第886話〈隔離区画:エリア045-N〉


 鈍い金属音を響かせながらエレベーターが停止する。摩耗していないギアのかみ合わせによる音は重々しく、精密な機械が未だ現役で稼働していることが分かる。プラットフォームの底部からは白い蒸気が勢いよく噴出し、一瞬で周囲に薄い霧を作り出していく。その奥にぼんやりと見えていたのは、隔離区画につながる巨大な隔壁だった。


 その隔壁の表面には、ホログラムで〈レベル:A2-A5〉の表記が投影されているのが見えた。鋼鉄の厚い板が何層にも組み合わさっていて、巨大な金庫室の扉を連想させた。おそらく通常兵器による破壊は不可能なのだろう。それほどの厳重さを誇っている。


 周囲を見渡すと、壁も床も金属面が剥き出しになっている。鋼鉄の冷たい光沢が薄暗い照明に反射していて、そこに腐食や錆の痕跡は一切見られない。旧文明の高度な加工技術と鋼材を用いて建造されたものだと一目で分かる。まるで時間さえも止まったかのような無機質な空間だ。


 一歩足を踏み出すと、金属の床に低い段差と継ぎ目があるのが見えた。それは何の変哲もない切れ込みに見えるが、視線を動かしていくと、それが空間を隔てるように壁や天井まで続いていることに気づく。


 周囲を見回しながら思考をめぐらせる。おそらく、緊急事態のさいに区画ごと切り離すための仕掛けなのだろう。最悪の場合、この区画全体を海底に投棄する計画があったのかもしれない。冷徹な判断のもとで建造された施設であることが、この設計からも容易に想像できた。


 隔壁の手前に設置されたコンソールパネルに近づくと、どこからともなく鈍い振動音が聞こえてくる。背後を振り返ると、小さなドローンがこちらに向かって飛んでくるのが見えた。球形の胴体にセンサーを備えたカメラ・アイが取り付けられていて、そのひとつ目を思わせるレンズが赤く点滅する。


 ドローンは我々の周囲を旋回しながら、レーザーを照射しながらスキャンしていく。すでにエレベーターを動かすさいに身元は確認されていたはずだが、ここでは二重、三重のセキュリティが設けられているようだ。


『徹底してるね』

 カグヤの言葉にうなずいたあと、大人しくスキャンの完了を待つ。それからしばらくして、ドローンは何事もなかったようにどこかに飛んでいく。


 周囲に再び静寂が訪れる。コンソールパネルに触れると、ホロスクリーンが投影される。そこに表示された項目を確認しながら操作すると、入力が認証され隔壁を開放するプロセスが始まる。


 低い警告音とともに、赤い非常灯が明滅を繰り返しながら回転するのが見えた。隔壁の奥から鈍い機械音が聞こえ、大量の蒸気が隙間から噴き出していく。白い霧が辺りを覆い尽くし視界が遮られていく。その間にも金属が擦れ合う重い音が響き渡り、やがて隔壁がゆっくりと動いていくのが見えた。


 周囲に立ち込めていた白い蒸気が徐々に薄れていく。熱を帯びた空気が冷え、しだいに視界が開けてくると、我々は隔壁の向こうに歩いていく。そこで目にしたのは、これまで浮遊島で見てきたどの空間とも異なる異質な世界だった。


 まず目に飛び込んできたのは、真っ白な金属パネルで覆われた広大な空間だ。壁から天井、床に至るまで、すべてが磨かれたような輝きを放っている。その清潔感は圧倒的で、外界の荒廃とはまるで別次元の場所に足を踏み入れたかのような感覚を抱かせる。


 その静寂に支配された空間のなか、無数の金属棚が整然と並んでいるのが見えた。その規則正しい配置には、どこか美術館を思わせる美しささえ感じられた。


 それぞれの棚に収められているのは、クリスタルケースと透明度の高いコンテナボックスだ。そのすべてが厳重に封印されていて、その内部に異種族の技術や文明に関する遺物が保管されているのが見えた。コンテナ越しにも分かるその異質さは、人類の技術とは明らかに異なる美学や設計思想を感じさせるものだった。


 小型のデバイスや奇妙な形状をした機械部品、異星言語が刻まれた金属プレートなど、視線を動かすたびに未知のモノが次々と目に飛び込んでくる。それは、人類がかつて接触した異種文明の記録、あるいはその名残なのかもしれない。


