第890話 霧の悪夢〈侵略的外来生物〉
ルインが手を動かすと、空中にホロスクリーンが投影された。そこに映し出されたのは、荒廃したコンテナターミナルの俯瞰映像だった。かつて人類が築いた繁忙の港は、今や異星の植物に占拠されている。
ねじれた
『宇宙港へのアクセスを取り戻すと同時に、コンテナターミナルの安全性を確保するため、閣下には〝あの植物〟を駆除してもらいたいと考えています』
映像が切り替わると、植物の根が地中で生息範囲を広げながら地下施設に侵入している様子が映し出されていく。管状の根が鋼鉄を押し曲げながら進む様子は、ただの植物とは思えない異様な印象を与える。映像は次々と切り替わり、地下通路や配管を浸食する様子が見られようになり、その進行速度は驚異的だった。
『幸いなことに、私が管理する〈隔離区画〉にまで及んでいませんが、いずれ到達するでしょう。そうなってしまえば、これまで以上の大規模な被害をもたらすことになります』
その言葉に反応して、思わず青年の背後に見えていた〈転移門〉に視線を向けた。〈混沌の領域〉にもつながる装置の安全性が脅かされる事態だけは、なんとしても避けなければならない。
「ドローンや機械人形に対処させているけれど、それでは間に合わないんだな?」
ルインは小さくうなずいた。その表情に焦りは見えないが、深刻な事態になっていることは明白だった。彼が再び手を動かすと、ホロスクリーンに複雑な化学式が次々と表示されていく。
「これは……?」
疑問を口にすると、ルインは小さな微笑みを浮かべた。
『あの植物を駆除するためだけに製造された化学兵器――いわゆる〈枯葉剤〉の記録です』
映像には、試験的に使用された際の記録が映し出されていた。枯葉剤が植物に散布されると、
『この〈枯葉剤〉を使用すれば、胞子を気にすることなくコンテナターミナルを浄化することができます。ただし、適切な場所に正確に散布する必要があります』
ルインは私のことを真直ぐに見つめていた。その視線には単なる人工知能とは思えない感情が――期待や信頼といった気持ちが込められているように感じられた。
「適切に排除するための〈枯葉剤〉があるのに、どうして今まで放置されていたんだ?」
ホロスクリーンに映し出された化学式を見つめながら疑念を口にした。すでに効果的な解決策が用意されているなら、なぜこれまで対処されてこなかったのだろうか。
ルインは、私の指摘に納得したように小さくうなずいた。
『もっともなご質問です、閣下』
青年は一拍置いてから、静かな声で答え始めた。
『問題は、私の管理能力にありました』
ルインが再び手を動かすと、ホロスクリーンの映像が別の画面に切り替わる。それは倉庫内の制御システムを示す複雑な構造図だった。いくつものラインが交差し、管理エリアを区分する赤い枠線が浮かび上がる。
『私が管理を任されているのは、ここ〈隔離区画〉内だけなのです』赤い枠線が誇張されていき、管理可能な範囲が示されていく。『この区域の外にある設備……例えば、施設周辺のドローンや警備用の機械人形には、命令を出す権限がありませんでした』
かつての治安維持部隊が入手していた植物のサンプルを用いて、倉庫にある設備で〈枯葉剤〉を製造することはできたが、それを散布する手段が存在しなかったのだという。
その説明に思わず眉をひそめてしまうが、これまでにも旧文明の煩わしい管理体制や権限による厳格な管理方法を見てきたので、納得できる説明でもあった。たとえ危機的状況であっても、そのプロセスを無視することは出来なかったのだろう。
「でも今なら、その問題に対処できる……」
『お察しの通りです』ルインは微笑みを浮かべた。それは自信に満ちた表情であり、彼がこの問題の解決に自信があることを物語っているようでもあった。『閣下のような判断力と行動力を持つ者がこの場にいるのは、とても幸運なことなのです』
