第887話 防御機構


 異種文明の〈転移門〉を思わせる楕円形の装置。その巨大なフレームのすぐ脇に、複数の端末が設置されているのが見えた。それは、旧文明の施設で見てきた装置に似ていたが、画面に表示される文字や記号は明らかに人類のものではなかった。異種族が利用するための独自のシステムがインストールされているのかもしれない。


 触らぬ神に祟りなし、とも言うが、装置が動いていた理由が気になっていたのでログを確認することにした。端末に触れて、〈接触接続〉を行ったときだった。


 首筋に鳥肌が立つような、奇妙な寒気がしたかと思うと、空間が軋むように揺れて照明が一斉に落ちていく。区画全体が赤い非常灯の薄明かりのなかに沈み込んでいき、静寂に包まれていた空間が一転して緊張感で満たされていく。


 異種文明の装置から耳をつんざくような甲高い音が聞こえたのは、ちょうどそのときだった。〈転移門〉を思わせる巨大な装置は淡い光に包まれ、門の内側に得体の知れないエネルギーが渦を巻くように発生していくのが分かった。


 装置に接続されていた無数のケーブルは電光を発し、あちこちの管から勢いよく蒸気が吹き出すようになる。


 装置の中心では、鏡にヒビが入っていくような亀裂が生じていく。その亀裂は徐々に広がり、やがて黒い裂け目が宙に浮かび上がる。そこには、どこか別の世界の風景が――不気味な霧が漂う空間に無数の塔のような建造物と、不自然にねじれた赤黒い空が見えた。それは、この世界の物理法則とは異なる流れのなかにあることを感じさせた。


「……もしかして、〈混沌の領域〉とつながったのか?」

 突如として警報が鳴り響き、視界が無数の警告で埋め尽くされていく。


 侵入者の検知を知らせる警報や異常なエネルギー反応を検知したこと、それに〈防衛システム起動〉の警告が表示されていく。続いて、壁や床に格納されていた警備用の装置が次々と起動していくのが見えた。


 天井からは〈セントリーガン〉が展開し、異常な明滅を繰り返す〈転移門〉に砲口を向ける。床面に格納されていた機械人形たちも、折り畳まれていた手足を滑らかに動かしながら変形すると、すぐに立ち上がり充電装置から離れていく。


 そして空間の裂け目の向こうから――不気味に動く影があらわれ始めた。それはまるで悪夢の具現としか言いようのない異形だった。その姿は、この世界の生物とはまったく異なる異質で邪悪な存在感を放っていた。


 まず目につくのは、左右対称の大きな体躯だ。人型に似た二足歩行だが、強靭な筋肉に包まれた足は逆関節で、脚先には鋭い鉤爪が三本ずつ突き出していた。その爪先からは何かの液体――毒液のようにも見えるが、不自然に輝く青紫色の液体――が滴り落ちていた。


 異形の体表は、見るだけで生理的嫌悪を掻き立てるものだった。赤胴を思わせる皮膚は厚く、その表面は血に濡れたように奇妙なヌメリを帯びていて、非常灯を受けて鈍く輝く。その硬い皮膚には細かい亀裂や傷が随所に見られ、裂け目からは血液のような黒赤い体液が流れ出している。


 頭部には螺旋状の巨大なツノが無数に突き出していて、その根元は血管のように脈打っているように見える。ツノ自体も鋭利な刃物のようにも見え、ただそこにあるだけで周囲の空間を切り裂いているような錯覚に陥るほどだった。


 その顔には目と呼べるものがなく、代わりに空っぽの眼窩が複数並んでいるだけだった。その表情からは何も読めないが、明らかに敵意と殺意がそこに存在していた。


 口はさらに異様だった。巨大な顎には無数の牙が乱雑に並び、どれも異様に鋭く、肉を切り裂くために進化したかのような形状をしている。牙の隙間から覗く青紫色の舌は異常に長く、しなやかに動きながらその先端から涎を垂らしている。


 これまでにも混沌の化け物を多く目にしてきたが、骨で形作られたような長剣を手にしていたのは、その化け物だけだった。


 刀身には奇妙な文字が刻まれていて、何か呪術的な意味合いがあるように思えた。その刀身は鋸歯状に欠けていたが、それがかえって肉体を引き裂くときに有効な凶器として機能しているようにも見えた。


 門から次々と出現する〝悪魔〟を思わせる異形は、どれも同じような姿をしているが微妙に個体差があり、あるものはさらに大きなツノを持ち、またあるものは片腕そのものが刃の形状をしていた。


 門の向こう側から溢れ出してくる殺意の奔流そのものだ。〝殺戮〟という言葉をそのまま具現化した存在で、その咆哮は地獄の底から響き渡るようだった。


 悪魔めいた異形たちの咆哮が広大な空間に響き渡るなか、警備システムが完全に起動していく。鋭い機械音が鳴り響き、天井や壁に格納されていた〈セントリーガン〉の自動目標補足システムが作動し、凄まじい轟音とともに数百発の弾丸が一斉に放たれた。


