第9話 背教者ダレト
〈セト、神官ダレトと会う〉
神学校の門に飛び込むと、神殿長のシャヘル様が玄関で待っていた。すごい偉い人のはずなんだけど、僕のためだけにここまでしてくれるのは、恐れ多いというか、怖いというか。
「遅いわっ。初日から遅刻をするとは、それでも祝福者としての自覚はあるのか」
他のみんなも祝福を受けているのだから、僕だけ自覚を求められても困る。それに遅刻したのは、配属先を伝えにくるはずの、神官のタダイさんが寄り道をしたこともある。魔獣との遭遇という事情は仕方ないにしても、僕にも配慮をして欲しいと抗議した。
「おかしいのう、使者には地区の神官を三人、昨夕に遣わしたはずだが。それになぜ、猊下直属のあやつがしゃしゃりでてくる」
「えーと、なにやら神殿の事情らしいですし、僕にお咎めはないですよね」
「態度が悪い。もっとすまなそうに言わんか!」
「えぇ……」
理不尽な説教が始まり、僕はシャヘル様の言葉を聞き流していく。でも、そのうちに様子がおかしいことに気付く。どうもシャヘル様は話を引き延ばしているようなのだ。病人の子が祝福を得て市民のために街づくりを志したり、妹を助けるために薬を探す兄の話をしたりと、そういう、努力して立派な人物になりなさいという話が続いていく。
「あのう、シャヘル様。汗をかいてないですか?」
「きょ、今日は暑いからの」
「春になったばかりでまだ寒いですよ。それにいいかげん、神学校に入らせて下さい」
「まぁ、待て。もう少しお主に訓練生としての心構えをだな」
「神学校で学ぶのは午前だけでしょう? はやいとこ、僕を教えてくれるダレトさんっていう人に会いたいんですけど。タダイさんからもその方によろしく伝えてくれって言われたし」
「そうじゃな、ダレトに会わせねばな。だがなぁ、何と言えばいいかなぁ」
「……もしかして、そのダレトさん、来ていないのでは?」
瞬間、シャヘル様が顔をそむける。何てことだ、僕だけでなく、ダレトさんまで遅刻しているらしい。しかもまだ来ていないのは確実だ。
「神殿長様が時間稼ぎをするなんて!」
「ち、違うぞ。やつは任務で、そう、重要な任務で遅れているのだ! クルケアンを揺るがすような陰謀を暴くためにな」
「それに嘘までおつきになるなんて……」
「聖職の身である私が嘘をつくわけがなかろう。……おおっ、ダレトが来たようだぞ。しばしここで待て、私はやつに任務の詳細を聞かねばならんでな」
あれがダレトさんだろうか。黒い髪の青年が気難しい顔で階段を上がってきた。シャヘル様は彼に飛びつき、二人でごそごそと何かを相談している。怒った顔のシャヘル様と、迷惑顔なダレトさんの言い合いはしばらく続き、顔色を変えたシャヘル様が慌ててその場を去っていく。っていうか、あれって逃げているよね、絶対。
「悪かったね。ちょうどクルケアンの陰謀を暴いてきたところなんだ。いやちょっとの差で都市が崩壊するところだった」
「なんか、すごい棒読みなんですけど」
「おかしいな。演技には自信があるつもりなんだけど」
そう言ってダレトさんは笑った。なんでも僕の指導を任される話は聞いていたものの、正式な辞令がなかったので大神殿にまで確認をしに行ってきたたらしい。遅れたのはそのためだったということだった。
「シャヘルが……ごほん、シャヘル様がおっしゃるには、君の所にいくはずだった使者が僕に辞令を伝える予定だったそうだ」
「じゃ、シャヘル様の手続き不足じゃん!」
「ま、あれでも偉い方だし、面子があるから聞かなかったことにしてくれ。では互いに遅刻したもの同士、仲よくしようじゃないか」
