第893話〈枯葉剤〉


 捕食者ハンターたちの執拗な追跡をかわしながら何とか管制塔にたどり着けたが、背後からは異形の変異体が無数の脚で地面を這うようにして迫ってきていた。けれど、その追跡もここまでだ。〈重力場発生装置〉を起動させると、塔に飛び付いて壁面に張り付く。


 垂直にそびえる塔に立つと、まるで重力に引き寄せられるように、しっかりと壁面に張り付く感覚が伝わる。そのまま勢いをつけて壁を駆け上がっていく。視界の端では、追撃しようとしていた変異体たちがテンタシオンの攻撃を受け、触手を激しく振り回しながら落下していく様子が見えた。


 青紫色の花弁を持つ花々も執拗に種子を撃ち出してきたが、垂直の壁を駆け上がっていく私を捉えることはできず、種子は壁面に食い込んで花を咲かせていく。くるりと塔の側面に入ると、ようやく敵の攻撃が途絶える。垂直の壁に立っている感覚には、まだ慣れないが、そのまま頂上を目指して駆けていく。


 管制塔の頂上に到着すると、強風に煽られ、地上の喧騒が遠のくのを感じた。高所特有の冷たい風が吹きつけ、体温調整のためにスーツ内の温度が調整されていくのが分かった。周囲を見渡すと、コンテナターミナルが一望できた。侵略的外来生物〈霧の悪夢フォギーナイトメア〉が支配する区域では、緑と青の植物が海面のように波打っている。


 その不気味な美しさに魅入られるが、すぐに背負っていた擲弾発射機グレネードランチャーを構える。網膜に投射されるインターフェースには、擲弾を撃ち込むべき位置が正確に表示されている。風速、弾道、距離などが自動的に計算され、赤い円形のターゲットとして視覚化されて浮かび上がる。手動で調整する必要はなく、すべてが直感的に操作できるよう設計されていた。


「よし……」

 全身の力を抜いてトリガーを引く。軽い反動とともに、ポンッと軽快な音を立てて擲弾が放たれる。軌道は美しい放物線を描きながら空を切り、ターゲットに吸い込まれるように飛んでいく。


 目標到達の瞬間、閃光とともに擲弾は炸裂し、広範囲に〈枯葉剤〉を撒き散らす。しばらく静寂が訪れたあと、植物群がうごめき始める。まるで激しい苦痛にのた打つように絡み合い、青紫色の花々の茎は折れ曲がりながら縮んでいく。その動きはやがて治まっていき、植物は見る見るうちに乾燥し、細かい砂粒のように崩れ去っていく。


 ターミナルに吹きつける微かな風が、その砂のような植物の残骸を巻き上げ、大気を満たしていく。そうして〈霧の悪夢〉が支配する区域の一部は、音もなく静かに死に絶えて不気味な静寂とともに終わりを迎えた。〈枯葉剤〉の効果は抜群だった。胸の中に安堵が広がるが、それと同時に、何か嫌な予感が頭から離れなくなる。


『〈第一目標〉の撃破を確認しました』ルインの冷静な声が内耳に響く。戦場の喧騒とは裏腹に、その声は妙に落ち着いていた。『それでは〈第二目標〉の位置を表示します。そのまま管制塔から攻撃できる位置にあります』


「了解」

 短く答え、視界に浮かぶ矢印に従って振り返る。


 インターフェースが自動的に攻撃目標の位置を拡大表示する。その赤いマーカーは、荒れ果てたコンテナ群に絡みつく植物の中心部にしっかりと固定されていた。砲身をスライドさせ排莢したあと、すぐに専用の擲弾を再装填して発射準備を整える。


 けれど引き金に指をかけた瞬間、足元が突然ぐらりと揺れた。まるで塔そのものが生き物のように身震いしているかのようだった。次いで、金属が軋む鈍い音とともに、激しい振動が伝わるようになる。すぐに足元の様子を確認すると、無数の捕食者たちが塔を登ってきているのが見えた。


 ヒグマに似た巨大な体躯に無数の脚を備えた異形の生物たちが、その鋭利な爪を壁面に突き立てる音が聞こえ、タコのような足を絡めながら塔を登ってきていた。推測でしかないが、おそらく植物の指示を受けて動いているのだろう。先ほどの攻撃を脅威と感じ、排除すべき標的として認識したのだろう。


