第882話 コンシェルジュ
エントランスホールにたどり着くと、強化ガラスのパネル越しに戦場の光景が広がっているのが見えた。
〈ウェンディゴ〉が迫りくる敵の大群に応戦していて、鋼鉄の脚が地面を
かつては都市の秩序を守るために設計されたであろう兵器たちが、今は無慈悲な破壊者として我々を排除しようとしている。
ウェンディゴが発射したミサイルは敵群を粉砕し黒煙を巻き上げるが、その煙の向こうから新たな敵が湧き出るように姿を見せる。激闘は熾烈を極めている。
すぐに掩護が必要になるだろう。そう思って足を踏み出そうとしたときだった。耳をつんざく警報音が鳴り響く。するとエントランスホールの照明が落ちて、光源は赤色の非常灯だけになる。
「カグヤ、どうなってるんだ!?」
天井の明かりが消えると同時に、ガラスパネルを保護するためのシャッターが音を立てて次々と降りてくる。金属の壁が視界を覆い尽くし、外の景色が一瞬で見えなくなり、非常灯の不気味な赤い光だけが空間全体を血のように染める。
『どうしても外に出さないつもりだね』
苛立ちを覚えながらも、すぐに〈ショルダーキャノン〉を形成する。
弾薬を〈貫通弾〉に切り替えると、間髪を入れずに数発発射する。けれど質量のある弾丸がガラスに直撃する瞬間、その表面にハニカム構造のシールドが浮かび上がる。その薄膜は弾丸の衝撃を完全に吸収し、ガラスに傷ひとつ付けられなかった。
〈人工島〉のカジノホテルでも使用されていた特殊な強化ガラスが使われているようだ。すぐに攻撃を中断して、周囲を見渡す。シャッターと強化ガラスに囲まれたホールに出口は見当たらない。脱出のために出入り口を操作できるデバイスを探そうと歩き出した瞬間、耳障りな警報が鳴り響いた。
「今度は何だ!?」
赤い非常灯の薄明りのなか、天井からヌルリと無機質な機械が次々と降りてきた。よく見ると、警備用に設置されていた過剰なまでの兵器〈
砲口がこちらを捉える瞬間、ほとんど反射的に頭部を守るように腕を交差して、タクティカルスーツを即座に硬化させる。瞬く間にスーツは鋼鉄の彫刻のように固定される。
つぎの瞬間、銃弾の嵐が大気を引き裂く。大口径の弾丸がスーツに直撃するたび、鋼鉄を叩く鈍い衝撃音が身体を貫く。振動が内臓まで伝わり、思わず顔をしかめて歯を食いしばった。全方向からの射撃に耐えつつ、わずかな隙を狙い反撃のタイミングを計る。頭の中で時間が引き延ばされるような感覚が広がり、緊張が頂点に達していく。
激しい銃撃が続けられるなか、タクティカルスーツの硬化機能は命綱となっていたが、その代償としてスーツは金属の塊と化して一歩も動くことができない。
すると視界の端にテンタシオンがやってくるのが見えた。光学迷彩を使用しているのか、まだオートキャノンに検知されていないようだった。
そのテンタシオンの本体でもある頭部の球体が回転すると、天井に展開された複数のオートキャノンが標的としてタグ付けされていく。すると複雑な変形機構を伴いながら胴体下部に搭載されたビーム砲――あるいは〈荷電粒子砲〉が展開されていくのが見えた。
砲身の周囲に見られる青白い電光は、異常なエネルギーの集積を示していた。その威圧的な光景に息を飲む間もなく、砲身が急激に発光し始める。
そして閃光がほとばしる。視界が真っ白に塗りつぶされ、一瞬、鼓膜を引き裂くような轟音と大気を震わせる衝撃波が空間全体を包み込む。雷光を思わせる眩い閃光のあと、衝撃波と熱波が周囲に襲いかかり、空気中に微かな金属臭が立ち込める。
その閃光の直撃を受けたオートキャノンは、もはや跡形もなく消滅してしまう。凄まじいエネルギーによって天井は熔解し、赤熱し液状化した金属が流れ落ちていく。
テンタシオンはそのまま攻撃を継続し、オートキャノンに照準を合わせ、連続的に〈荷電粒子砲〉を発射する。閃光と轟音が繰り返されるたびに、我々の脅威は排除され、眩い閃光が空間を支配していく。
