第8話 訓練生の朝

〈セト、訓練生となる〉


 訓練生となる日の朝がきた。近所のみんなは元気よく玄関を飛び出して、新しい学び舎に向けて駆けていく。さて僕とエルといえば――まだ家の前で足踏みをしていた。


「なんで僕らだけ行先が決まっていないんだよっ!」

「も、もしかしてわたし達、訓練生になるなってこと?」


 当日になっても神殿からの連絡もなく、さりとて家の中でおとなしく待っている事なんてできずにこうやって通りに向けて首を出しているのだ。大人は働きに出かけ、小さな子供達もとっくに学校へ行ってしまった。


「ひょっとして、あの悪戯がばれたのかしら。もしくはあっちのほうの……」

「エル、何をしてもいいけれど、というかして欲しくはないんだけど、僕まで巻き込まないで」

「つれないわね。一緒の学び舎に配属されるかもしれないんだから、一蓮托生といきましょうよ」

「いや、だからその学び舎がどこになるか分からないんだって!」

 

 そんなふうに、エルとわいわい騒いでいると、近所のおばさん達が怪訝そうな目を向けてくる。恐らく、初日から学び舎をさぼる悪い子だと思われているのだろう。今朝何度目かのため息をついた時、やさしそうなお兄さんが手を振って僕らの前に現れた。


「セトにエルシャだね、神殿の伝言を預かってきました」

「やっときた! 僕はどこの学び舎に配属されるの?」

「はいはいっ! わたしはどこ? セトと一緒?」

「相変わらず落ち着きがないですね。ちょっと書類を出すから少し待ってください」

「へっ? 僕らどこかで会いましたっけ?」


 その人は「君達はどんな時も、どこにいても目立ちますから」と苦笑しながら懐をまさぐり、小さな巻物を取り出した。そして威厳を込めるように姿勢を正し、僕達にもそれを求める。いよいよ訓練生としてどこの学び舎に配属されるか分かるのだ。僕とエルはつばを飲み込み、その時を待つ。


「まずはエルシャ、君からです。神殿及び評議会は君が大塔の管理者になることを期待しています。水の祝福をもって大塔の浮遊床を動かすために、午前は三十一層のタファト導師の元で幾何と天文学を、午後は同じ祝福を持つイグアル導師の許で学ぶように」

「水の祝福を学ぶのならそのイグアル導師のところだけで学べばいいんじゃないですか?」

「神殿長の計らいです。いや、心配といったところでしょう。君は思い付きで水路の流れを変えて悪戯をしているらしいから、そのまま管理者になるのは御免被るとのことです。星の運行を観測して落ち着くように、とも言っていましたね」


 流石は神殿長、エルの危険性をよくわかっている。こらえきれず吹き出すと、あの魔手が伸びて僕の頬を抓る。悲鳴が聞こえたのか、書類に目を落していたお兄さんがこちらに顔を向けるけど、その時すでにエルはおすまし顔を浮かべている。こんなエルがクルケアンの物流・交通の一角を担うのだから恐ろしい。彼女がクルケアンを自由自在に移動できるその危険性を、神殿も評議会ももっと深く考えるべきだと思う。


