第12話 アスタルトの家の子供たち

〈エルシャ、三十二層の食堂街にて〉

 

 食堂街がある三十二層についたわたし達は、その外縁にある広場からクルケアンの西方を眺めていた。青く澄み渡った空に、なだらかに広がっていく最下層の街並みは美しい。これが百層や二百層ならどんな景色になるのだろう。


「ねぇ、トゥイ。クルケアンの頂上から見る景色はもっときれいなのかな」

「きれいかもしれないけど、きっと寂しいと思うよ」

「寂しい?」

「だって空の上には誰もいないでしょう? そこに人がいるのなら、きっと寂しくて地上の誰かを探し続けるに決まっているわ」

「わたしはそんな生活は嫌だなぁ。もっと身近で見続けていたいかも」

「その人は誰? さっき言っていたバルアダンさん?」

「バル兄は見守ってくれている方だから、近くで監視……もとい目を光らせないといけない、あぶなかっしい方ね」

「なるほど、なるほど、気になってほっとけない方ね」


 女子二人でとりとめのない話をしている間、男子達はもっと即物的な話をしている。どうやら西に見える水道橋の構造について話をしているらしい。驚いたのはガドが揚水機サーキーヤなど難しい言葉を使い、クルケアンの都市づくりについて熱心に語っていることだ。


「ガド、兵士よりもエラムのように技術者になった方がいいんじゃない?」

「向いてないさ。好きなこととやりたいことは別ってこと」

「ん? 一緒にやればもっと楽しいのに」

「そうかもしれないけど、今は未来よりもメシを食べることを優先しないか。俺、腹減っちまってよ」

「そうだ、早くしないと美味しいものが売り切れちゃう!」


 わたし達は手早く昼食の作戦会議をする。今日は露店で好きなものを買って食べようと決定し、いったん解散となる。


「さて、セトはどのあたりにいるのかしら」


 あいつのことだから美味しい匂いのする通りにいるものかと思っていたけど、その姿はどこにもない。仕方なく反対の通りにある工房街に足を向ける。この三十二層の半分は働く人や学生向けの食堂街となっているけど、残り半分はギルドの工房やお店が並んでいる。といっても本拠地を置くのではなく、移動のしやすいこの下層で注文を受け付けたり、家具や道具などの修理をしたりしている出店が多い。ギルドごとの掲示板もあって、星祭りの荷物運び募集、とか書いた紙が貼られていた。


「ったく、傍に居ないとこうなんだから。神学校とかよりも先生の学び舎に入っていれば良かったのよ」


 お昼休みの時間もそんなに長くない。慌てて通りを走りながら探していくと、トゥイとの話が頭をよぎる。もしクルケアンの頂上にいれば、セトの姿を早く見つけることができるのだろうか。


「あれ、ここはどこ?」


 ――お腹が空きすぎて幻覚を見てしまったのか。

 気付けば空の上に一人、わたしは地上を見下ろしていた。

 指が勝手に動き、通りの一つを指し示す。

 人の目には見えようはずのないその通りに、セトがいたのだ。


「セト、見つけた!」


 空から通りへと景色が変わり、わたしは裏の通りに駆け込んだ。果たしてセトはそこにいて、必死になって探したのに当の本人は熱心に何かを見つめている。


「もう、分かりやすいところにいてよね」

「ごめん、ごめん。すぐに表通りに出るつもりだったんだ。それにしてもよくここが分かったね」


 確かになぜ分かったのだろう。もしかしてわたしには探し物を見つける祝福も授かっているのだろうか。


「ふふん、日頃の行いを神様が認めてくれて教えてくれたのかも」

「エルの行いを認める神様? そんなことできるのエル本人しかいないじゃん!」

「あら、わたしを女神と言ってくれるのね」

「降参、降参。(悪戯の)女神には勝てません」

「よろしい。で、お昼を放っておいて何をしていたのよ」


 セトは裏通りにある小さなギルドの、これまた小さな掲示板に貼られた紙を指し示す。そこには一月後に開かれる星祭りの日に向けた、訓練生への依頼だった。


「依頼という形だけど、懸賞金つきの競争みたいだ。星祭りの日の夜、十五層の大公園の祭壇からクルケアンの頂上部で輝いている星を示せ、だって」

「面白そうね。でも何だってこんな目立たない場所に貼ってあるの?」

「もしかして依頼を見つけるのも競争のうちなのかも」


 セトはわたしと合流する前、通りにいた大人が「さて、今年の訓練生は何人この依頼を達成できるかな」とか、「人材の見極めもいいが、賭け事でもあるんだ、助言はするなよ」とか言うのを耳にしたらしい。その後ろをついていくと、この掲示板に紙が貼られていたとのことだ。


