第894話 菌類


 濃霧のなか、菌類に覆われた塔はその巨大な姿をさらに不気味に変化させていく。表面を伝う粘液が糸を引き、触手めいた蔓を広げ、コンテナに絡ませながら先端部をゆっくり開いていくのが見えた。その裂け目からは内臓のような気色悪い器官が露わになり、うごめく血管が体液を送り込む様子が生々しく見えた。


 まるで加熱した砲身部を冷やすように、脈動する体表からは胞子雲が放出される。あの得体の知れない物体を撃ち出そうとしていることは明白だった。


 瓦礫の中から抜け出そうと必死にもがいたが、鉄骨と壁の下敷きにされていて思うように身体を動かせなかった。


「クソ……!」

 菌類の塔から伸びた触手が瓦礫の上を這い、まるで私の位置を探っているかのように動くのが見えた。冷や汗が背筋を伝い、耳鳴りのなかに自らの鼓動が聞こえた。


 攻撃が行われる瞬間、視界の端で眩い閃光が走る。テンタシオンが発射した複数の小型ロケット弾が菌類の塔に着弾したのだ。轟音とともに衝撃波が大気を揺るがし、気色悪い塔は大きく横に傾く。巨大な体躯が崩れるように揺れ、その瞬間、塔内部から圧縮された物体が放たれた。


 凄まじい勢いで発射された飛翔体は、霧を払いながらコンテナターミナルを囲むように築かれたバリケードに直撃し粉砕する。破壊されたバリケードから飛び散るコンクリートの破片は、周囲で作業をしていた機械人形たちに混乱を引き起こしていく。金属の軋みと打撃音が不協和音に変わり、火花と煙があちこちで見られた。


 瓦礫の隙間から見える菌類の塔は、損傷した部分に触手を絡ませて、重心を支えながら再び先端部を開き始めていた。その動きは執拗で、悪意にも似た意思すら感じさせた。


 そこで、ふと〈重力場発生装置〉のことを思い出すと、思考だけで重力場に関する項目を操作する。すると周囲に重力場が発生し、微かな振動音とともに瓦礫や鉄筋がふわりと浮かび上がる。その隙に瓦礫の下から這い出ると、息を荒げながら立ち上がる。


 視線の先では、再び先端部をパックリと開く菌類の塔が見えた。内臓めいた器官が脈動し、発射の準備が整う寸前だった。私は即座に〈ショルダーキャノン〉を形成し、その気色悪い器官に砲口を向けて、容赦なく〈貫通弾〉を撃ち込む。質量のある弾丸は見事に命中し、内臓めいた器官をズタズタに引き裂いていく。


 悲鳴にも似た音が聞こえたのは、ちょうどそのときだった。まるで喉の奥から絞り出されるかのような音は、菌類の表面に開いた無数の穴から発せられていた。先端部からは大量の胞子雲が放出され、激しく痙攣したあと、得体の知れない菌類は崩壊する。体液やら肉塊を思わせるキノコが周囲に飛び散り、塔全体が崩れ落ちていく。


 上空では無数のドローンが複雑な軌道を描きながら飛び交い、菌類の塔から放出された胞子雲を特殊なエネルギーフィールドで取り囲んでいた。青白い輝きを放つ膜に胞子が触れるたび、バチバチと電光が走るのが見えた。しかし完全に処理することはできないのか、漏れ出した胞子が濃霧を胡桃色に染めているのが見えた。


 緊張の所為なのか心臓はまだ激しく脈打っていたが、腐敗し粘液にまみれていく菌類を見て、ようやく一息つくことができた。


 視界の先に拡張現実で地図を呼び出し、〈枯葉剤〉を散布する位置を確認しようとしたそのときだった。地図を透かして目に入った光景に思わず息を呑む。菌類の死骸が生き物のように蠢き始めていたのだ。まるで泥濘が波打つように動き、その中から無数の擬似状体ぎじじょうたいが立ち上がるように形成されていくのが見えた。


 死骸によって生み出されたのは人型の〈エスカ〉――あのヒマワリにも似た奇妙な植物群が狩りに使う巧妙な擬餌状体だった。細長い手足を持ち、頭部には不気味な燐光を放つ青紫色の花弁が咲き誇っている。それは花弁の中心部から次々と種子を発射し、直線的な動きでこちらに向かってくる。


