第13話 イグアルとタファト
〈エルシャ、イグアルの学び舎にて〉
「イグアル導師か。優しい人だったらいいな」
みんなとお昼を食べた後、わたしは祝福の使い方を学びに三十三層へ向かっていた。地図で示された学び舎を探していると、家畜小屋のようなぼろぼろの建物が見えてくる。おかしいなと思えども、周りにはそれっぽい建物は見えず、さりとて人家もない。仕方ないので小屋のおじさんに道を聞くことにする。
「すみません、イグアル導師の家をご存じですか?」
「ん? イグアルなら私だけど?」
「え?」
「え?」
「評議員で水の祝福者のイグアルさんですよ?」
「……それが私だ」
目の前のおじさん、じゃなかった青年をじっと見る。腰を曲げて作業をしていたので、立てばそれなりの長身だ。だが服は流行りものでもないし、そのうえボロボロ。顔は二枚目半、いや三枚目というべきか。開けっ放しの扉から中を覗き見ると本や道具がそこかしこに散らばっている。どうやらカビとホコリと同居しているらしい。うん、間違いなく独身の人だ。
「あの、何か失礼なことを考えていないかい?」
「はい! ……いいえ、返事をしただけです。わたしは訓練生のエルシャと申します。イグアル導師の指導を受けに来ました」
「あぁ、神殿長から話を聴いている」
「神殿長から直接話があったのですか?」
「そうだ。何でも悪戯好きの問題児だから見張っていてくれとさ。でも私も水路の水を使って悪戯をしていたから、偉そうなことは言えないんだけどね」
イグアル導師は肩をすくめて片目を閉じた。良かった、どうやら優しい人らしい。そういえば、フェルネスさんが送ってくれた時、イグアル導師の人となりを教えてもらったっけ。
「そうか、タファトだけでなくイグアルからも教えを受けるのか」
「フェルネスさんはお二人をご存じなのですか?」
「あぁ、特にイグアルは昔からの友人さ。あいつは基本的にはいい奴だから、安心してくれ」
「基本的には?」
「いい奴過ぎてのんびりしすぎているんだ。評議員でもあるし、もう少しきびきびと動いて欲しいものだがな。ちなみにどのくらいのんびりしているかと言うと――」
わたしはそこまで思い出して、少し意地悪な――ではない年頃の淑女として当然の質問をする。
「タファト先生とは仲がいいんですか?」
「……確か午前はタファトの受け持ちだったな。彼女が何か言っていたのかい?」
「いえ、フェルネスさんが言ってたんです。イグアル導師はのんびりしすぎて、いつになっても先生に告白しないって言っていましたので」
「君とは共通の知人が多くて結構なことだ。タファトとはただの友人だよ。フェルネスのあんちくしょうは悪友だがね」
後日、トゥイから聞いた話では、巷ではイグアル導師がいつ先生に振られるのか賭け事の対象になっているらしい。
「ごほん、そんな話は置いておいて、まずは中に入りなさい。それに導師と呼ばなくてもいい、こんな身なりだ、イグアルさんで結構だ」
評議員でもあるはずなのにこの気安さ。わたしはすっかり嬉しくなった。うん、タファト先生の相手として候補に入れてもいいんじゃないかな。
「わかりました、イグアルさん。これからよろしくお願いします」
「おう、こちらこそ。この三年で君には私と共に大塔の管理を学んでもらう。だがタファトのところで聞いていると思うが、新しいクルケアンを創るということも念頭に置いてくれ」
「分かりました。そうだ、一つ質問してもいいですか?」
「何でも聞いていいよ。弟子の質問には真摯に答えてあげよう」
思えば、イグアルさんはわたしを除けば最年少の水の祝福者なのだ。先輩となったのが嬉しいのか、気前よくそう断言してくれた。
「新しいクルケアンを創るとかそんな大きい事、普通なら神殿や評議会がすべきことだと思うんです。なぜ先生とイグアルさんが?」
「神から与えられた祝福を否定し、人の力だけで成り立つクルケアンを神殿は望むと思うかい?」
そうか、考えれば単純なことだ。あれ、でも神殿だって祝福者が減っていることは分かっているはずだ。なら一体どうして神殿は反対しているんだろう。あれこれと考えだし、頭を抱えたわたしに、イグアルさんは苦笑をして椅子を勧めてくれた。