そしてダレトさんは部屋に案内しようと言って広い神学校内の石畳を歩いていく。この三十五層は天井がない中央の広場を境に神学校と兵学校が半分ずつ敷地を持っている。軍と神殿の直轄層ということもあり、太陽の祝福者による魔道具が層の内部まで明るく照らしていた。
「あれっ、ダレトさん。こっちは端っこですよ。中央棟からどんどん離れていって……」
「神殿は印の祝福者を導く、最適な学び舎を用意したんだ。一般の訓練生とは違う場所にね」
「でもこの通路の壁、半分崩れ落ちていますよ。本当にこの先ですか?」
「太陽の光が当たっていいだろう? 魔力による灯りなんて気持ちが悪いだけさ。僕らは自然と共に学ぶとしよう」
そしてダレトさんが示した先は、外周沿いの、天井が全て崩れ落ちた小さな庭だった。お日様が良く当たっているからか、草がぼうぼうに茂っている。そしてその中心に崩れかけた小屋があった。警備の神官兵に挨拶をして、簡単な身体検査を受けて中に入る。
「さ、入り給え。ここが僕達の学び舎だ」
「この倉庫の中で?」
この小屋は価値のない本を集めた倉庫なのだと、ダレトさんは呟く。正史なのか偽書なのか、それともただの物語なのかも分からない本、そして神の教えに反し禁書となった本が廃棄されているという。
庭の周囲は神殿の図書館で、立派な窓からは多くの訓練生が廊下を歩いているのが見える。そのうち、裏口らしい扉から神官が出てきて、庭の一角で本を燃やし始めたのだ。
「この一角を潰せば、図書館に光も入ってくるし、燃やすための場所も手に入る。そのために見捨てられた場所さ――気に障ったかい?」
「ううん、何か秘密の隠れ家みたいでかっこいい!」
「ははっ、セトは変わっているね。では捨てられた真実、はみ出し者達の小さな図書館へようこそ」
中に入ると、意外と多くの部屋があった。廊下の一番奥に、錆びたような鉄扉がある。ダレトさんが何やら呟くと、ひとりでに鍵がはずれ、軋む音を立てて開いていった。埃だらけの内部には天井高くまで本や巻物、羊皮紙が積まれている。
「すごいや、宝の山だ! これって何百年前のものもありますよね!」
「もしかすると四百年以上前に書かれた本もあるかも」
「それって、クルケアンの空白の歴史のことですか?」
四百年前。クルケアンがその都市を天に近づけ始めた時、なぜか人々はそれより過去の歴史を捨てたという。一説には突然に意味不明な偽書が世に溢れ、それを糺すべく全ての書籍を焚書したとも、神を批判した書籍に対し、天が人を罰しようと大災害が起き、全てを失ったともいわれている。
「偽書には王と女王の記述があったらしい。もしかするとこの捨てられた本の中に混ざっていたりして」
「ひゃぁぁぁ!」
嬉しくてドタバタとその辺を走り回る。床が軋み、本棚が揺れて昔の大きな本が落ちてきた。痛む頭を押さえてその本をどけようとすると、見られない文字で書かれていることに気付く。
「なんだろう、この字は読めるような、読めないような……」
「古代の文字だね。今より字体が複雑だけど、勉強すれば読めないこともない。君がここに来たのも、古い本で印の祝福の記述を見つけ、その祝福の解明に役立てようってことなんだ」
「ええと、ハドルメの騎士、ティムガの草原――」
「なんだ、読めるじゃないか」
「いや何となく頭に思い浮かんだだけで、正しいかは分かりません」
「どれどれ――セトの読んだ通りだね。ハドルメの騎士というのは僕も初めて知るけど、この草原は聞いたことがある。伝承ではクルケアンの東にあったとか」
「なくなっちゃったの? 偽書みたいに神様の怒りにでも触れたのかな」
神と言う言葉に、ダレトさんは険しい目つきをする。
「セト君は神様って信じるのかい? 実は僕は見たことがなくてね、信じていないんだ」