やや妄信しているようにもみえたが、それも宇宙軍がつくりあげてきたシステムなのだろう。宗教じみた洗脳によって、軍の規律を維持してきたのかもしれない。
ホロスクリーンに視線を戻し、地下にまで根を張った植物の映像を再び確認した。これほどの脅威を取り除けるなら、ルインに協力しない理由はないだろう。
『安心してください、閣下』青年の声は穏やかだったが、そこには確固たる信念が感じられた。『〈枯葉剤〉は必ず効果を発揮します。苦労することなく、この植物を完全に駆除できるでしょう』
彼のことは疑いたくなかったが、すでにあの植物の力を目の当たりにしていたので、これが簡単な仕事になるとは思えなかった。
「あの植物について、なにか情報を持っているのか?」
ルインは静かにうなずくと、ホロスクリーンに異星植物に関する詳細な情報が映し出されていく。その映像は異様でありながらも、目を引きつけるほど興味深く、また不気味な雰囲気を漂わせていた。
『旧文明の人々は、あれを〝
惑星の風景が次々に映し出されていく。その惑星は、湿地帯と密林が地表を埋め尽くし、常に薄暗い霧が漂っているような場所だった。昼夜の区別が曖昧なのは、恒星との間にそれなりの距離があるためなのかもしれない。
その映像には、青紫色の燐光を放つ植物が霧の中で群生する光景も映し出されていた。背景には湿った沼地や腐葉土に覆われた荒涼とした風景が見られた。濃霧が支配するその世界では、生物たちは光や振動に敏感に反応しながら生存していた。その特性が、あの植物にも受け継がれているのだろう。
映像が切り替わり、植物の詳細な姿が拡大表示される。粘液に覆われた
ヒマワリ畑にも似たあの奇妙な群生地も見ることができた。
『遠目には、この青紫色の燐光は安全で美しい場所のように見えますが、それは生物を引き寄せる役割を果たしているからなのです……』
群生地に近づいた瞬間、その雰囲気が一変する。映像には、植物から放出される胞子が風に乗り、霧に溶け込む様子が映し出されていた。
『この植物の恐ろしい点は、栄養分になる生物に対して積極的に作用することです。接近してきた獲物に向けて粘液に包まれた種子を飛ばします。その種子が生物に接触すると、数秒以内に菌糸が繁殖し、対象を覆い尽くして動きを封じこめて苗床にしてしまいます』
映像では、種子が小動物に付着して急速に体表を覆っていく様子が見られた。見慣れない生物は苦痛の中で身動きが取れなくなり、やがて完全に植物に飲み込まれていく。
『脅威はそれだけではありません』ルインの声が低くなる。『胞子を吸い込んだ生物も体内を蝕まれ、瞬く間に苗床に変わります。その過程は激しい痛みと意識の混濁を伴います』
キツネにも似た小動物が霧の中でよろめきながら倒れる場面が映し出された。皮膚の表面に苔のようなモノが次々とあらわれ、植物の一部と化していく様子は見る者に得体の知れない恐怖を与えた。
『そしてもっとも注目すべきは、この植物が擁する
新たな映像が映し出されると、濃霧の中で青紫色の燐光を放つ物体が動いている様子が見られた。それは〝歩く〟ように、滑らかに移動していた。生物のようなその動きは、獲物を巧妙に誘引する罠なのだろう。
『この疑似餌は光と振動を使って獲物をおびき寄せ、本体が待つ群生地へと誘導します』
現住生物が誘導されて群生地に迷い込む様子が克明に映し出されていた。そして最後には、その群生地が粘液と触手で生物を絡め取り、完全に飲み込んでいく。
『成長速度も異常なほど早く、動植物を苗床にした場合、短期間で広範囲を覆い尽くしてしまいます。成熟した群生地では触手が強固な骨格を形成し、より複雑で危険な疑似餌を作り出します』
最後に表示された映像には、生物のように振舞う擬餌状体が、霧の中で獲物を追い立てている場面が映し出されていた。その動きはあまりにも自然で、他の生物との区別がつかないほどだった。
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