第878話 アンチウイルス
キノコ雲を眺めながら呆然と立ち尽くしていると、カグヤの声が内耳に聞こえた。
『上手くいったみたいだね。しばらくの間、ディフェンスAIは機能しなくなるから、今のうちに目的のデータを手に入れよう』
どうやら彼女との接続が切断されていた間も、〈
あれだけの破壊が行われたにも
これが〈仮想空間〉だということは理解していたが、それでも奇妙な感覚を抱いてしまう。異常ともいえるほど完璧に再現されていた世界が、急に
破壊の余波で奇怪にねじれた風景を見渡しながら、完全な秩序の中にあった世界が壊れ始めていることに気がついたが、気を取り直して先に進むことした。
ペパーミントは進むべき道を知っているのか、先頭を切って歩き出す。我々の周囲には彼女が呼び出した複数の〈ツチグモ〉が展開していて、護衛のための陣形を組んで進む。その機械的な脚の動きが、のどかな草原に不気味なリズムを響かせていた。
その一方で、腕に絡みつく〈生体兵器〉の鈍痛がひどくなっていたが、カグヤがシステムの一部を掌握したおかげで痛覚が制御され、徐々にその痛みも引いていく。
得体の知れない触手が体内に侵入してくる不快感が消えると同時に、張り詰めていた緊張が薄れるのを感じた。けれど〝宇宙の戦士〟を思わせるペパーミントは、真剣な面持ちで前方を睨んでいて、まだ油断できない状況なのだろう。
ディフェンスAIは先ほどの攻撃で一部の機能を停止していたが、自律型の〈アンチウイルスソフトウェア〉が潜んでいると考えているようだった。用意周到に設計された〈仮想空間〉だ。どのようなセキュリティが仕掛けられていてもおかしくない。
そして静寂を破るように、どこからともなく鋭い音が耳を刺す。小さな物体が亜音速で飛来してきたかと思うと、シールドを展開する間もなく、護衛の多脚車両に突き刺さって貫通していく。その直後、爆音が響き渡り、車両が激しく爆散するのが見えた。衝撃で地面が揺れ、土埃が舞い上がり足元がぐらつく。
フェースシールドが自動的に敵の位置を捉え、拡大表示される。そこには奇妙な光景が映し出されていた。牛に寄生したと思われるグロテスクな〈異星生物〉が、こちらに向かって〈生体兵器〉らしきモノを構えているのが見えた。
牛の背中に無数の触手が生え、寄生された身体が不自然に膨れ上がり、まるで別の生物に変貌したかのような異形がそこにいた。額に形成された大きな眼は獲物を探すように、ぎょろぎょろと動いている。
次々と強力な飛翔体が撃ち込まれ、鋼鉄の装甲を貫きながら車両が破壊されていく。大気を震わせる爆発音が続き、炎と黒煙が周囲に立ち込める。その熱風と衝撃が草原を焼き、焦げた痕跡を残していく。我々の周囲にバリケードが設置されるが、ほとんど役に立たないだろう。
そこに自律型の多脚榴弾砲が姿をあらわした。光の粒子によって形成されていく軍用規格の車両は黒光りする重厚な装甲に包まれ、機械的な脚で大地をしっかりと捉えている。カグヤの支援だろう。長い砲身が動いて遠くにいる標的を捉えるたびに、低く唸るような音を発し、次の瞬間には閃光とともに砲弾が放たれていた。
砲弾は空を切り裂くように飛翔し、異形の生物が潜む草原の向こうに消えていく。しかし動き回る標的に直撃させるのは難しいのか、砲弾は幾度となく標的の近くに着弾することになった。
それでもその破壊力は恐るべきもので、着弾地点に巻き込まれた異形の生物は凄まじい爆風と破片によって身体を引き裂かれていく。内臓めいた触手に覆われていた胴体はズタズタに裂け、内臓や触手が肉片となって宙を舞う。
着弾地点の草原は爆風により大地が
けれど安堵する間もなく、今度は上空から無数の影が降り注ぎ始めた。最初はただの鳥の群れに見えたが、その動きはあまりにも異様で、明らかに我々を標的にしていた。多脚車両の装甲にぶつかった瞬間、ソレは眩い閃光と共に爆発を引き起こしていく。轟音が次々と響き渡り、車両は激しい衝撃で破壊され、火花と黒煙が立ち昇っていく。
熱波に顔をしかめながら視線を上げると、別の群れがこちらに向かってくるのが見えた。視線の先を拡大表示すると、小さな身体に異形の触手が絡みつき、どこか不自然に膨れ上がっているのが見えた。それはもはや鳥ではなく、寄生された新たな生物にも見えた。
どうやら、この世界に存在するすべての生物が我々を排除しようとしているようだ。榴弾砲は間断なく砲撃を続けているが、敵の数は減るどころか増え続けているように感じられる。ディフェンスAIが機能していないのが嘘のようだ。
状況はますます悪化していく。鳥の群れは留まることを知らず、空は黒い影で覆い尽くされるほどだった。鳥たちは執拗に我々を追尾し、我々の頭上から次々に降り注ぐ。理屈は分からないが、衝突のたびに爆風が響き渡り、土埃と肉片が飛び散る。
「出口を見つけた!」
ペパーミントの声が掻き消されてしまうほどの爆発音のなか、我々は破壊された戦闘車両を後にして駆け出した。
硬い地面を蹴るたびに、腕に食い込む触手が動いて不快感が広がっていく。痛みはなかったが、その気色悪い器官を見ているだけで嫌な気分になる。
「急いで!」
ペパーミントのあとを追いかけている間も、上空からの攻撃を避けるために何度も左右に動きながら、寄生生物の自爆から逃れる必要があった。一瞬でも判断が遅れてしまえば、あの奇妙な爆発に巻き込まれてしまうのは明らかだった。
そんな中、視線の先に異様なモノが見えた。緩やかな起伏が続く草原に、ぽつんと扉が立っていた。扉枠は古びた木製のように見え、周囲には何も存在しない。
「アレが目的地だよ!」
ペパーミントが指差すその扉の周囲は、不自然なまでに静かで〈異星生物〉の姿も見られなかった。あるいは、あの扉は我々にしか見えていないのかもしれない。
息を切らしながら扉にたどり着くと、彼女は
「レイ、走って!」
背後では敵の影が迫り、爆音が耳元で鳴り響く。もはや選択の余地はなかった。
彼女が最初に白い空間に向かって飛び込むと、その後を追うように扉の向こうに身を投げる。一瞬、身体が無重力の中に放り出されたような感覚がして、周囲の音がすべて遮断された。爆発音、風切り音、すべてが消え、代わりに耳鳴りのような低い音だけが響く。
次の瞬間、すぐ背後で扉が重い音を立てて閉じた。振り返った先には、草原も寄生生物も、もう何も存在していなかった。
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