第889話 終末
「その、プログラムの残滓っていうのは?」
ルインは目を細め、じっと私のことを見つめる。どう伝えるべきなのか、慎重に言葉を選んでいるように見えた。
『浮遊島が放棄されるさい、〈技術局〉に関する機密情報は復旧されないように、完全に破棄されなければいけませんでした。しかし多くの遺物が保管されている〈隔離区画〉の管理は、その後も継続する必要がありました。そこで、管理機能だけを残して宇宙から派遣されていた人員は撤収しました』
青年と視線を合わせると、肩を軽くすくめるような仕草を見せた。それは彼が自らの存在をどう捉えているのかを垣間見せるものであり、どこか諦めすら感じさせるものだった。
『私は、〈技術局〉の人工知能の複製に過ぎないのです。管理機能と最低限の保安能力だけを保持し、それ以外の高次の能力や機密情報は削除されています」
かれの話を聞きながら、無意識のうちにどれほどの意思や感情があるのかを考え始めていた。有事における機密情報の破棄は定められたことであり、とくに珍しいことでもないが、規格外の人工知能の複製である以上――たとえ能力が制限されていようと、それは人工島を管理する〝アイ〟のような、まったく新たな種族と考えてもいいのかもしれない。
『ですが、閣下の支援を行うのに充分な能力を有しています。そして〈兵站局〉の倉庫に保管されている物資の提供についても何ら制限はありません』
青年の言葉に安堵しつつも、他の施設同様に過去の記録が抹消されていた事実に落胆してしまう。それが表情に出たのかもしれない。
『旧文明に関する情報は消去されていますが、市街地や各施設に残された監視カメラの映像をつなぎ合わせることで、浮遊島が放棄されるに至った経緯について推測することはできます』
そう言うと、青年は虚空に向かって手を伸ばした。その動きに呼応するように、空中に青白い光が集まり、やがてホロスクリーンが投影される。
そこには、かつての浮遊島の繁栄を窺わせる映像が表示されていた。高層建築物の谷間を縫うように飛び交う輸送ドローンや、通りを歩く人々で画面が埋め尽くされている。
それらの人々は当時の流行だったと思われる奇抜な衣服に身を包んでいた。布地にホロライトが織り込まれ、光を発しながら絶えず変化する服や、肌に密着し身体の曲線を際立たせる薄い布地など、当時の技術と文化の傾向が垣間見えるようでもあった。
『友愛と技術、それに希望の象徴だったこの島も、最終的には人類の手を離れる運命にありました』
青年の言葉とともに鮮やかだった街並みの色彩が徐々に
『非常事態発生、直ちに避難を開始してください』
街の至るところで赤い非常灯が点滅し、合成音声による警報が繰り返される様子が確認できた。遠くからは連続した爆発音が響き渡り、建物の表面に投影されていたホログラム警告が激しく明滅する。
映像は市街地から宇宙港に変わり、コンテナヤードの異様な光景を映し出す。そこには絡み合ったツル植物や巨大な花弁を持つ花々が繁殖し、異形の植物が不気味に
『宇宙港で起きた異変に対処するため、戦闘車両や特殊部隊が送り込まれました。しかし彼らが直面していたのは、侵略的外来種と思われていた植物だけではなく――もっと狡猾な存在でした』
青年の言葉に反応するように、治安部隊の司令室の様子を捉えた監視カメラの映像に切り替わる。そこでは各区画の混乱状況が刻一刻と更新されていて、困惑する人々の様子が確認できるようになっていた。
『〈データベース〉の世界的なシステム障害による混乱に乗じて、宇宙港内で武装勢力の活動も確認されました。反異星主義団体〈人類解放党〉を名乗るテロ組織は、浮遊島の各区画に未知の生物兵器、あるいは細菌兵器を設置していました。彼らはソレを容赦なく爆発させました。やがて多くの住人が新種の〈人擬きウィルス〉に感染し、やがて異形の変異体へと変えられていきました」
