第21話 王の書
〈ダレト、長老ヤムの家にて〉
「……普段は外からの客人に会わないのだがね。レビが珍しくはしゃいでいるし、おじい様というもんだから寿命が縮む前に会うことにしたよ」
ヤム長老は愉快そうに目を細めて俺たちに話しかけた。
「神官のダレトと申します。こちらは先日魔獣を討伐した飛竜騎士団のバルアダンです」
「先日の魔獣騒ぎなら儂も見ておったよ。そこの若い騎士が二体を瞬時に屠るのをな」
「恐縮です」
「ヒルキヤも嬉しいだろうて。君はあいつの目によく似ている」
「祖父と知り合いだったのですか!」
「長生きすると知り合いだけは多い」
「では、あのこともご存じでしょうか、祖父の追放……」
はっとして、バルアダンは声を抑える。俺が同席しているを気にしているのだろうか。ふん、まぁいい。こちらはこちらの用を済ませるだけだ。
「ヤム殿、魔獣とは何なのでしょうか」
「そんなことを聞きに来たのかね。神に逆らう愚かな獣だと教えているのは神殿だろうに」
「神殿が全てだとは思いません。特に失われた歴史を知るためには禁書と伝承が必要なのです」
「真実を知りたいか、勇敢な神官だ。この老いぼれの知っていることで良ければ教えよう。……レビは屋上の菜園を見ていてくれ、客人に内密の話をするのでな」
不満げに頬を膨らませたレビを、ヤムは厳しい目で退室させる。椅子に深く腰掛けていて気付かなかったが、よく見れば長身で肩幅も広い。そして指と手首の太さは戦士のそれを想像させた。どうやらただの好々爺ではないらしい。これはひょっとすると、当たりを引いたのではないのか。恐らく同じ感触を得たのだろう、バルアダンが席を立ち、襲撃を警戒して扉の前に立つ。
「魔獣はヒトが化したものだ」
「ご冗談を、四つ足の魔獣が人であるなど……獣と人には明確な違いがありましょう」
「獣とヒトの違いは何だろうね、若いの」
「人は鋭い爪と牙を持っていない。十分すぎる違いです」
「爪の代わりに剣を持ち、牙の代わりにナイフを持つ。そこにどんな差があるのだろうな」
「……では感情でしょうか。家族は助け合い、集団ではこのクルケアンを作るほどに協力し、支え合っている」
「獣とて家族や群れの情はある。母を失くした小鹿の鳴き声を聞いたことがあろう、狩りをする狼の群れの強さを知っておろう」
「なら、言葉でしょうか。いやこれも鳴き声がとおっしゃるのでしょうな」
「いや、真実に近い答えだ。ヒトは獣より言葉が多い。それは獣欲を抑え理性を持ったがためよ」
暖炉にくべられた薪が崩れ、ヤムの顔に炎の影が揺らめいた。やはりただの長老ではない。それにこれは本当に聞いた話なのだろうか。発せられる力強い言葉は知識として知っている者の重みだ。皮肉気に語るのは智者としての悪弊か、それとも人を嫌いなのか。
「ゆえに、原始の時代というべき神代のヒトは魔獣であり、ヒトが獣欲を取り戻せば魔獣となるのだ。……神代に近づけば近づくほどヒトは魔獣に近づいていく。魔獣が大型化するのはそういうことだ」
「肯定も否定もできかねるお話です。伝承というより見てきたかのようですな」
「知識をひけらかすのは人より長生きをしておる者の特権だ。百歳を超えた老人の戯言として甘受してもらおう」
ヤムは杖を手にするとゆっくりと立ちあがった。そして隣室から一つの石板を持ってきたのだ。それは金色に鈍く光り、彫られた文字を浮かび上がらせている。
王に告げる
魂の名は神に奪われた
想いは魂に刻みつけた
死の神は地下に
死者の魂は月に
北の地にてその名を思い出すまで
「王についての記述だと? 伝承ではなく記述されたものが残っているとは! これは禁書指定されるほどのものですぞ」
「王の書という。先代の長老から魔獣についての知識と共に託されたものだ。だが同時に呪いでもあった」
呪いと聞いて俺やバルアダンは触れようとしたその手を止めた。
「この本は強い祝福を持っていてな、その影響で儂は無理やり生かされたようなものだ。先代の長老は私に本を譲って笑って死んでいったよ」
「よろしいのですか、私たちがその石板を受け取るということは、ヤム殿が……」