「さてセトの方は三十五層の神学校で学ぶことになります」


 予想とはかけ離れたその言葉に、僕が驚くよりも早くエルが声を上げる。


「セトが神学校? 説教される側なのに神官になって説教をするなんて!」

「ちょっと、説教をされるのはエルの方だろ?」

「神官を目指すための勉強ではなく、印の祝福についての研究を行え、との命令です。それと午後は三十三層のサラ導師の許で修業をしてもらう手筈です」

「それにしてもセトが研究や修行だなんて、向いていないわ。ねぇ、神官様、セトの配属先ですけど、変えてもらうことはできないんですか?」

「離れ離れになって残念なのは分かりますが、さすがにそれは無理ですね」

「ざ、残念なんて思って――」


 お兄さんの言葉に、エルがくぐもった声を出してそっぽを向く。耳が赤くなっているところを見るに、もしかして熱でもあるのだろうか。


「エル、どうしたの?」

「何でもないのっ!」


 お兄さんはその独特な、ゆっくりとした調子で携帯用の日時計を出し、太陽に向けてその影の長さを測る。


「そろそろ時間ですね。では今日の朝八つの鐘が鳴るまでに、学び舎に行ってください」

「朝八つの鐘? それってもうすぐ――」


 その時、十五層の公園にある塔から鐘の音が聞こえた。唖然とする僕達に向けて、お兄さんは手をひらひらと振りながら謝罪をする素ぶりを見せる。


「ここにくるまでに済ませる野暮用がありまして。それで少し遅れてしまいました。あぁ、君達はこんなことがないように計画通りに行動してください」

「ちゃんと謝ってください! もう、初日から大遅刻だなんて、最悪だ!」

「大丈夫、小遅刻と言ったところです。ちゃんと乗り物は頼んでおきましたから」


 その時、大きな鳴き声が下層に響き渡り、見覚えのある黒い竜が舞い降りてきた。


「セト、それにエル。神殿の依頼で迎えに来てやったぞ」

「フェルネスさん!」


 竜のハミルカルが慣れた様子で翼を畳み、背中に乗るよう首をもたげた。空に上がり、いよいよ学び舎に向けて飛ぼうとすると、神官のお兄さんがこちらを見上げて手を振った。

 

「セト、神学校ではダレトという神官が面倒を見てくれることになっています。タダイがよろしく言っていたと伝えてください」

「はい、わかりました――ええと、タダイさん」

「よろしい。ではフェルネス殿、後は頼みましたよ」

「あぁ、必ずこの子達は届けよう」

「おや、私が言いたいことは分かっているでしょう? 今さら子供の前だからといって取り繕っても仕方ないでしょうに」

「……やめろ、この子達にとってまたとない門出なのだぞ」

「なれば、なおさらその血塗られた剣をきちんと拭っておくべきでしょう。さて、先ほど仕留めた魔獣は私が二体、そちらが一体。遺骸の奪い合いで飛竜騎士団ともめたくはないので、このこと、お忘れにならぬよう」


 舌打ちをしたフェルネスさんが、ハミルカルの手綱を握りしめてその腹を軽く蹴った。竜の翼がはためいて、次第にタダイさんの姿が遠ざかる。見送る彼の口角は上がり、目じりは下がっている。柔和な表情のはずなのに何か怖いのだ。細められた目の奥、そこにある瞳は――なぜか僕を睨んでいるような気がしていた。


「奴のことは気にするな。普通に生活をしていれば出会うこともないだろう。神殿と飛竜騎士団の対立にお前らが巻き込まれることはないんだ」

「あの人、怖い人なのかな」

「そうだな、少なくとも強くはある。俺が魔獣をしとめようとした時、横から現れて一瞬で魔獣を斬り殺したほどだ。――おっと、すまない。こんな話をする時ではないな」


 フェルネスさんはハミルカルに拍車を叩きつけ、その速度を上げた。クルケアンを半周して北東側に出る。下を見るとぼろぼろの街並みが広がり、そしてすぐ横には巨大な壁が百層まで伸びているのだ。魔獣の被害を最も受けている貧民街と、流れてくる瘴気を受け止める北壁だった。フェルネスさんはその北壁に設けられた兵の詰め所に僕を降ろし、神学校までのおおまかな道のりを教えてくれた。エルの方は、導師がフェルネスさんの友人らしく、場所を知っているので直接に送り届けてくれるとのことだった。


「えこひいきだ! 僕だけ走っていくの?」

「訓練生でもあるし、半歩くらいは大人というものに足を突っ込んでいるんだ。人生とは思うままにならないと知るべきだぞ?」

「そうよ、それにかっこいい大人は淑女に尽くしてくれるものよ。うん、これはわたしの当然の権利ね。だからセトもはやく成長して尽くしなさい」

「ひょっとして大人になるって損じゃないか?」


 僕はそう叫んで、神学校に向けて駆けだしていく。かっこいい大人になれるかどうかは分からないけれど、せめてこれから会うダレトさんがそうでありますように。例えば、遅刻した僕を寛大に許してくれるような大人であることを――。

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