第14話 クルケアンの賢者
〈セト、賢者サラの学び舎にて〉
訓練初日の昼過ぎ、僕は三十三層のサラ導師の学び舎に向かった。エルが向かったイグアル導師の学び舎とはちょうど反対で、北東側の外縁部に接したところだ。
「レシュ家のセトです。神殿の紹介でクルケアンの都市建設について学びに来ました」
……返事がない。学び舎らしき家はカビ臭く、家具も乱雑に置かれている。まるで長年にわたって放置されていたかのようだ。家を間違ったのか、それとも奥に誰かいるのだろうか。不安な気持ちを抑えながらさらに奥へ進む。建物の裏口を抜けると、
そこからはクルケアンの北の風景が広がっていた。遥か北方にある黒き大地といわれる場所は四百年程前に魔人と神の戦いによってできたものらしい。赤黒い沼は魔物の瘴気によって汚染され、これより北に人の国はないとされている。クルケアンは黒き大地から南の豊穣な土地を守るためにそびえ立っているのだと区の長老は話してくれたものだ。
クルケアンの北壁は巨人の盾のように屹立し、強い風を防ぐためにわずか五イル(約三メートル)程度の幅の通路があるだけだ。南側からクルケアンを見れば天へと続く荘厳な階段に見えるが、北側から見れば人を拒絶するかのような巨大な塔なのだ。見るものもなく、ため息をついて戻ろうとしたとき、
「大きな声を出すな、小僧。さっさとそこの梯子を上って来い」
振り返れば、
「私がサラだ。お前は何をしに来たのかね」
「神殿の紹介で、クルケアンの都市建設を学びに来ました」
「ほう、お前がセトか。よかろう、シャヘルから聞いておる。この三年は私のもとでこのクルケアンの都市設計を手伝ってもらう」
神殿長を呼び捨てにしたサラ導師は七十歳くらいの女性で、声は老齢ながら凛とし、聞いていて小気味よい。姿勢もまっすぐだ。威圧的ではないが、威厳がある。この人が飛竜騎士団を率いて魔物を討伐するとかっこいいな、と思うお婆ちゃんだった。
「ありがとうございます。……あのう、なぜ三十三層の学び舎は廃墟なのでしょうか」
「あの学び舎か。あれは元工房でな、知人にあの部屋を使わせてから十年は過ぎたか。手入れをしていないのは、私にとっても良い思い出での場所ではないのだよ。だが、せっかくおぬしが来たのだから、代わりに部屋の管理を任せよう。掃除をすれば、まぁ、何とか使えるはずだ」
サラ導師に片付けを押し付けられた感はあるが、私物などもおいて部屋代わりにしていいという。アスタルトの家のたまり場にできるかもしれない。
「この部屋はもとは北壁の物見の詰所よ。十年前に隠居を決めたとき、倉庫となっていたこの場所をもらい受けたのだ。ちょうど軍の上層部に知り合いがいてな。ちょっとお願いをすれば喜んで差し出してくれたわ」
呵々、とサラ導師は哄笑する。その軍の偉い人がどう差し出したか僕には予想できる。エルもそうだけどクルケアンには強い女性が多いのだ。
サラ導師がいうにはこの部屋は三十四層、三十五層にちゃんとした出入り口があり、三十三層の部屋への梯子はこっそりと作ったのだそうだ。
「本当はな、私はここで余生を過ごすつもりであった。だが、気になることがあり、神殿に都市設計や建築を手伝える若者を指導できるよう依頼していたのだ」
「気になること?」
「あぁ、こっちへおいで。その出窓から下を見てごらん。何が見える」
「壁が赤黒い……何かうごめいている。サラ導師、これは!」
その瞬間窓に大きな影が次々と下層へめがけて飛んで行った。
……飛竜だ。飛竜騎士団だ。
「そうだ、瘴気に惹かれてやってきた魔獣だ。黒き大地の瘴気が北風に乗って城壁に染み付いたのだろうて。幸い、瘴気は重いのでここには届いていない。が、最下層で生活するもののためにも放ってはおけん」
突然、上の階が騒がしくなる。
「サラ殿、失礼する。先ほど騎士団から連絡があり、大型の魔獣を二匹仕留めたのこと。浄化を頼みたい」
螺旋階段から初老の男性が降りてくる。
「いわれなくとも分かっておる。騎士に兵学校の広場に屍骸を持ってくるように伝えろ」
「サラ導師は魔獣を浄化できるのですか?」
「あぁ、できる。私は昔、神殿にいたからな」
そのお爺さんは僕を見て何か心当たりがあったらしく、手を差し伸べてきた。
「おお、その子が新しい弟子だな。私は兵学校長のラメドだ。クルケアンの賢者が弟子を取ったと聞いて軍でも評判となっているぞ」
「セトといいます。よろしくお願いします」
「サラ殿には浄化の役割をお願いしている。君にも手伝ってもらうかもしれないので、今後ともよろしく頼む」