「いいのだ、この王の書に残った力もあとわずか。どのみち長くはない。それに多くの人を見送る人生は辛くなってきてな。儂と仲間は変えないことを選んだが、若い者に託して時代を変えるのもよかろう」
ヤムは遠い目をして、窓の外に目を向けた。つられて俺たちも外を見る。
貧民街の子供たちが遊んでいる。何やら屋上にいるレビをからかっているようだ。屋上から野菜が投げつけられ、ぶつけられた子供たちは泣き言をいっている。しかし、それでも野菜を拾うあたりがたくましい。老人はそれをみて、目じりを下げて笑う。
「わかりました。この王の書は僕たちが預かります」
「その代わりといっては何だが、二人に頼みがある」
「何なりと」
俺はそう答えざるを得ない。託された者にもそれ相応の責任はとるべきなのだから。
「レビを頼む。あの子は本当の孫ではない。貧民街で拾った子だ。多額の借金があった両親は彼女を捨てて失踪し、家は魔獣の襲撃で壊れた。それでも泣かずに家の前で佇んでいたのを私が引き取ったのだ。あの子は来年には成人式を迎えるが、貧民街ゆえ訓練校にもいっていない。……今すぐにではない、そして、長い間ではない。私が倒れたら、あの子の将来が安定するまで託してもいいだろうか」
「飛竜騎士団の名にかけて」
「……僕の力の及ぶ限り」
俺は神の名を借りることはできない。だが、この書の価値に応じて、出来る限りの対価は払ってやろう。だがそのためにはもう一つ、聞かなければならないことがある。
「ヤム殿、貴方のその杖は、もしや権能杖ではないのですか」
老人はようやく気付いたのかというように笑った。俺達が話をしていたのは恐らく五十年以上前の神殿の権力者に違いない。貧民街に隠棲しているのは神殿を追放でもされたのだろうか。だが、それでこそ禁忌に近づくには好都合だ。
「今の権能杖は装飾が過ぎる。昔はこのようなただの杖だったのだよ」
「この区にいる事情を聴いてもよろしいでしょうか」
「いつの間にか日が傾いてしまったな。過去を話すには老人にとって疲れるものだ。日を改めて出直すがいい」
ヤムは大きく息を吐く。確かに長居しすぎたようだ。礼と共に退室しようとした時、階下の雰囲気を察したのかレビが慌てて降りてくる。
「バル様、あ、それにダレト、もう帰っちゃうの?」
「レビ、僕への扱いにもう少し気を配ることはできないのか」
「ダレトはまた来るから大丈夫さ。じゃあレビ、またね」
笑顔で手を振るレビを背後に俺たちは玄関を出る。夕日が最後の光をクルケアンに注いでいたが、見えあげる北壁がその暖かな光をさえぎっていた。ここではもう夜が始まっているのだ。大神殿に戻ろうとしたその時、背後から大きな音が鳴り響いた。唸り声と老人の苦悶の声がそれに続く。玄関からヤムのいた部屋へと駆け込むと、最悪の想像が現実となって目の前に広がっていた。倒れたヤムに覆いかぶさり涎を垂らした魔獣と、呆然と立ち尽くすレビがいたのだ。
「レビ、こっちへ来い! ……だめか。バルアダン、しばらく時間を稼げ、俺はレビを外に連れ出してくる」
頷いたバルアダンが魔獣と老人の間に割って入る。獅子のようなその魔獣は先日の大型魔獣よりさらに大きい。こんな魔獣は伝承でも聞いたことがない。神代に近づいているということだ、とのヤムの言葉が脳裏に浮かぶ。まったく、冗談じゃない。
レビを抱えて巡回の兵に預け、騎士団への通報を頼む。……自分でそう指示をしておいて奇妙に思う。恐らくこの四百年で最大の大きさの魔獣が現れたというのに、家を襲うまで誰も気づかなかったのだ。ようやく貧民街でも騒ぎになりはじめ、多くの住人が小神殿へと避難をし始める。人の流れを掻き分けるようにしてヤムの家に飛び込んだ。
「バルアダン、無事か!」
そこには血塗れのバルアダンが立っていた。返事をする余裕もなく、剣を振り下ろし、突き入れ、そして薙いでいく。だがバルアダンの剣は魔獣に届くが皮膚すら斬れないのだ。逆に魔獣はその魔爪でバルアダンの甲冑を易々と引き裂いていく。魔獣にしてみれば軽い一撃で吹き飛ばされたバルアダンは、皮肉なことにようやく一息をついた。だがそれも一瞬で魔獣は飛び掛かろうとして後ろ脚に力を込める。