つぎに映し出されたのは、人擬きから逃げ惑う人々と、暴徒化した住人たちに対処しようとする治安部隊の姿だった。抵抗する者たちのなかには、この暴徒を扇動する者の存在も確認されたが、おそらくテロ組織の人間が紛れ込んでいたのだろう。
結果的に暴徒の鎮圧には成功したものの、彼らは絶え間ない攻撃で消耗し、市街戦の様相を呈する激しい戦闘に突入することになった。街の通りにはバリケードが築かれ、治安部隊はかつての同胞だった変異体と交戦するようになる。
銃声、爆発音、そして変異体の不気味な唸り声が荒廃した街に木霊する。治安部隊の防衛ラインが崩れると、たちまち変異体が雪崩込んで白兵戦が始まる。隊員たちは命がけで戦っていたが、彼らの絶望感がひしひしと伝わる戦いだった。
『同時多発的に進行する問題に対処することができなくなると、治安部隊は住人の避難を優先するため、命懸けの戦闘を続けざるを得ませんでした』
我々が施設で遭遇していた変異体の多くが治安部隊だったのは、最後までこの島に残って戦っていたのが彼らだったからなのだろう。
映像が切り替わると、宇宙港の全景が映し出された。そこは、すでに変異体と異形の植物に占拠され、逃げ道が完全に絶たれていた。最後の輸送機が離陸していく様子を見送る隊員たちの背中が映る。そしてその後の地獄絵図を予感させるように、人擬きの群れで画面は埋め尽くされていく。
『市街戦は数週間にわたって続きましたが、最終的にすべての隊員が人擬きに変異、あるいは食い殺されて戦いは終結しました』
最後に映し出されたのは、施設や建物内に逃げ込んだ人々が徐々に変異体へと姿を変えていく様子だった。彼らの苦悶の表情が静止画のように脳裏に焼き付き、浮遊島がどのようにして現在の姿になったのか、よりハッキリと想像することができた。
『他にも要因があるかもしれませんが、おそらく、これが浮遊島の終末の記録です』
ぬいぐるみを手にした幼い人擬きの映像で画面は静止し、やがてホロスクリーンが消える。そのなかで繰り広げられていた惨劇の記録が脳裏に焼き付いて言葉が出てこない。
その静寂のなか、ルインは姿勢を正した。かれの整った顔立ちに変化は見られないが、どこか硬い決意がその瞳に宿っている。
『閣下にお願いがあります』
唐突な申し出に困惑しながらも、私は自然とうなずいていた。
「もちろん、問題ない。それに……俺のことは名前で呼んでくれても構わない」
軽い調子で言ったつもりだったが、青年はわずかに首をかしげる。その表情には困惑が見て取れた。
『それは光栄なことですが、お断りしなければなりません』
静かながらも断固たる口調で彼は続ける。その言葉には、彼自身の信念と規律への忠誠心が滲み出ていた。
『〈技術局〉に所属する者として、軍の指揮系統を含め、あらゆる物事において秩序と規律の重要性を理解しています。あなたは人類の救世主である〝偉大なる不死の子供たち〟のひとりであり、それと同時に我々の上官でもあります。どんなときであれ、規則以外の形で閣下のことをお呼びすることは許されない行為です』
その言葉は流れるように正確に紡がれ、誤解の余地を挟まないものだった。その誠実さに圧倒されつつも、どこか釈然としない気持ちを覚える。規律……彼にとってそれは、単なる規則以上の意味があるのだろう。
『私が管理する〈隔離区画〉には、浮遊島が放棄される際に持ち出されなかった多くの技術や遺物が保管されています。それらは未だに重要な価値を持ち、この荒廃した世界での復興に貢献する可能性があります。しかしそれを活用するには、上位の権限を持つ者との協力関係が必要不可欠です。そしてその権限を持つ者は閣下だけなのです』
ルインの目はどこまでも真剣だった。そこには計算も打算も見られない。ただ彼が信じる規律の中で、自分が果たすべき役割を全うしようとしていた。
「了解した」
そう口にすると、青年は満足したように一礼した。
「それで……ルインの頼みっていうのは何なんだ?」
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