 すでに遺物が展示されていた施設でも似たような光景を目にしていたが、この場に保管されている遺物の多くは、機密に指定されている貴重なモノのようだ。


 少し歩くと、壁際に設置された端末が目に入る。〈接触接続〉で起動させると、鮮やかなホロスクリーンが空中に投影されて、この区画の詳細な情報が表示されていく。


〈隔離区画:エリア045-N〉という名称が、日本語で浮かび上がる。その下には、保管されている遺物や研究に関する項目が並んでいた。


〈異星生物技術試作モデル・アルファ・ベータ〉

〈高次元通信端末・解析結果〉

〈アンチプラズマ・シールド技術に関する考察〉

〈生体外骨格に由来するクローキング技術〉

〈アラン・キヨサキ少尉の発見物〉

〈未解読データストレージ〉


 ――それからも、見たことも聞いたこともない名称が次々とスクロールされていく。詳細を確認するためにホロスクリーンの項目に触れると、それぞれの遺物に関する説明が短く添えられていく。


 例えば〈高次元通信端末〉は、空間を超えて瞬時に信号を送受信するために設計された装置で、異星文明との直接的な対話や人類の星間通信を可能にしたものとされていた。その一方で〈未解読データストレージ〉は、記憶媒体の仕様や言語すら解読できず、解析を始めるための手掛かりすらない状態だという。


『ここに保管されているのは、ただの遺物じゃないみたいだね。見て、保安装置があちこちに設置されてる』


 カグヤのドローンは低い振動音を立てながら、天井や床に格納されていた警備用の機械人形や〈セントリーガン〉をスキャンし、詳細なデータを取得していく。赤い警告表示で位置が示された装置は、作動する気配こそないものの、ただの飾りとは思えない威圧感を漂わせていた。


『警備が厳重というより、攻撃を前提としているみたいね』

 ペパーミントの声が内耳に聞こえた。彼女も隔離区画に何があるのか気になっているのだろう。


 ドローンから受信したデータを確認すると、電磁パルス攻撃や腐食性ガスを用いた防衛機構まで設置されていることが分かる。それだけ、この場所に保管されているものが重要だという証拠なのだろう。もしかしたら〝混沌〟に関連する遺物も含まれているのかもしれない。


 この空間の静寂それ自体が、侵入者に対する警告のように思えてくる。妙な胸騒ぎを感じながらも、我々は保管物に直接触れることを避けながら、通路の先に進むことにした。


 やがて奇妙な展示物が並ぶ空間が見えてきた。まるで博物館のように整然と並べられたガラスケースの中には、〈異星生物〉と思われる剥製がいくつも収められている。それらは、地球上では見られない生物形態を誇示するように展示されていた。


 その中の一体は、全身を甲殻に覆われた巨大な昆虫に見えたが、腕状の付属肢には金属質の鋭い刃が備えられていた。どこか〈インシの民〉の戦士階級にも似た特性を持っているような気がした。


 別の剥製は、骨格が透けるほど薄い皮膜で覆われた巨大な翼を持つ鳥類のようだった。どれも死んでいるはずなのに、まるで今にも動き出しそうな錯覚に陥る。


 剥製の列を抜けた先には広い空間が用意されていて、その中央に目を引く装置が鎮座していた。それは金属で構成された楕円形のフレームを持つ装置で、無数のケーブルや管が絡みつくように接続されていて、さながら機械の神経網を思わせる複雑な構造をしていた。


 そのフレームの中央には、まるで門のように空間がぽっかりと開いている。

『……異種文明のワープ装置かしら?』

 ペパーミントがつぶやく。


 確かにソレは、星々の間をつなぐ〝スターゲイト〟のようにも見えた。けれどソレから感じる威圧感は、ただの科学技術の産物というにはあまりにも異質だった。フレーム全体が微かに脈動しているように見えるのは、単なる錯覚だろうか。


 近づくと、門の内側からささやき声が響いてくる。その声には奇妙なリズムがあり、まるで幼い子どもが耳元で秘密を囁いているようにも聞こえた。そこでハッとして装置から離れた。どうやらこの装置は、まだ生きているようだ。無闇に近づかないほうがいいだろう。

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