神官がいう言葉ではないような……でも笑顔を浮かべているのでからかっているのだろう。
「きっと神様はいますよ。だって、祝福もしてくれたし、それに伝承では地上に残ったイルモートが人と天を繋ぐためにクルケアンを建設したって」
「その通りだ。人を愛した神イルモートが、僕達の歴史を隠すはずがない。つまりは人が隠したということだ。この本のようにね」
ダレトさんは僕の肩を叩き、目を細めてある提案をする。
「君の印の祝福の解明は隠された歴史から取り出すしかない。いわば、僕たちがすることは宝探しだ。ワクワクしてこないか?」
「え、宝探しですか!?」
僕は目を輝かせてダレトさんの話を聞いていた。印の祝福もあるけれど、大好きなクルケアンそのものを知る絶好の機会なのだ。何より机に向かっての勉強より面白いのは間違いない。
「ダレトさんはどんなお宝が欲しいんですか?」
「神様に会う方法。会って聞いてみたいことがあるんだ。そうでなければ納得できない」
「納得できない?」
「あぁ、神官として神の偉大さを多くの人に伝える事実が欲しい、ということだよ」
「すごいや。確かに神様に会った人の説教なら僕でも聞くかも」
「そうそう、君の魔力の指導もシャヘル様に指示されている。権能杖は使ったことはあるかい?」
「いえ、ありません。権能杖って、神官が持っている杖のこと?」
「儀礼用の杖がほとんどだけどね。権能杖を持てるのは強い祝福を持つ神官のみだ。まぁ、物は試しだ。とりあえずやってみよう」
上部が円環となっている杖を渡され握りしめる。ダレトさんはまず体の熱を感じ、次に手を通じてその熱を権能杖に流し込んでいくよう僕に命じた。指導中のダレトさんは、さっきまで笑顔で宝探しを提案した人と同じとは思えない。むしろ怖さを感じたほどだ。
「魔力の暴走は時に命を奪う。体が熱くなりすぎたり、破裂しそうな感じがしたりすればすぐに権能杖を手放すんだ。いいね、大事なのは命だ」
体に熱を感じた。
心臓を突き上げるような衝撃も感じた。
まだ、大丈夫だ。
熱も衝撃も手のひらから杖に流し込むよう、意識していく。
なんとかいけそうだ。これをもっと強くしていけば……。
ズキン、と痛みを感じて杖が床に転がった。いつの間にかダレトさんが手刀で権能杖を叩き落していたのだ。
「……ここまでだ、セト。あせる必要はない。今日は初日だからね。僕は心配性なんだ」
確かに今日は初日、無理をする必要はない。ダレトさんにお礼を言って、偽書の図書館を出る。失われた歴史探しに魔力の扱い方……エルはまだ詳しく知らないだろう。早く教えてあげなくちゃ。それに、僕の祝福の方が面白そうでしょうって自慢するんだ。
こうして僕はエルとの待ち合わせの場所に向かって駆けだした。タダイさんの、ダレトさんによろしくっていう伝言をすっかり忘れて。
〈ダレト、セトを思う〉
ダレトはセトの背中を見送りながら冷や汗をかいていた。いや、恐れを抱いていたのかもしれない。魔力を吸収し神殿へ献上する権能杖が一瞬で飽和状態に至ったのだ。祝福は発動していない。ただ、純粋な力の塊である魔力だけが権能杖に吸収されたに過ぎないというのに、権能杖が壊れかけている。
「止めなければこの辺りは吹っ飛んでいたか」
魔力の量は上位の祝福者であっても比較すらできないだろうとダレトは分析をする。
「強すぎる力、果たして神殿に害をなすものか。もしくは俺を利してくれるのか」
ダレトはそう呟き、報告のために大神殿へ向かう。だがシャヘルの執務室へは直行せず、私室に寄って寝台の板を外し、宝石を数個取り出した。宝石に権能杖の魔力を移していくと、次第に石は赤く染まっていくのだ。
