第898話 知性について


 人と植物が融合したような、その異様な存在は沈黙の中でじっとこちらを見つめていた。彼女が身にまとう静寂は、得体の知れない薄気味悪さを伴っている。


 それはまるで森の中で風が止まった瞬間を思わせる。森の何処かで何かが起きているが、人間にソレを知覚することはできない。動物だけが微かな前兆を捉え、息を潜めるように身を隠している。その沈黙の中、不安を抱えながら立っている気分だ。


 鮮やかな青緑色に染まった肌は光を反射し、脈動する血管がその下で幻想的な光を放っている。けれどその穏やかな外見とは裏腹に、目に見えない波動が感覚を揺さぶっていた。その波動は感情の形を取って心に流れ込む。悲しみから後悔に。それは濃密で、複雑で、何層にも重なった感情だった。


 なぜ後悔しているのか? 問答無用で敵対しことに対する後悔なのか、それとも、同胞とも言える植物群を救えなかったことに対する後悔なのだろうか。……ただひとつ確かなのは、この感情は作り物ではないということだ。


 いずれにせよ、もはや我々と戦う意思はないのかもしれない。それとも、その複雑な感情すらも我々を欺くための罠なのだろうか。その可能性を完全には排除できなかった。見た目が人間に近いという事実は、むしろ警戒を強めさせる。擬態は捕食者の基本的な手段だ。そしてこの存在は、明らかにそれ以上の何かを秘めていた。


 拡張現実で表示される地図を確認すると、地下施設に広がる植物の根系が表示され、その中心、核と思われる場所から細長い器官が地上に向かって伸びていることが確認できた。


 ふと目の前の存在に視線を戻し彼女の背後に目を凝らすと、砂の中から伸びた根が、ちょうど尾骨の辺りにつながっていることが分かる。植物の核から伸びている根であることは間違いないのだろう。


 そう思い彼女の顔に視線を戻すと、青い瞳がこちらをじっと見つめ、そこに漂う感情の波はさらに濃くなる。どうやら、女性を精巧に模したこの擬似状体ぎじじょうたいは、〈霧の悪夢フォギーナイトメア〉とも呼称される植物の核によって形作られているようだ。


 それなら、彼女から直接的に感じられる気持ちや感情の揺らぎも、植物全体の意識だと考えていいのかもしれない。彼女の沈黙は問いかけのようでもあり、威圧のようでもある。感情に流されそうになる自分を奮い立たせながら、その場に立ち尽くしていた。


 そして目の前にいる女性を見つめながら、その存在について理解しようと努めていた。それが知的生命体であることは、ほぼ確信していた。しかしそれが事実なのかと問われれば、答えは曖昧だ。知性とは何を意味するのか、その定義を考えれば考えるほど、曖昧さだけが深まっていくからだ。


 人類が知性を定義しようとする試みには、どうしても人類中心の偏見が入ってしまう。それは避けがたいものであり、同時に非常に危うい。たとえば、動物には中枢神経があるが植物にはない。だから植物には動物のような知性はない――そう信じられてきた。そしてその〝誤った常識〟によって、植物を単なる受動的な存在として分類してきたのだ。


 しかしこの分類がどれほど狭量で誤ったものであるのかは、科学が進むにつれて徐々に明らかになる。


 たとえば菌類が持つネットワークは驚異的なものだった。地中に張り巡らされた菌糸網は、遠く離れた仲間同士で信号をやり取りする高度な通信システムになっていて、固有の電気シグナルによって痛みすらも共有されていた。その働きは神経回路に匹敵するか、あるいはそれ以上の複雑さを持っているのかもしれない。


 植物もまた、静的で無力な存在だという見方を覆す研究がいくつも存在する。植物には視覚や聴覚のような感覚器官がないとされてきたが、そう断定するのは早計だ。植物には動物の神経系とは異なる形で、環境からの刺激を感知し、反応を引き起こす能力が存在する。


 実際のところ、一部の植物はシナプスやニューロンに似た働きをする器官が存在していて、神経系を介さない知性があることも主張されていた。彼らが何らかの形で〝考える〟能力を持っているという仮説も、決して荒唐無稽なものではない。


