのだろうな」
気のせいだろうか? 隊長の声は少し寂し気に聞こえたのだ。でも隊長はそれ以上は何も言わず、手綱を引いて直下の魔獣に向けて急降下を始める。
「バルアダン! 私が体を捻ればそこに魔獣がいると思え。槍は一本、機会は一回だ、やれるな?」
「了解!」
荒れ狂う
「バルアダン、今だ!」
隊長の声に合わせて槍を投げ放つ。竜の速度を乗せた槍は魔獣の背に突き刺さり、そのまま腹を破って城壁を穿った。瞬時に絶命した魔獣を見て、思わず安堵の息をつく。だが隊長の叫ぶ声で振り返ると、恐ろしい爪を振り上げたもう一体の魔獣が私の目の前にいたのだ。
剣を抜こうとするが、虚を突かれたことでわずかに出遅れる。そして魔獣が私の顔を引き裂こうとした瞬間、首に掛けていたフクロウの彫り物が、ふっと魔獣と私の間に浮かんだのだ。魔獣はほんの一瞬だけ動きを止め、その赤い目をフクロウに向けた。そして怒りの咆哮と共に私をフクロウごと噛み砕こうとする。
「させるものか!」
隙を逃さず剣を魔獣の胸を突き入れるが、態勢が悪く心臓まで届かない。飛竜の鞍上で魔獣を押し倒し、そのまま最下層の廃屋へ向けて飛び降りた。
鈍い音が聞こえたのは落下の衝撃で魔獣の首の骨が折れたのだろう。それでも立ち上がる魔獣に対し距離を取った時、子供の泣き声が聞こえたのだ。誰もいないと思って落下した廃屋には貧民街の子供達が住んでいたらしい。
魔獣が傾いた頭をゆっくりと子供達に向けて涎を垂らす。そして魔獣の目から赤い光が発せられ、子供達の怯える顔を染め上げていった。
恐らく私は叫んでいたのだろう。
やや曖昧な記憶なのは魔獣と自分の叫び声が重なったためだ。
私は体ごとぶつかるように魔獣の腕を切断し、
身をよじり、横薙ぎに剣を払って魔獣の首を跳ね飛ばした。
子供達を安全な場所に連れて行こうとすると、隊長が飛竜と共に降りてきた。
「人の三倍もある魔獣の首を刎ねるとは、やるじゃないか、バルアダン」
「……いえ、子供達を危険にさらしてしまいました」
「戦場だ、そういうこともある。兵学校の生徒に血止めの薬を持ってこさせるからそこで待っておけ」
「この魔獣はいかがしましょうか」
「魔獣を奪われる前に竜で三十五層まで運ぶとするさ。遺骸の処理の仕方を見せるので後で来るといい」
「魔獣を奪われる?」
「上の魔獣は神殿が回収した。奴らめ、安全となればしゃしゃり出てくる。どうせ良からぬことに使っているのだろうよ」
隊長が飛び去った後を追うように、ふと北壁を見上げると物見の詰所に子供がいるのが見えた。目を凝らすとそれがセトだと分かる。自分の武勲を見てくれたか、と叫びそうになる気持ちを必死に抑え、頭を下げて深く呼吸をする。増長こそ見習いの騎士が戒めるべきものであるからだ。
そしてもう一度上を見上げた時、私は見たのだ。
赤く光る眼で見下ろしているセトの姿を。
私の祖父は赤光を発するものを匿い、神殿により追放刑になった。
まさかセトがその関係者なのだろうか。
クルケアンに災いをもたらすとされる赤光の……。
兜を外し、自分の顔を思いっきり殴る。
……落ち着いたかバルアダン。
お前は弟を疑うのか、家族を疑うのか。
まずは知ることだ。そして守ることだ。
そうだ、神殿に知られてしまえば、セトは研究の対象になりかねない。
魔獣の遺骸をも利用する神殿だ、命の保証もないだろう。
神殿? 神殿……。
「そうか、それで神学校か! おのれ、神殿長め。……いや、まだ確証はないはずだ」
確証があればすでに連行されているはずだった。それとも泳がせて印の祝福の発動を待つつもりだろうか。連想が連想を呼び、やがてセトを監視する一人の人物が形を成す。
「……神官ダレト、あいつがセトの監視役ということか」
「ん? 騎士様、セトがどうしたんですか?」
明るい子供の声に私は冷静さを取り戻し、振り向くわずかな時間で笑顔を作る。
「君は誰だい?」
「俺は兵学校のガドといいます。セトとは今日、友人となったんですよ」
「私はバルアダン、セトの兄みたいなものだ。君が薬を持ってきてくれたのかい?」
私とガドはすぐに打ち解けた。訓練生として初日にも関わらずセトとエルは元気よくやっているようだ。聞けば車輪のギルドの依頼にもう手を出しているという。良い仲間を得て有頂天となっているのだろう。
「俺は外門の衛士になりたいんです。そしてバルアダンさんのように強くなりたい」
衛士は地味ではあるが生活に欠かせない重要な仕事だ。だが子供心に惹かれるものがあるとは思えない。そんな私の表情を読み取ったのか、ガドがぽつりぽつりと身の上を語った。
「十年前、外門を出たところで家族が魔獣に殺されました。怖かったのかはっきりとした記憶がないんです。気づけば僕と叔母さんだけが助かって、周りの人が遺体をかき集めて葬式をしてくれたことは覚えています。俺は強くなってクルケアンの外も守っていきたい。誰かが街道で襲われてもすぐに助けに行きたいんです」
何と強い子だろうか。それに比べて自分は何と弱いのだろう。私は自分の手の届く範囲で精一杯だというのに……。
「……バル兄、バル兄! どうしたのよ、黙っちゃって」
「そうだよ、二体目の魔獣をどうやって倒したか教えてよ!」
ふと我に返ると、エルとセトが不満気に私を見つめていた。
どうも話しながらいつの間にか考え込んでいたらしい。
まったく、真実を告げられればどんなに楽だろう。
そうか、だから祖父は一人で罪を背負ったのだ。
「夢中だったからね、覚えてないんだよ」
「もう、次は必ず覚えておくのよ!」
「今度はそっちの話を聞きたいな。訓練生の初日だというのにギルドの依頼を受けると聞いたけど?」
「先んずれば人を制す、でしょ。大丈夫、わたしがみんなを支えるから」
「さすがはエルだ。騎士の私も負けないように頑張るとしよう」
……先んずれば人を制すか。その通りだよ、エル。
神殿よ、私から家族を奪うようであれば容赦はしない。
ダレトとかいう奴も、油断させるために偽りの友情を以って接しよう。
奴らより一歩先を、そして多くの情報を。
弟妹達のためなら心に仮面をかぶることなぞ容易いことだ。
暖炉の火が、あの時のセトの目のように赤々と光り、揺らめいている。
私はその光から目を背けるように目を瞑った。
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