 星祭り。それは十五歳以上の市民が楽しむことのできるお祭り。古くは訓練生を社会に迎え入れる儀式が、いつのまにか宴会に変わってしまったという、クルケアンらしい由緒ある行事だ。大人達が楽しむため、子供は早く寝かせつけられる日でもある。これまでは母さんからお小遣いをもらう父さんの嬉しそうな顔を横目に、不満顔で寝台に潜り込んでふて寝をしていたのだけど――まさか訓練生をだしにした賭け事とは。


「毎年、星祭りの日に大人が騒いでいたのはこのことなのね。そりゃ盛り上がるはずだわ。で、懸賞金はどのくらいなの?」

「金貨十枚! 半年くらい家族が生活できるお金だよ」

「この街の住民はお祭りには手を抜かないのね……でも依頼内容の星を示せって簡単じゃない? 絶対に裏があるに決まってる」

「だよねぇ。それに大人は助言してくれそうにないし。去年のこととか教えてくれなさそう」


 依頼の真意について二人で盛り上がった後、みんなのことを思いだし、セトの手を引っ張って広場へ向けて走り出す。途中の屋台で適当なものを手に取って、セトがお金を放り投げるように渡していく。


「また僕がお金を出すの!」

「分業、分業。ほら効率的でしょ」


 セトの悲鳴を背中で聞きながら広場に着いた時、生真面目なエラムに怒られてしまう。まったくその通りなので素直に謝る。なぜか一緒に頭を下げたセトに、トゥイが「横にいる子は誰?」と当然の質問をする。


「わたしの幼馴染のセト。みんなに紹介しようと探し回ったら遅くなったの」

「遅くなったのはエルがあの依頼の件で考え込んだせいだろ!」

「あら、わたしがいなかったらお昼も食べずにずっと掲示板を見ていたんでしょ? まったく手がかかるんだから。ほら自己紹介をしてよ」

「……セトです。よくエルのしでかした悪戯の後始末をしています。エルが絶対に迷惑をかけると思うけど、間違いなく口と手を出すはずだけど、広い心で許してあげてね」


 余計な事をいうセトの背中を抓る。まだ初日でもあるし、友人たちに変な印象を与えないよう顔だけは笑顔で「いやね、まったくセトったら」とほほ笑んでみんなに向き直る。エラムとガドがセトに同情するような視線を向け、トゥイは興味ありげにわたし達を眺めていた。まあ、何とかセトを紹介できたし、良しとしよう。

 さて、楽しい食事会が始まった。麦と豆のお粥、羊肉のスープ、蜂蜜入りのパンに麦酒を練りこんだアカル、羊肉の串焼き、ハチミツ漬けの果物など、みんなで買ってきたものを分け合って食べていく。


「俺は衛士になりたいんだけどよ、セトは将来どうするんだ?」

「クルケアンになりたい!」

「……エル、セトは何て言っているんだ?」

「あー、翻訳すると、セトはこの階段都市が大好きだから、隅々まで冒険したいって言っているわ」

「変な奴だな。そういや祝福は何を授かったんだよ」


 わたしはどきりとした。印の祝福は特に口止めをされていないが、変な目でセトが見られないだろうか。


「僕の祝福は印。何でも古代にあった祝福で、何やらすごい力を持つそうだ」

「何でも、何やらってまったく分かっていないってことじゃん!」

「うん、だから午前中は神官学校で古い伝承を調べているよ。で、午後はこの力を都市建設にいかせるよう学ぶんだ」


 都市建設と聞いてエラムやガドがさっそく自分の手伝いをしないかと持ち掛ける。


「古代の印の祝福か! セトは出世するにちがいない。僕の設計した施設や機械を都市建設に取り入れてよ」

「おいおい、それよりも都市の警備を考えようぜ。魔獣の襲撃から街道辺りまで守ろうと思えば、兵が足りないんだ。水や太陽、月の祝福者は評議員にもなれるらしいし、評議会でこのことをだな――」

