第11話 天と地の観測
〈エルシャ、タファト導師の学び舎にて〉
「エルシャといいます。エルって呼んでください」
訓練生としての最初の日、わたしはタファト導師の学び舎で挨拶をしていた。道中、フェルネスさんに聞いた話では、多くの導師が学び舎を構えるこの三十一層で、このタファト導師が一番若く美しいらしい。しかし、多くの男性に愛の告白をされながらも一度も受け入れたことがないそうだ。
「よろしくね、エル。さてみんな、これで学び舎の生徒が揃いました。他の子も自己紹介をしてあげて」
良かった。どうやら遅刻を怒られることはなさそうだ。フェルネスさんが送ってくれたおかげで、何やら事情があったのだと察してくれたらしい。先に来ていた男の子が立ち上がって自己紹介を始めた。
「僕はエラム。手の祝福を授かりました。将来は観測や設計をする
そのエラムという子は少し苦しそうに言い切ると、座り込んで軽くせき込み始めた。体が弱いらしいその子を、隣に座った愛らしい女の子が背中をさすり、飲み物を勧めている。自然な様子のその二人に、わたしの好奇の目が向けられるのは年頃の女の子として仕方のない事だろう。でもその女の子は動じることもなく、自然な様子で自分の名前を名乗った。
「私はトゥイ。目の祝福を授かりました。星座やその物語が好きなので天文を学べることはとても楽しみです。エラムとは幼馴染で、将来は彼が作った観測器で星を見るのが夢です」
トゥイの、エラムとの近い距離を思わせる言葉に、わたしはうんうんと頷く。好きな人と共有する夢って素敵だ。こちらの方は、セトとすごす未来の夢なんて想像もできやしない。まさか大人になって悪戯をするわけにもいかないだろうし。……そうじゃなくて、セトとはそもそもそんな関係ではないのだから。
わたしはきっと変な顔で眺めていたのだろう。エラムにむすっとした表情で「何か言いたいことがありそうだけど?」と文句を言われた。もちろん、今は何も言うつもりはない。あとでトゥイにゆっくりと話を聞くつもりだから。
「俺の名前はガド。力の祝福をもらったんだ。西門の衛士を目指していて、午後は三十五層の兵学校で訓練をしている。でも門衛は品物や人の出入りの確認をしたり、関税の計算もしたりするから、本当は嫌だけどこの学び舎で勉強をさせられて……」
「ガド、私の学び舎がお気に召さないようね」
ガドの言葉を受けてタファト導師が鋭く睨みつける。穏やかな女性と思っていたが、ツェルア母さんと同じ性格らしい。目を丸くしたわたしに、トゥイが顔を寄せて事情を教えてくれた。
「エルが来る前に聞いたんだけどね。実はガド、先生の甥っ子なの。鍛えるばかりで勉強嫌いのガドを見かねて自分の学び舎に入れたみたい」
「あっちゃー、それは逃げられないし、逆らえないわね」
あ、ガドが宿題らしきものを手渡されている。彼は拝領するかのように頭を下げ、両手を掲げて受け取った。ご愁傷様。
「ではエルさん、あなたの祝福を皆に紹介してあげて」
「はい。わたしは水と手と口の祝福をもっています。神殿からはここで算術を学び基礎をつけ、将来は大塔の管理に関わるようにと……」
瞬間、みんながざわめいた。トゥイやエラム、ガドもあっという間にわたしの机の前に来てがやがやと騒ぎ始める。
「三つの祝福を持っているなんてすごいわ。大塔の管理なら貴族のお嫁さんになれるかも」
すでに言い寄った大貴族を張り倒した手前、わたしは「貴族とは釣り合わないから」と慎ましやかに身分をわきまえた返事をする。
「あら、エルもすでに相手がいるんだ。きっとお淑やかな水の祝福者にふさわしい王子様ね」
「そんなのいないってば! まあ、王子様と言えばバル兄は確かにそんな感じでかっこいいけど、完璧すぎるのもこう何というか……。やっぱり世話を焼く子の方が性に合っているかも」
「バル兄?」
「うん、今度飛竜騎士団になったんだ」
ガドが思い出したように「バル兄ってバルアダンっていう人のことか?」と尋ねてくる。わたしが頷くと、ガドもエラムも驚き、ひとしきり羨ましがられた。わいわいと収拾がつかなくなりそうなところで、タファト先生が手を叩いて着席させる。
「エルの水の祝福はこの都市にとって必要だわ。でもこの学び舎に入った以上、みんなには考えて欲しいことがあるの」
そう言ってタファト先生は円環がついた杖を握りしめ、そこから明るい光の玉を出現させる。
「これが私の太陽の祝福。この都市の内部に魔力を流し込んで灯りを供給しているわ。この力がないと都市の内部では生活すらできない」
先生が杖を床に向けて軽く突く。とたんに部屋の明かりが消え、真っ暗となる。そして蝋燭のように小さな灯りがぼうっと現れた。幻想的な光に照らされた先生はまるで女神様のようにきれいだった。
「エル、もし水の祝福者がいなくなればどう?」
「うーん、塔の浮遊床が動かなくなり、みんな階段で上り下りしないと。それに上層に行くほど水が使えなくなって、それを運ぶのも一苦労で――」
そうだ、考えれば当たり前のことなのだ。この都市で暮らしていくうち、祝福を当然として受け止めすぎていた。クルケアンを天に近づけさせるための祝福と神殿は言うけども、もし天に届いてしまったら、神様は祝福を取り上げるのだろうか。