「バルアダン、奴の動きを一瞬でも止められるか?」
「……一瞬だぞ」
俺は権能杖の先端に短刀を仕込み、槍代わりとする。こんな罰当たりな真似は普通の神官はしないが、誰も見ていなければいいのだ。バルアダンが俺をかばうようにぶつかり、そして組伏せられる。そして眼前に迫る魔獣の牙を剣で受け止め、俺を名を叫んだ。
「ダレト、お前の出番だ!」
バルアダンが持てる全ての力を使い魔獣の口を押し上げる。俺は権能杖を魔獣の口の中に突き入れ、体勢が崩れた魔獣の勢いを利用してそのまま壁に打ち付けるように押しやった。
「バルアダン!」
魔獣は怒りの形相で槍ごと俺の頭と手を食い破ろうとする。その隙を見逃さず、バルアダンが柔らかい腹部に剣を突き刺した。魔獣は叫び声と共に倒れ、俺たちは力尽きてその場にへたり込む。
「おじいちゃん……」
「レビ、戻ってきたのか!」
倒れた魔獣の向こうに逃がしたはずのレビが立ってた。まずい、まだ魔獣が死んだのか確認できていないのだ。レビは魔獣の横をふらふらと通り過ぎ、倒れたヤムを抱きかかえる。
「おじいちゃん? 嫌だ。嫌だよ。一人にしないでよ。拾ってくれたあの時、また家族ができて嬉しかったのに、また家族がいなくなるの? 返事をしてよ、おじいちゃん……」
魔獣が再び起き上がった。失った血を求めるかのようにレビに近づいていき、魔爪を振り下ろした。俺は立ち上がれないまでもレビに飛びついて、床に転がり魔獣の一撃を躱す。だが次の一撃は避けようがない。……仕方ない、最後の手段だ。
魔獣の口に向かってセトの魔力を吸った赤光の宝石を投げつけた。手を握りしめ、投げた宝石の魔力と自分の魔力を連動させる。そして握った手を解き放ち宝石の魔力を暴走させたのだ。あぁ、俺は魔力を暴走させることしかできない。妹のように。
赤光が魔獣の体内から漏れ出て爆発した。魔獣は今度こそ息絶えたのだ。
「ダレト! 今の光は一体……」
剣を杖として立ち上がったバルアダンが俺を睨みつける。セトの、と言い続けようとしたその口を手で制す。説明するよりも、赤い炎がこの家を取り囲んでいるのだ。暖炉の火によるものではない。誰かが意図的に火を放ったのだ。
「後だ、バルアダン。どうやらこのまま証拠を隠そうとする輩がいるらしい」
「分かったよ、ダレト。動けるか?」
「動けるがレビを一人で支える力はない。お前の肩も貸せ、バルアダン!」
家が燃え尽きようとしている。貧民街の住民が懸命に消化をするが、もともと古い家だったために手遅れだった。わずか一刻で燃え尽き、後に残ったのは炎でも燃えない魔獣の屍骸と石の土台、それに王の書のみ。ヤムの亡骸は燃え尽きてしまったのはレビにとって良かったのかどうかは分からない。
「私は騎士団に報告してくるが、その書のことは隠すつもりだ」
「……なぜだ?」
「セトにとってはその方がいいのだろう、ダレト。その程度は信頼している」
「あぁ、その通りだバルアダン。俺も神殿には隠し通す」
「何かの秘密を知るヤムと、私達を消そうとしたのだろう。もはや誰が味方か敵かわからない」
だからこそ、セトのために、そしてこのレビのために俺はこのバルアダンと手を組むのだ。互いに情報を集め、明日の夜に監視の目がない場所で落ち合おうと約束をする。百層の大廊下が都合が良いと俺は提案した。バルアダンは飛竜で、俺は神官の特権を使い赴けばいいのだ。
「ところでレビだ。……僕に提案があるのだが、兵学校と神学校で預かるのはどうだ? 住む家については心当たりがあるが、とりあえず今日はバルの家に連れて行ってくれないか」
「分かった。その心当たりって誰だ?」
「昔の師匠さ。この世で一番おっかない」
日が落ちた貧民街で、ヤムの家の残り火だけがわずかな灯りとなっている。その灯りがレビの頬にある一筋の涙の跡を静かに照らしていた。
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