神の力、いや神の呪いかと、ダレトはその宝石を睨みつけながらセトの身を案じる。シャヘルの命令はセトの監視と能力開発であったが、ダレトはまだ幼さが残るセトに無理強いをするつもりはなかった。いくら強力な力であっても、成人していない子供の生命を脅かしてまでするつもりはなく、また、子供は守るべき存在だと考えていたのである。それに神が子供を守ってくれるとも思っていない。
「ニーナ……」
ダレトは十年前、妹が魔障の病を発症し、治療のため神殿に預けた時のことを思いだす。神殿は魔障に対して無力であり、魔力の暴発を恐れて死を見守るだけだった。挙句に強い魔障は人を感染させる危険性があると、遺体すら秘密裏に火葬にされたと聞いた時、ダレトは神を捨てたのである。
妹が死に瀕した時、自分はどれだけ神に祈ったことか。
強すぎる力を与えられた妹は、そして敬遠な妹は、
どんな気持ちで苦痛に耐え続けたのだろうか。
だが結局は孤独な死という形で終わったのだ。
「セトの存在こそ、神の存在を証明する最大の好機だ」
存在すれば神を殺す。
だが存在が否定されれば、自分はどうするのだろう。
神殿を去るのか、偽りの信仰を強要した神殿に復讐するのか……。
「だが、神が偽りなら神殿は何を目的に存在しているのか。神官が行方不明となったことといい、今の教皇が即位してからは不穏なことが多すぎる」
昨晩、三人の神官がその姿を消した。もしや魔獣に喰い殺されたのかとダレトが行方を探っていると、早朝、最下層の路地裏で魔獣と戦う人物を発見したのである。教皇トゥグラト直属のタダイであった。加勢に向かおうとするもののダレトは踏みとどまり、物陰から様子を覗き見ることに徹する。
「ふん、教皇の直属と言うからには自分の身は守れるだろう。守れないならば敵が減ってやりやすいというものだ」
だが、その期待は裏切られた。タダイはしばらくの間逃げていたのだが、やがて上空で警備をしていた飛竜騎士団のフェルネスが降下してくるのを見るや、巨大な魔力を使って二体の魔獣を瞬時に葬ったのである。フェルネスが残る一体をしとめ、害が市民に及ぶようなことはなかったのだが、ダレトはこみ上げる違和感を抑えきれずにいた。
二人が衛兵を呼ぶためにその場を去ると、現場を確かめるべくダレトは魔獣の遺骸に駆け寄った。そこで魔獣の爪に引っ掛かっていた指輪を発見したのである。印章ともなるその指輪は巨大な爪で引き裂かれていたものの、どうやら行方不明となった神官のものだった。
「魔獣に襲われたか。かわいそうだが、無力な自分を恨むんだな」
その時は短い祈りをするだけでその場を去った。しかし巨大なセトの力を目にした今、ダレトには別の疑いが浮かんでいた。タダイが逃げていた方角は、シャヘルから聞いていたセトの家に辿り着くのである。
「もしや、タダイめ、魔獣をセトのところに誘導しようとしたのか? 途中でフェルネスの存在に気付き、襲われたふりをして魔獣を始末したとでも?」
まだ不可解なことがある。冷静になって考えてみると、なぜ指輪は魔獣の爪にあったのだろうか。神官を喰らったのなら胃の中にこそあってしかるべきだろうに。
三人の神官、三体の魔獣という、ともすればおぞましい想像をもたらす符号を、ダレトはありえないことだと頭を振って意識から追い出した。だが、どうしても残るものがある。タダイが現場を離れた時、振り返って隠れている自分の方を見たのだ。気配を完璧に消し、気づかれてはいないはずだ。なのになぜ、タダイは凍り付くような笑顔をこちらに向けていたのだろう……。
「仲間がいるな。俺の盾となり、身代わりとなってくれるような奴が」
見捨てられた偽書の図書館で、ダレトは独りそう呟いた。
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