「太陽の祝福者も、水の祝福者もそれぞれ十人しかいません。年々その数を減らし、このままではこのクルケアンは人の住める都市ではなくなってしまう。あと十年で都市の機能は半分となり、三十年で廃墟になるでしょう」
光が元に戻り、先生は苦笑しながら「怖がらせてしまったかしら?」と片目を瞑る。トゥイもエラムも大きく息を吐いて、机に突っ伏していた。
「だから私の学び舎では祝福に依らない都市づくりを考えていきましょう。そして三年後にはそれぞれの道でそれを実行して欲しいの。例えばエラムなら祝福の代替となる機械の研究ね。物語が好きなトゥイは過去と今を記録し、また未来に向けて発信する力を身に着けてして欲しいわ」
エラムとトゥイが上気した顔で頷いた。でもわたしは何を学べばいいんだろう。水の祝福がなくなるのなら、その力を磨いても意味がない。
「大丈夫よ、エル。おそらくあなたが最後の祝福者だとは思うけれど、だからこそこの三十年を支えることができる。エラム達の都市づくりが完成するまでの時間を、あなたは創り出すことができるの」
「ええっ、わたしが最後なんですか」
「あなたより前の水の祝福者なんだけど、その祝福の儀は十二年前なの。それも三十年ぶりにね。十人中九人がお年を召されているわ」
「もしかして、その十二年前に祝福を受けた人がわたしの導師となるイグアル様でしょうか?」
「ええ、少し頼りないけど真っすぐな人だからきっと良き導き手になると思うわ」
そして先生は、優柔不断なところは目を瞑り、気を長くもって教えを受けてほしいと話すのだった。それはつまり、セトのように世話が焼ける人ということだろうか。
そう言えば、先生はまだガドに対して何を学ぶのかを話していない。親戚であるなら、個人的に進路指導をしているのだろうけど。そう考えていると、ガドと目が合った。
「俺か? 俺はさっきも言った通り衛兵になる。お前らに都市を作る才能があったとしても、魔獣に襲われてしまえば終わりだしな。見ていろ、兵学校で実績を出して最強の兵士になってやる」
「でもそれならバル兄みたいに飛竜騎士団を目指せば?」
「……飛竜騎士団に入って西門の衛兵になれるのなら、それもいいかもな」
衛兵にこだわる理由を聞こうとした時、タファト先生が辛そうな目で制止した。ガドが目を逸らしたところを見ると、何か事情があるらしい。
タファト先生が仕切り直しをするように、わたし達に手のひらほどの球体を渡してくれる。それは小型の
「あなたたちにこれを渡すのは、まずどこにいてもこれで自分の位置を知ることができるからです。私達が観測をするのに、自分と観測対象がどこにいるか分からないでは話になりません。星の運行も、あなた達が作る未来も、お互いの場所が分からないとただの予測になってしまう」
「予測ではだめなのでしょうか」
「エル、もしあなたの大切な人の居場所がわからなかったら不安にならない? きっと向こうも同じように思っているはず。自分がどこにいるか、相手がどこにいるのか、確かめる術をもっておいて損はありません」
「でも、こんな高価なものを失くしてしまったら弁償できません」
失くす自信があるわたしは予防線を張っておく。だってこんなすごいもの、セトと一緒に夢中になって遊んでいたらクルケアンの高台から落としてしまうに違いない。
「大丈夫よ。この
貴重な贈り物、そして先生の好意が嬉しくて、みんなが歓声を上げる。残念なのは丁度お昼時であったので、わたしのお腹が大きな音を立てたことだ。タファト先生が気づかないふりをして提案をする。
「さて、もうお昼だし、みんなで三十二層の食事街に行ってらっしゃい。訓練生用の安くて美味しい食事がたくさん食べられるわよ」
その声に合わせて、みんなは一斉に外に飛び出し、上層から漂ってくる匂いを辿るように外側の階段を使って上っていく。いつの間にか競争になっていて、わたしは先頭のガドを追い抜いた。ガドの悔しそうな声を背にして私は空に向かうように駆けていく。
気が急いているのは、この新しい友人達を早くセトに紹介したいからだ。一応、セトにも待ち合わせの約束をしているけども、三十二層は広く、はたして会えるだろうかと不安になる。いつも一緒にいただけに尚更だ。
あぁ、そうか。これが先生の言っていた不安か。
相手を感じられないということは、
こんなにも感情を揺さぶられるものなのか。
だからこそ観測を、
居場所を知る方法をわたし達は学ぶのだ。
不安な今を打ち消すために、
不安定な未来を引き寄せるために。
見上げればクルケアンの大階段はそこまでも空に向かって続いていく。数百年前の過去、何もない空へ都市を積み重ねるのはいったいどういう不安があったのだろう。過去を観測できれば、それも知ることができるのだろうか。
人を愛したイルモートと神を求めた人、
それぞれが相手を求めてこの階段都市を作ったのだろうか。
天からは人を探すために、
そして地からは神を知るために。
そうだ、セトは今頃どうしているだろう。
わたしの居るところがわからないと、
寂しくなっていないだろうか。
わたしはここにいます。
あなたはどこにいますか?
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