最後の砲塔が破壊されて静寂が訪れると、硬化していたスーツを解除して、ようやく身体を動かせるようになった。肩を回して筋肉をほぐす間もなく、背後から不気味な声が響いてきた。ゾンビめいた人擬き特有の喉から絞り出したような悲鳴だ。
振り向くと、長い通路の向こうに無数の影が這い出してくるのが見えた。旧文明の装備を身につけた人擬きは、かつての人間だった面影をわずかに残しながらも、その肉体は腐敗し異形の存在に成り果てていた。
テンタシオンの支援に感謝したあと、すぐにライフルを構える。非常灯の赤い光が無数の影を浮かび上がらせていく。
弾薬を〈自動追尾弾〉に切り替えると、引き金に指をかけ、フルオートで銃弾を撃ち込んでいく。〈シールド発生装置〉を携行している個体がいることは分かっていたので、〈ショルダーキャノン〉から〈貫通弾〉を撃ち込んでいく。
銃弾の雨を浴びた人擬きの身体は四散し、廊下には内臓や肉片が無造作に散乱していく。腐敗した血液が鉄錆のような臭いを放ち、腐敗液と血しぶきが飛び散っていく。それでも人擬きの群れは執拗だった。それはまるで、宗教画で見られる地獄の光景を切り取ったかのようでもあった。
ある程度の敵を無力化したあと、テンタシオンに視線を送る。意図を察してくれたのか、彼は胴体下部の兵器を再起動させた。
テンタシオンが人擬きの相手をしてくれている間、私は脱出する手段を探るべくコンシェルジュデスクに向かう。すると目の前に青白い光が瞬き、ホログラムが投影される。
そこに姿を見せたのは、完璧に整った容姿を持つ背の高い青年だ。仕立ての良いスーツを着たその姿は、一見すると親しみやすそうだが、その表情はどこか不機嫌そうに見えた。こちらに敵意を抱いているのか、それとも、この状況そのものに対して不満をもっているようだった。
「すぐに外に出たい」
こちらの率直な要求に、彼は顔色ひとつ変えず冷ややかに応じた。
『申し訳ありませんが、それは許可されていません』
抑揚のない口調の裏には、ディフェンスAIによる明確な妨害の意図が透けて見える。
じっと青年の目を見つめたあと、別の方法を試すことにした。
「それなら、こうしよう。この
コンシェルジュの青年は一瞬戸惑ったよう表情を見せたが、興味深そうに片眉をあげると、何かを察したような笑みを浮かべる。
『それでは、あなたは私の〝お客さま〟ということでよろしいですか?』
「ああ、そういうことだ」
すると青年の雰囲気が一変し、親しみのある表情になるのが分かった。
『お部屋はどのようなものをご用意いたしましょうか? どの部屋も〈データベース〉と接続され、あらゆる種類のエンターテインメントを用意しております。ご希望の階とランクを指定してください』
ちらりと戦闘を続けていたテンタシオンを見る。
「連れがいるから、一番大きな部屋を頼みたい」
ホログラムの青年は一瞬だけ目を細め、それから満足そうにうなずいた。
『でしたら、最上階の〈タワー・スイート〉でございますね。この部屋の特徴は――』
「そこでお願いするよ」
三次元の部屋の間取り図が目の前に投影されると、広大な空間と豪華な内装を誇るスイートルームの詳細が示されるが、余計な情報に気を取られる余裕はない。すぐに料金を確認して支払いの段階に進めてもらう。
『では、お部屋の準備をしますので、用意ができましたらお知らせします。それまで、他に何か必要なものはありますか?』
「近くの公園で時間を潰したい、扉を開いてもらえるか?」
青年は、まるでその言葉を待っていたかのような笑みを浮かべる。
『もちろんです。我々はお客さまのことを何より大切にしていますので』
建物のロックダウンが解除されると、シャッターが次々と開放され、エントランスホールに照明が灯っていくのが見えた。
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