 咄嗟にタクティカルスーツのシールドを展開すると、ハニカム構造の薄膜に種子が次々と衝突し、青白い波紋を広げながら弾かれていくのが見えた。種子の一部は狙いが外れて地面に突き刺さると、小さな爆発を起こしながら有毒な胞子を撒き散らしていく。


 すぐに物陰に身を隠し、息を整えながら攻撃が途切れるのを待つ。その間にも〈エスカ〉たちは周囲の障害物を乗り越えながら接近してくる。


 そこに突如、轟音が響き渡る。捕食者の群れを掃討したテンタシオンと〈ウェンディゴ〉がやって来たかと思うと、重機関銃と小型ミサイルによる掃射を開始する。弾丸が〈エスカ〉たちの身体を蜂の巣にし、その植物の寄せ集めのような体躯を爆風で吹き飛ばしていく。擬似状体は粘液を撒き散らしながら崩れ落ちていく。


 このまま擬似状体を殲滅できるかと考えたときだった。突然、ぐらりと地面が大きく揺れた。振動は足元から全身を駆け上がり、瓦礫やコンテナが激しく揺れ動くのが見えた。何かが近づいてくる。


『今度は何なの!?』

 ペパーミントが声を荒げる。


 突然コンテナが爆発するように吹き飛び、地面を裂くようにして新たな菌類の塔が姿をあらわす。巨大な粘液の塊が空に向かって伸び、表面に脈動する無数の触手が絡み合いながらその場にそびえ立つ。その先端が膨れ上がり、嫌悪感を抱かせるほどの生々しい音を立てて開いていくのが見えた。


 すぐに次の行動を決めなければいけなかった。あらたな塔と対峙するのか、それとも仲間に塔の処理を任せ、〈枯葉剤〉の散布に専念するのか……答えは決まっていた。私は菌類に背中を見せるように駆け出す。ここで躊躇ちゅうちょしている余裕はない。


 背後ではツル植物が触手のように地面を這い回り、脈動する粘液を撒き散らしながら接近し、擬似状体の生き残りが執拗に追ってくる。頭部の花弁が不気味に開き、中心部から次々と種子を撃ち出してきた。それは銃弾のような速さで飛び交い、小さな破裂音を立てながら毒性のある胞子を撒き散らしていく。


 ジグザグに走りながら瓦礫を障壁として利用し、執拗な攻撃を躱していく。タクティカルスーツが補助的に動作し、脚力を強化するだけでなく身体の動きをサポートしてくれる。それでも種子が風切り音を立てながら通り過ぎていくたびに、ひどく緊張することになった。少しでもタイミングを誤れば、種子が身体に食い込むことになる。


 目標地点が徐々に近づいてきたときだった。背後から轟音が響く渡り、すぐに振り返ると菌類の塔が〈ウェンディゴ〉に向かって攻撃を仕掛けようとしているのが見えた。塔の先端部分が再び大きく開き、内臓めいた器官が脈動しながら胞子雲を放出する。


 すると〈ウェンディゴ〉の車両上部に備えられた〈電磁砲レールガン〉がゆっくりとその細長い砲身を動かしながら、標的を定めているのが目に入る。砲身からは青白い電光が放たれ、大気が揺らめくのが見えた。


 そして耳をつんざくような轟音が響いた。放たれた鋼材は超音速で飛翔し、菌類の塔の中心部に命中する。衝撃が塔全体に広がり、脈動していた触手が断裂し、膨れ上がっていた先端部が粉々に吹き飛んだ。


 第二の塔はゆっくりと崩れ始め、その巨体の一部が地面に落下して衝突するたびに振動が足元に伝わる。粘液の飛沫が空中を舞い、塔の断末魔のような音が響き渡る。その光景にわずかに息をついたが、まだ気を抜けない。


 目標地点に向かって全力で駆けた。すぐ背後では戦闘が続いているが、すぐに〈枯葉剤〉を散布しなければ、あの異様な菌類によって周辺一帯が胞子と毒性の霧で覆い尽くされてしまうだろう。


 指定された射撃地点が見えてくると、重力場を発生させながら輸送コンテナを駆け上がり、射線が通る場所まで移動して擲弾発射機グレネードランチャーを構えた

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