「僕は出世なんて興味ないって。それなら水の祝福持ちのエルの方に頼めば?」


 エラムは「エルは騒ぎを起こすような気がする」と、ガドは「偉いさんがする無茶程怖いものはない」と残念そうな目でわたしを見てため息をつく。あれ? おかしいな。何やらこの短い時間でわたしのことを誤解しているようだ。付き合いも長くなりそうだし、それはじっくりと修正させてもらおう。

 でも、どうやらセトとみんなが楽しそうに話しているのを見て、わたしの心配しすぎだったようだと胸をなでおろす。それなら次に考えるのはこの仲間とどう過ごすかだ。 


「ねぇ、あと三年でどうやって結果を出す?」


 訓練生は、この三年間の成果で神殿や軍、ギルドへの配属が決まる。せっかくならみんなで夢を掴みたかった。エラムとトゥイは工房さえあれば成果を出せると胸を張り、ガドはそれにはお金が必要だろうと現実を突きつける。大金を稼ぐにはどうすればいいかと皆が考え始めた時、わたしは元気よく立って一つの提案をする。


「掲示板に訓練生に向けての依頼があったわ。依頼内容はクルケアンの観測で報酬は金貨十枚! こちらには先生の小型の観測器もあるし、計算が得意なエラム、目がいいトゥイ、もし何かあったら守ってくれるガドがいる。挑戦してみる価値はあるんじゃない?」


 一人ではこの依頼はできない。でも、それぞれの力を持ちよればきっと達成できるはずだ。それになにより寂しくない。

 幻覚か夢かもしれないけれど、クルケアンを一人で見下ろすあの場所は寂しかった。悲鳴を上げたいほどに怖かったのだ。セトがいないという不安な気持ちが――置いていかれそうな恐怖が精神の中で形を作ったのだろうか。

 そうだ、何かをするなら絶対にみんなと騒ぎながらの方がいい。周りに誰もいないのは嫌なんだ。


「面白そうね、ならエルは祝福をどう使うの?」

「まだ水の祝福の使い方はまだ分からないけど、口と手があるわ。だからわたしはギルドや関係者との交渉役とか、作業とか支える側に回るわね」


 今までお世話になった(少しは迷惑をかけたかもしれないけど)大人達との繋がりもある。大人は訓練生には助言できないとはいえ、情報を集める態なら何とかなるだろう。ならセトの方は――。


「僕はこれから学ぶサラ導師に聞いて階段都市の構造を調べてくる。ほら、観測するんだから、空が良く見える場所とか必要でしょ?」


 セトの頼もしい言葉にみんなが手を叩いて喜んだ。ガドが立ち上がり、わたし達に素敵な提案をする。


「おいおい、俺達ってなんかすごくないか。これって理想的な面子だぜ。せっかく知り合った仲間なんだ、ギルドみたいに名づけないか?」


 ガドの提案はさっきよりも大きい拍手で歓迎された。そして物語が好きなトゥイが目を輝かせて一つの名前を挙げたのだ。


「タファト先生の縁で知り合った仲間ですもの。先生は女神様アスタルトみたいにきれいだし、そこからアスタルトの家ベト=アスタルテ、というのはどう?」


 大喝采が起き、わたし達の居場所となるアスタルトの家が誕生したのだった。そう、この仲間が側に居る限り、そこはどこだって家なのだ。例え学び舎でも廃墟でも。こうして私たちの訓練生としての新たな日々が始まったのだ。


〈ある場所にて〉


 夜、一人の女性が街を見下ろしている。はるか上空からは家々の灯しか見えないが、それでも家族の温かい団欒だんらんを想像して、微笑みを浮かべていた。

 冷たい夜風が彼女を包むが、寒いと感じることはない。それを感じる肉体はすでになく、幽世かくりょでもあるその場所では精神だけがその魂の器となる。故に熱に煩わされることはないのであった。

 しかし、その器に残ったわずかな魂は熱を求め続けていた。それは精神を満たしてくれる熱であり、家族で食卓を囲うという、どこにでもありふれた熱だった。だが彼女がそれを求めて降りることはない。この街のどこかにいる誰かのために、その人が今生も、来世も幸せであるために、永遠とも思える孤独に耐え続けていたのである。

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