 空間全体が揺れるような激しい銃声が木霊し、異形の生物が文字通り粉砕されていくのが見えた。赤黒い体液が飛び散り、内臓やら肉片が宙を舞う。硬質な皮膚を持つ異形でさえ、大口径の弾丸の前では成す術もなく崩れ落ちていく。銃弾が大気を切り裂くたび、天井からは無数の薬莢がカラカラと音を立てながら雨のように降り注いだ。


 それでも異形の生物は屈するどころか、次々と門の裂け目からあらわれ、同族の屍を踏み越えながら前進してくる。そこには一切の恐怖も躊躇ちゅうちょも見られない。血液と肉片が床を覆い尽くしていくなか、保安システムによってさらなる戦力が投入されていく。


 黒曜石を思わせる装甲を持つ軍用規格の機械人形が隊列を組みながらやってくると、腹部に内蔵された〈荷電粒子砲〉を起動していくのが見えた。瞬間的に発生する眩い閃光が空間を焼き尽くし、異形の群れを蒸発させる。赤黒い体液は一瞬で蒸発し、その肉体は跡形もなく消滅してしまう。


 けれど、焼き尽くされた場所からも新たな異形があらわれる。門の歪みがさらに広がり、裂け目から放出される得体の知れないエネルギーが空間全体に影響を与え始める。足元の床が微かに震え、壁面には亀裂のようなものが走る。異形たちはさらに凶暴性を増し、攻撃をものともせず突進してくる。


 そこに警報が鳴り響き、合成音声が状況の深刻さを告げる。

『警告。区画放棄のためのプロトコルを開始します。すべての職員は避難行動マニュアルに従い、直ちに避難を開始してください』


 すでに区画全体を海底に沈める準備ができていたのだろう。視界に避難完了までの時間が表示されるが、どう考えても避難に間に合わない。テンタシオンに声をかけようとして振り返るが、真っ赤な異形に破壊されていく機械人形の残骸が転がっているだけで、テンタシオンの機体は見つけられなかった。


 もはや時間の問題だ。この空間が崩壊する前に脱出しなければならない。頭上からは薬莢が降り注ぎ、足元は異形の残骸と血液で満たされていく。耳をつんざく轟音、血肉の臭い――そのすべてが戦場の狂気そのものだった。


 けれど、テンタシオンを見捨てることはできない。命懸けの戦いを決意したときだった。不自然に静まり返っていることに気がついた。


 耳をつんざく銃声も爆発音も、肉体が裂けて骨が砕ける鈍い音も、すべてが消え去っていた。鼓膜を破らんばかりの轟音が鳴り響いていたはずなのに、今はまるで海底にいるかのような静寂が支配している。


 辺りを見回すと、信じがたい光景が目に飛び込んできた。機械人形を破壊しようとして飛び上がっていた異形の化け物が、まるで彫刻のように空中で静止している。弾丸を受けて周囲に飛び散っていた血液さえも、凍り付いたように静止していた。


 目を凝らすと、〈セントリーガン〉から発射されていた弾丸が空中で停止しているのが見えた。薬莢は床に落ちることなく宙に留まり、異形の生物に組み付かれていた機械人形も動きを止め、まるで巨大なジオラマのなかに立っているようだった。


「……何が起きているんだ?」


 と、その時だった。凍りついた異形たちの間を、悠然と歩く青年の姿が見えた。どこから出現したのかも分からない。血塗れの戦場の中で、彼の姿だけが妙に浮いている。


 その青年が優雅な所作で鋭い爪や牙のすぐそばをすり抜けてくる様子は、驚くほど自然で不気味さすら感じさせる。


「驚かせてしまったようですね」

 青年は困ったような表情を浮かべる。


 その声は明瞭で、頭に直接響くようだった。

「真に迫る光景でしたが、すべて〈仮想空間〉で再現されたものです」


 青年が軽く手を振ると、細波が広がるように空間全体が揺らめくのが見えた。その言葉に理解が追いつかず、ひどく混乱してしまう。


 仮想空間?


 今、目の前で繰り広げられていた惨状のすべてが――現実の光景ではなかった?


「そうです。現実の世界では、まだ二秒も経っていないでしょう」まるで考えが読まれているかのように青年は言う。「あなたが端末に〈接触接続〉を行ったさい、ある種の防御機構が作動してしまったようです」


「つまり、このすべてが侵入者に対する警告だったのか?」


「ええ、ひどく〝悪趣味な警告〟ですが、効果はあったみたいですね」

 青年はそう言うと、にっこりと微笑んで見せた。

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