 ペパーミントの〈ウェンディゴ〉も捕食者の群れに囲まれ、爆発音と閃光が絶え間なく生じているのが見えた。テンタシオンも車両の屋根に飛び乗ると、〈ガトリングレーザー〉で群れを薙ぎ払いながら、脚部のコンテナから小型ミサイルを発射して応戦していた。


 化け物たちは容赦なく吹き飛ばされ、血液や内臓が撒き散らしていく。けれど、吹き飛ばされた数を遥かに上回る数の捕食者が押し寄せていた。このままでは捕食者の波に呑み込まれるだろう。


「……クソったれ」

 所持していた手榴弾をすべて取り出し、安全ピンを引き抜くと、塔を登ってきていた化け物に向けって次々と放り込んでいく。


 爆発のたびに大量の血と肉片が飛び散り、塔の壁面を赤黒く染めていく。けれど化け物の数は減るどころか、さらに増しているように感じられた。すべての手榴弾を使い果たしても、事態を根本的に解決することはできなかった。


「カグヤ、ペパーミントたちの掩護を頼む」

『了解、あとは私にまかせて』


 コンテナターミナルの周囲で植物の侵食に警戒していた機械人形や〈ツチグモ〉が集まり、捕食者に対する攻撃を開始した。私も擲弾発射機を構えると、攻撃位置を示す赤いマーカーを視界に捉える。システムが即座に風速や距離を計算し、弾道が青色の線で視覚化されていく。


「さっさと終わらせよう」

 独り言をつぶやくように言葉を漏らしたあと、トリガーを引いた。


 擲弾は目標上空で炸裂する。眩い閃光が霧のなかで浮かび上がり、爆発音が大気を震わせる。同時に〈枯葉剤〉が大気中に散布され、植物群が一斉に蠢き始める。けれど、まだ終わりではない。〈ウェンディゴ〉を包囲する化け物たちの攻撃は苛烈さを増していた。異変が起きたのは、視界に表示された〈第三目標〉の位置情報を確認していた時だった。


 巨大な菌類の塔が、まるで目覚めたかのように動き始めたのだ。その表面を覆うグロテスクな膜が脈打ち、薄い膜の下で体液が循環する様子が見て取れた。塔全体が微かに揺れ、胞子雲を放出していく。それと同時に、表面を這う無数の触手状のツルがうねりながら周囲のコンテナに絡みついていく。


 それらのツルを支えにして、塔がゆっくりと傾いていき、そして先端部をこちらに向けるのが見えた。そうして菌類の異様な構造が明らかになる。先端が花のつぼみのように開き、生々しい内臓を思わせる器官が露出していく。


 血管のようなものが絶えず脈動し、黄土色の体液が流れているのが透けて見える。その器官の中心には、まるで巨大な眼球のような半透明の球体があり、青白い光を放ちながら、こちらを鋭く睨みつけているように見えた。その光が一瞬強く輝いたように見えた次の瞬間、球体が膨れ上がり、圧縮された空気とともに何かが凄まじい勢いで撃ち出された。


 私が反応するよりも早く〈ハガネ〉がシールドを展開するのが見えた。青白い半透明のエネルギーフィールドが視界を覆い、飛翔体が激突する瞬間、シールドの表面に閃光と波紋が広がる。凄まじい衝撃音が耳をつんざき、その一撃で管制塔全体が激しく揺れる。そしてその強烈な衝撃に耐えられず、管制塔は崩壊していく。


 何が起きているのかも理解できずに、瓦礫とともに奈落の底に落ちていく。視界が激しく揺れ、粉塵のなかで飛び散るコンクリート片や鉄骨が視界を覆っていく。〈ハガネ〉が衝撃を緩和するための措置を次々と講じるものの、落下の衝撃を全身に受け、意識が一瞬遠のきそうになる。


 激しい耳鳴りのなか、わずかに開けた視界には、なおも脈動し続ける菌類の塔が見えた。それはさらに異様な形態へと変貌を遂げていくようだった。裂け目から無数の触手が溢れ、獲物を求めるかのように暴れ狂っていた。

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