第881話 追いかけっこ


 手足の感覚がじわじわと戻っていくにつれて、指先がピリピリと痛むような違和感を覚える。意識が鮮明になってくると、周囲の暗がりがハッキリとした形を成していくように感じた。すぐに立ち上がると、カグヤと連絡を取る。


「現在の状況を教えてくれ」

 幸いなことに彼女との接続は切断されていない。


『ディフェンスAIは侵入者を捕らえようとして躍起やっきになってるみたい。すでに〈ウェンディゴ〉に攻撃部隊が送り込まれていたけど、その数が増えている。ペパーミントが応戦してるけど、すぐに浮遊島から脱出したほうが賢明なのかも』


 ペパーミントから受信した映像を確認すると、警備用の機械人形や多脚車両に包囲されて銃弾が飛び交い、あちこちで爆発が起きているのが確認できた。思っていたよりも、ずっと事態は深刻のようだ。すぐに彼女の掩護に向かったほうがいいだろう。


 無人のゲームセンターに足音が響く。誰もいないはずなのに、背後の暗闇に何かが潜んでいるような奇妙な感覚がして、振り返るたびに冷たい空気がまとわりついてくる。階下に向かうエレベーターのコンソールパネルを操作するが、ディスプレイが点滅するだけでエレベーターが動く気配はない。


「この建物から逃がさないつもりなのかもしれないな……」


 テンタシオンが無理やり扉をこじ開ける。鈍い金属音が響いて、火花を散らしながら扉が開いていくと、暗闇の底に続くようなエレベーターシャフトが見えた。シャフト内部に点々と赤い警告灯が灯り、そのわずかな光で微かに見える太いケーブルや壁の質感が不気味さを演出しているように見えた。


 一瞬、躊躇ためらいが頭をよぎるが、すぐにその考えを振り払う。義手を変形させてグラップリングフックを起動すると、シャフトに向けて発射する。鈍い金属音が聞こえると、フックが確実に固定されたのか確かめるためにワイヤーロープを何度か引っ張る。


「行こう、テンタシオン」

 短くつぶやいたあと、暗闇に向かって飛び降りる。


 冷たい風が頬を切り裂くように吹き抜け、暗闇の中を急降下する感覚が全身を貫く。相当な高さがあるのか、ワイヤーロープがピンと張りつめて肩に衝撃が走る。そのまま身体を揺らしながら近くの壁に手を伸ばして、何とか身体を固定できる場所を見つけると、上方のフックを外して、素早くロープを巻き取ったあと目の前の壁にフックを発射する。


 するとテンタシオンが命綱もなしに、凄まじい速度で落下していくのが見えた。何か考えがあるのだろうと思っていたが、下階のプラットフォームから凄まじい衝撃音が響いてくる。どうやら何も考えていなかったようだ。とにかく、すぐにあとを追うことにした。


 ある程度の距離まで下降すると、フックを外して下層に着地する。膝に鈍い痛みが走るが、義肢が衝撃を吸収して痛みを和らげてくれる。足元の鉄板は凹んでいて、テンタシオンが落下したときに発生した衝撃が容易に想像できた。そのテンタシオンは無事だったのか、ライフルを手に周囲の警戒をしてくれていた。


 するとカグヤの声が内耳に聞こえた。どうやら、複数の人擬きが接近してきているようだ。おそらく、旧文明の装備で固めた警備隊だろう。


 拡張現実で表示された監視カメラの映像を確認すると、タクティカルヘルメットやらボディアーマーを装備し、レーザーライフルや近接武器を手にした状態で変異した人擬きが猛然と駆けている様子が確認できた。厄介な状況だ。


 おそらく、ディフェンスAIがドローンや警報器を使って、我々がいる場所に向かって器用に誘導したのだろう。敵意に満ちた計画性のある動きに感心するが、急がなければいけない。人擬きに時間をかけている余裕はない。


 エレベーターシャフトから出ると、吹き抜け構造の広大な空間に出る。薄暗い照明が木材を模した壁面パネルをぼんやりと照らしていて、その先で異様な影がうごめいているのが見えた。


 視線の先を拡大表示すると、通路を埋め尽くほどの人擬きの大群が見えた。動きに統一性はないが、こちらに向かって駆けてくる様子は、昔ながらのゾンビ映画を思わせる。


 すぐにライフルのストックを肩に引き寄せると、慌てることなく狙いを定める。小気味いい銃声とともに数発の銃弾が発射され、人擬きの群れに向かって一直線に飛んでいく。けれど銃弾は人擬きの周囲に展開されていた不可視の障壁に弾かれ、軌道をそらされてしまう。