「少し昔話をしよう。十年ほど前かな。私が久しぶりに現れた水の祝福者として有頂天になり、機械や技術を軽視していた頃の話さ」
その時、イグアルさんは祝福に依らない都市づくりを進める技術者の学び舎と工房に足を向けたらしい。神への信仰をないがしろにしているから、祝福者が減るのだと説教をするつもりだったそうだ。その時、現れたのがタファトさんのお姉さん(つまりはガドのお母さん)であるアルルさんだった。
「あら、工房の職人希望の人かしら?」
「いや、そうではなく――」
「遠慮しないでよ。うちは誰でも大歓迎なんだから。さ、まずは腕試し代わりに手伝ってほしいの。貧民街の下水道が壊れたからそれを直しにね」
何事も断り切れないイグアルさんはそのまま貧民街に同行し、ネズミがはびこる下水道で泣く泣く修理をしたとのことだ。そして同時に神殿や評議会がなぜ予算をつけて整備をしないのかと疑問に思ったそうだ。アルルさんに尋ねると「そんなことも知らないの! もしかしていいところのお坊ちゃん?」と呆れたようにため息をつかれ、それでも作業をしながら疑問に答えてくれたらしい。
「この下水道は、汚物だけでなく貴族が捨てたごみが大量に流れ込むのよ。ちょうど上には上層から投げ落されたごみのたまり場があってね。ここを整備するという事は、貴族にごみを捨てさせないってこと」
その時アルルさんは「そんなのできる?」とあきらめるように苦笑いしたのだと、イグアルさんは語った。神殿は貴族と通じており、アルルさんが苦情を申し立てると、水の祝福者が来て上水を止めてしまうぞ、と脅されたのだ。イグアルさんは神殿と祝福者の非道に憤り、水の祝福で一気に下水道を綺麗にしたらしい。
「私の力を使えば、このように澱んだ水を押し流し、詰まったゴミも流しきることができます。これからだって――」
そこまで語って、イグアルさんは腰を上げ、わたしにお茶を出してくれた。一息ついたのはあまり思い出したくない話なのかもしれない。
「そう息巻いた私に、アルルさんは怒ったんだ」
「何でですか、ちゃんと綺麗にしたのに!」
イグアルさんは、あなたは、このさき十年も五十年もこの街に住んで、この下水道に住んで汚れを流しきることができるのか。自分が死んだあとはどうするんだ、と説教されたらしい。
「今すべきは十人の技術者を育て、百年もつ設備を作り、それを千年繋いでいくことだと言われたよ」
「千年も未来を……」
「その通りだと思った。私がしていることはその場しのぎだったんだ。それからはすっかりその工房に入れ込んでしまってね」
イグアルさんはそのまま工房に入り、賛同者を集めて、ついに水道橋の建設に取り掛かったのだ。
「神殿からは神の怒りを
「それでも水道橋は作れたんですよね、その後はどうなったんですか」
「さて、その続きは――君達が活躍する番さ。そのためにも修行に入ろうか」
不器用にイグアルさんは誤魔化した。でもわたしもそれを追及は出来ない。だって、ガドの両親はもういないと、学び舎で聞いてしまっていたから。もし聞くとしたら、それはガドの口からだろう。そしてわたしはそれを受け止めるくらいに強くならないといけないのだ。
「わたし、精一杯がんばります!」
「よし、ではエルシャ、まずは君の魔力の量を調べさせておくれ。祝福持ちでも魔力が少ないと大塔の管理の時に倒れてしまうこともある。ええと、この辺に置いておいたはずだが。……あった、あった」
イグアルさんは銀の腕輪を差し出し、神官が持つ権能杖の代わりなのだと説明してくれた。
「この腕輪を利き腕につけて、魔力を流し込みなさい。やり方はこうだ。まずは体内の熱を感じる。そのあとぐるぐる回るその熱を、胸のあたりでこねて形にするように想像してごらん。そうすれば魔力は君の考えるように形を変えられるはず。そして最後にゆっくりその熱を腕輪に近づけていけばいい」
腕輪をつけ、言われた通り体の内部の熱を探していくと、海のような大きな青い世界を感じることができた。
「目を閉じてもいいですか、その方が集中しやすいと思って」
「ああ、構わないよ」
目を閉じると、その青い世界をはっきりと感じることができる。
精神の中に広がる大きな海とでも言うべきだろうか、