 そして今、目の前にいるこの存在――人の姿を模した異星の植物――は、ハッキリと感情を伝えてきていた。


 それはつまり、人類には理解不可能な形で世界そのものに何かしらの影響を生じさせている証拠でもあり、独自の知覚と意思疎通の手段を持っていることでもある。そしてこの生物の場合、それは超感覚的知覚であり、‶テレパシー能力〟なのかもしれない。


 その青い瞳が放つ感情は、生命の魂そのものを揺さぶるような感覚で気持ちを訴えかけていた。けれどそれは我々が考えるような単純な心の声ではない。感覚と感情が混ざり合い、思考が断片的に浮かび上がる。まるで目の前の生物が自らの知覚をこちらと一時的に共有しているかのようだった。それは驚異的であり、同時に恐ろしくもあった。


 この感情の伝達が可能だという事実は、これまでの――少なくとも旧文明以前の人類の知性や感覚の枠組みを根底から覆すものだった。この生物の感情を介して感じ取ることのできる世界は、我々の知るものとはまったく異なるのだ。


 その種族としての〝違い〟に戸惑いながらも、私はこの存在が持つ知覚の奥深さを、ほんの少しだけ垣間見た気がした。そしてそれが我々の知る知性の定義をはるかに超えたものであることも認めざるをえなかった。


 すると背後から〈ウェンディゴ〉が接近してくるのが分かった。砂埃が舞い上がり、その振動が足元の地面を軽く揺らす。ちらりと背後を振り返ると、鋼鉄の脚で地面を踏みしめながら近づくのが目に入った。


 視線を再び生命体に戻す。青い瞳は相変わらず私を静かに見つめていた。その姿に攻撃の兆候は微塵も感じられない。もちろん、地下施設の植物にも動きは見られず、戦う素振りも見られない。


 ペパーミントが誤って攻撃してしまわないように、すぐに連絡を取ることにした。これまで何度も通信を試みてきたが、奇妙な霧の影響を受けて失敗していた。しかし今回は通信が妨害されることはなかった。


 そこでまず、これまでの経緯と目の前の異種族に対して感じたことを手短に、だが正確に伝えることにした。この生命体が戦闘を目的とした存在ではないことや、知性体としての振る舞いも説明した。


 しかし、その感情や意図を完全に理解できたわけではなく、依然として我々の驚異としての可能性が残っているため、油断できないことも伝えた。ペパーミントと話している間も、奇妙な生物から視線を外さない。彼女の動きや仕草、そして微細な表情の変化すらも見逃さないよう注意を払う。


 それから、〈兵站局〉の倉庫に超感覚的知覚を持つ種族とのやり取りが可能なデバイスがないか確認を取る。言うまでもないが、私はこの異種族と意思疎通を図ってみようと考えていた。これまでの考察と結論を検証する必要があると考えていたからだ。


 するとルインの声が内耳に聞こえる。倉庫に保管されていた物資のリストを確認してくれたのだろう。すぐに人類の超感覚能力を一時的に高める装置があることが分かった。


 どうやら宇宙に進出した人類は、これまでも超感覚的知覚を持つ異種族と遭遇し、その脅威と戦ってきた歴史があるようだ。その戦いの中で、こうした装置が開発されたのだろう。


 ふと目の前の生命体がわずかに動いた。その動きはぎこちなく、痛みに耐えているように見えた。それでも青い瞳は揺るがず、こちらを真っ直ぐに見据えている。まるで我々が次に下す選択を見極めようとしているかのようだった。


 やがて〈ウェンディゴ〉が動きを止めると、低い振動が感じられなくなった。ちょうど鋼鉄の車体に守られるような位置だ。その背後で、テンタシオンが〈兵站局〉の倉庫に向かう姿が確認できた。


 私は奇妙な生物を観察する。その青い瞳に映る自分の姿と、これまでの戦闘の記憶が交差し、複雑な感情が胸の中で渦巻いた。果たして意思疎通の試みは成功するのだろうか、それともさらなる災厄を招くのか――それを確かめるためにも、まずは対話を試みなければいけないようだ。

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