「やっぱりシールド発生装置を装備しているか……」

 変異体のすべてが携行可能な〈シールド発生装置〉を身につけているわけではないが、厄介なことに変わりない。


 すぐに〈ハガネ〉が反応して〈ショルダーキャノン〉が形成される。先頭を走る人擬きがタグ付けされていくと、ほとんど自動的に照準が合い、砲口が小刻みに動くのが分かった。


 そして甲高い金属音を立てながら〈貫通弾〉が発射される。質量のある飛翔体が警備隊のシールドに衝突した瞬間、周囲にハニカム構造のエネルギーの膜が広がるのが見えた。しかし衝撃に耐えきれなかったのか、シールドを貫いた〈貫通弾〉は人擬きに直撃し、そのまま破壊していく。


 凄まじい破壊力に人擬きの身体は中心からじれ、渦を巻くように引き裂かれていく。白く濁った人工血液やら内臓、〈サイバネティクス〉の破片が宙を舞い、周囲の人擬きに叩きつけられていく。その衝撃力は凄まじく、後方から迫っていた人擬きも巻き添えにしていく。しかし、その凄惨な光景に見とれている暇はない。


 気がつけば広大な区画は人擬きの群れで埋まり、先ほどの攻撃で刺激してしまったのか、怒り狂ったような勢いで突進してくる。重い足音が響き渡り、その数はむしろ増えているように思える。


 するとテンタシオンが前に進み出て、肩と脚部に装着されていたミサイルコンテナを群れに向けるのが見えた。つぎの瞬間、閃光と煙の尾を引きながら次々と小型ミサイルが発射されていく。通路に爆発音が轟いて、フロア全体が揺れたように感じられた。爆発によって薄闇が照らし出されるたび、人擬きの肉体が引き裂かれていくのが見えた。


 テンタシオンは何の躊躇もなく補充していたミサイルを全弾撃ち尽くしてしまう。戦うことそのものを楽しんでいて、補給の心配などまるで考えていないようだった。やはりトゥエルブの兄貴分なのだろう、その好戦的な性格は似ている。


 彼はそのまま爆発で舞い上がった粉塵の中に足を踏み入れると、すぐにライフルを構え、シールドを装備していて無力化できなかった個体に次々と銃弾を浴びせていく。至近距離で銃弾を受けた人擬きの頭部は破裂し、地面に崩れ落ちていく。


 通路は血液や内臓、それに千切れた四肢で埋め尽くされ、まるで地獄絵図のようだった。足元では潰れた頭部から体液と腐敗した脳の一部が飛び出していたが、テンタシオンは気にすることなく踏み潰していく。


 私もライフルを肩に引き寄せると、人擬きを処理しながら進んでいく。天井からは血液やら内臓の一部が滴り落ちていて、腐肉を踏みしめる嫌な感触がしていたが、そのまま進み続ける。


 やがて居住フロアから直接下層につながるというエレベーターが見えてくると、容赦なく〈貫通弾〉を撃ち込んで扉を破壊する。炸裂音とともに扉の残骸が飛び散る。ディフェンスAIに妨害されることは目に見えていて、エレベーターが来ないことは分かっていた。


 そのまま躊躇うことなくエレベーターシャフトの中に飛び込む。やはり相当な高さがあるのか、視界の端で鉄骨が凄まじい速度で通り過ぎていく様子が見えた。足場が近づいてくるのが確認できると、義手からグラップリングフックを発射した。


 ワイヤーロープで落下の勢いを殺すと、そのままフックを外して足場に着地する。わずかな衝撃音が周囲に響いたが、落下の衝撃そのものを和らげることができた。そこにテンタシオンが勢いよく落下してきて、凄まじい轟音を響かせる。音を立てないように慎重に着地したつもりだったが、無駄になってしまった。


 続けて何かが落下してきて、体液やら何やらを撒き散らすように破裂する。どうやら落下してきたのはテンタシオンだけではないようだ。次から次に人擬きが落下してきて、衝突と共にグチャグチャに破裂していくのが見えた。すぐにエレベーターシャフトを出ると、エントランスホールに向かって駆け出す。

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