わたしはそれを掌ですくい取って形を整え、腕輪に重ねた。
これでいいのだろうか。
少し不安になって目を開けると、そこはまだ海の上だった。
違う、これは海じゃない。
だって下の方には陸が見えるのだ。
空だ、わたしは空にいる。
なんてきれいな景色だろう、
でもなんて孤独な場所だろう。
「そこまでだ、エルシャ!」
大きな声がわたしを制止する。今度こそ目を開け、振り返ってイグアルさんを見る。
「何か失敗したでしょうか?」
「……問題はなかったよ。確かに魔力は入った。ただ、腕輪だけでなく、体全体から魔力が漏れ出していたのでね。倒れないかと心配したんだ」
あぁ、つまりは魔力操作が下手だってことか。道は遠いなぁ、と肩を落とす。
「なぁに、それでも大したもんさ。三年もあるんだ。私がみっちり教えてあげよう」
初日の今日は帰ってゆっくり休むよういわれ、わたしはイグアルさんの学び舎を後にした。銀の腕輪はこのまま預かることになり、セトに自慢できるぞと、綺麗な腕輪をさすりながら家路を急ぐ。
さて、千年の未来を目指す道はこれからだ。イグアルさんは自分をその場しのぎだったと嘆いていたけど、そうしなければ未来にも続かないこともある。遠くを見る鷹の視点、そして近くを見る蟻の視点。わたしは両方あったほうがいいと思うのだ。だって危なっかしい幼馴染の世話を焼くには、近くにいないといけないから。
「わたしには千年は無理。だけど新しいクルケアンなら千年も見守れるよね」
そう考えてわたしはあることに気付く。もしクルケアンが人であるなら、一人で見守り続けることはとても寂しいことなのだと。
「なら、せいぜい悪戯をして、寂しくないようにしなくちゃね。この水の祝福を使って!」
〈イグアルとタファト、三十二層にて〉
城壁の外に月が出ていた頃、三十二層では夕暮れのような明るさを魔道具がもたらしていた。そして食堂街の一角の小さな店ではクルケアンの光と水を支配する権力を持った男女が、見方によっては美女と普通の青年が向かい合って食事をしている。
貴人用の個室で、
「エルシャの魔力はおそらく我々を足したよりもはるかに多い。喜ぶべきことではあるが、心配なのは彼女の魔力の大きさが神殿のやつらにばれてしまうことだ」
「サラ導師の調査によれば、神殿の機関が祝福者や魔力持ちを攫っているというのはほぼ確実らしいわ」
「都市の崩壊を加速させるなんて、やつらはどうかしている。私達は自分の身は守れるが、エルシャはまだ子供だ。なんとかして守らねばならん」
「私はあの子の居場所を守り、あなたは力の使い方を教える。……それで良かったのよね」
「あぁ、それでいい。戦う準備はこちらに任せてくれ」
タファトの大きく黒い目がイグアルを見据えた。瞳に込められた思いは、置いていこうとする男を非難するようであり、また置いていかれまいと願うようでもある。イグアルは大きくため息をついて、自分としてはさりげないつもりで話題を変える。
「……エルシャから聞いたが、仲間達でギルドのように名を決めたみたいだな。アスタルトの家、というらしい」
「ふふっ、女神さまの名前からなのね。どういう意味を込めたのかな」
イグアルはその由来をエルシャから聞いて知っていたが、しばらくは内緒にしておこうとほくそ笑む。あれから十年、やっと彼女にガド以外の拠り所ができたのだ。人の輪に入ることを避け続けてきた彼女が、自分の前で笑っている。もしかしたらエルシャ達は自分たちの生き方も変えてくれるかもしれない。復讐の道ではなく優しい生き方へと。
イグアルはアルルと共に下水道の作業を終え、工房に戻ってきた時のことを思う。あの時、汚れた衣服と汗で辟易していると、とびっきり冷たい水を浴びせられたのだった。
「どう、気持ちいいでしょう?」
悪戯な目を向けて笑うタファトに、自分は心の全てを奪われ、そして胸が躍る未来をそこに見たのだ。その未来は暗雲と共に閉じられたのだが、今、雲間から光が差し込んでいる。
「新しい時代が来そうだな」
「そうね。新しいクルケアンに乾杯」
そして二人は神ではなく都市に対して酒杯を掲げたのである。
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