「はい!」
ラメド校長はそういって急ぎこの場所を離れていった。サラ導師はその後姿を見てふん、と軽く睨みつけていた。
「セト、魔獣はクルケアンの都市建設に役に立っている部分もある。なぜ浄化の力を持った私が都市設計や建設を担っているか教えてやろう」
魔獣が役に立つ? 意外な言葉に僕は改めて騎士が打ち倒した魔獣を見る。向こうでも騎士がこちらに気づいたようだ。その精悍な顔は見覚えがあって……。
「バル兄だ! バル兄が魔獣を倒したんだ」
「ほう、お主の兄か、なかなかの腕前だな」
僕とサラ導師は物見の詰め所から三十五層に出て、南側外縁部の兵学校訓練広場へと向かう。そこには魔獣の屍骸が横たわっていた。
「サラ様!」
広場には黒い竜を従えた騎士がいてサラ導師の顔を見て姿勢を正す。
「フェルネスか、評議員の身で現場に出るな。優秀な若い者を育てるのもお主の役目じゃろう」
「まだ二十代ですよ。現場が第一です」
「あ、フェルネスさんだ!」
「おお、セトじゃないか」
「ありがとうございます、おかげで今日は遅刻せずに済みました」
「こ、こら偉い人の前では内緒にしていろ」
サラ導師やラメド校長の視線を避けながらフェルネスさんは魔獣にできた深い傷跡を指し示す。
「見事なものだろう、バルアダンが入れた一撃だ。もうすぐここまで上がってくるから武勇伝を聞くがいい」
サラ導師は屍骸の前に立つと、騎士団から権能杖を受け取り魔獣に向けて祈りを捧げはじめた。
「セト、よく見ておくが良い。これが月の祝福。いまや私ともう一人しか持たない力よ」
「魔獣が赤く光ってる……」
魔獣の体が溶けるように崩れ、赤い光だけが残った。
何だろう、この赤い光には見覚えがあるような気がする。
それに触れようとした瞬間、サラ導師が権能杖を振り下ろし、赤い光は巨大な石の塊になった。
「まるで城壁の石だ」
「そうだ、クルケアンの階段都市建設に必要な石だ。魔獣を祝福で変化させ、石として固定したのだ」
クルケアンの中層から上層の城壁は最下層の石と違って軽くて丈夫だと聞いていた。それがまさか魔獣が材料だったとは思いもしなかった。この数百年、どれほどの魔獣を浄化すれば、この高さにまで都市を建設できるのであろう。階段都市を積み上げてきた歴史は人と魔獣との戦いの歴史でもあったのだ。
「ラメド、フェルネス! 月の祝福者はまだ見つからぬか。私が死ねばもう石は創れぬぞ」
「サラ殿、知っての通りだ。神殿とも協力して探してはいるのだが……」
ラメド校長が頭を下げる。クルケアンを創る月の祝福。サラ導師がいなくなったらこの都市はどうなるのだろう。太陽も水も、そして月の祝福もなくなったらクルケアンは上へと発展できない。……だからシャヘル様は、印の祝福者が神と人との間を取り持ったという伝承を気にしていたのか。そこにこの現状を打開できる何かを期待しているのだ。
「ふん、まぁ良いわ。神殿から印の祝福持ちを弟子として寄越してくれた。フェルネス、お主はセトと知り合いのようだから、特に目をかけてやってくれ。この子の可能性が階段都市の未来だと思え」
「セト君、まさかとは思ったが君までも祝福者なのか……」
フェルネスさんの言葉に頷くのだが、変な言葉だと後で気づいた。君までも、とは他の子供が祝福者じゃないみたいだ。みんな何かしらの祝福を授かっているのだから。
「おーいセト! 俺だ、ガドだ!」
ガドの声がしたので振り向くと、そこにはバル兄も一緒にいた。
「ガド、それにバル兄!」
「フェルネス隊長のお供でね、魔獣をしとめてきたよ」
「今回の魔獣討伐の功労者はお前だろうに。流石は武の祝福者だ、これではどちらがお供かわからんな」
ガドはラメド校長の命令でバル兄を迎えに行き、すっかり憧れてしまったらしい。ガドのバル兄に対する態度は、昔、飛竜に乗ってきたフェルネスさんを見たバル兄のものにそっくりだ。ガドの熱意に負けて、空いた時間にバル兄がガドの訓練に付き合うことになったということだ。
やがて日が暮れて、僕はバル兄とともに最下層へ戻った。ガドはタファト導師の家に向かう。なんでもガドには事情があって、実家ではなく親戚のタファト先生のところで生活をしているらしい。
さぁ、エルにお土産話がいっぱいある。何の話からしようか。最初から色々なことがありすぎて、少し興奮している。それに、あぁ、ギルドの依頼のことも計画を練らねば。今日はちゃんと眠れるのかな……。
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