第875話 異星生物〈敵性研究員〉
我々の目の前にあらわれた清潔な空間は、先ほどまでの農家とは異なり、まるで異世界に足を踏み入れたかのような感覚を抱かせた。階段のステップは磨き上げられ、汚れや染みひとつない。もはや獣臭さは感じられず、つめたく澄んだ空気が漂い、不気味な音も聞こえず静まり返っている。
階段を下った先には先進的な扉が設置されていて、赤色のレーザーに頭から足の先までスキャンされていく。嫌な緊張感に包まれ、今にもセキュリティが警報を鳴らしてしまうのでは、といった錯覚を起こす。しかし何事もなく、短い電子音のあと扉のつなぎ目が滑らかに奥に引き込み、短い廊下が姿をあらわした。
廊下に足を踏み入れると、壁面に設置された間接照明が控えめに点灯し、導かれるように奥の空間に向かって進む。途中、鋼鉄製の厚い隔壁が立ちはだかるが、ソレは我々の存在を検知すると、蒸気を噴出しながらゆっくりと開いていく。その隔壁を通り過ぎた途端、背後で鋼鉄の塊が音を立てながら閉じていくのが分かった。なんとも厳重な仕掛けだ。
目の前には無機質で広大な空間が広がっていた。つめたい金属の光沢とガラスに覆われていて、旧文明の技術が詰まった設備が整然と並べられている。各作業台ではホロスクリーンが投影され、奇妙な形状の実験装置が配置されている。
高い天井には無数の換気ダクトが張り巡らされ、冷却ファンの低い音が微かに響き渡る。ふと、何かが照明器具の間を横切るのが見えた。配達ドローンが縦横無尽に空間を飛行し、各所に部品やら何かを運んでいる。ドローンは不気味なほど無音で、時折緑や赤の光を放ちながら滑らかに飛び交っている。
空間の構造と完璧に設計された秩序。〝いかにも〟という感じの空間だったが、ここが技術者の研究所として機能しているのは、もはや疑う余地もないだろう。
どこかにデータを保管するファイルサーバーがあるはずだ。我々は整然とした研究所を警戒しながら進んでいく。作業台のそばに設置された装置の間を抜け、無数のホロスクリーンが煌々と点灯する部屋の中央を横切りながら歩く。
この〈仮想空間〉を創り上げた技術者なら、思考だけで必要なものを目の前に出現させることも可能なのかもしれない。しかし我々はこの世界に属さない侵入者なので、地道に自分の足を使って目的のモノを探すほかない。
やがて照明を反射するガラスパネルに囲まれた部屋が視界に入る。そこに設置されているサーバラックの列がぼんやりと見えてくると、空気の中に冷たい機械的なニオイが漂っていることに気がつく。
どうやら目的のモノを見つけたようだ。ペパーミントは「やれやれ」といった表情で、どこからともなくスティック型の〈クリスタル・チップ〉を取り出す。彼女はそれをサーバーのインターフェースポートに迷いなく挿し込むと、装置に備え付けられていた薄型のガラスキーボードを使って目的のファイルを検索する。
いくつかの装置が起動すると、ファンが回転する微かな音が聞こえる。サーバー内部のデータが次々と展開されているのか、ホロスクリーンに複雑なコードの羅列が高速で流れていく。どうやら次世代の小型核融合装置に関するファイルを見つけたようだ。
ふと視界の隅で警告ランプが灯ったのが見えた。まるで熱を帯びた血流のように、ソレハゆっくりと点滅している。その色は鮮やかな赤色で、サーバルームに不吉な影を落とす。我々の侵入を検知したセキュリティか、それとも単なる装置の反応なのか、ペパーミントは気にせず作業を続けていた。
一抹の不安を抱きつつも、サーバルームの外に足を向ける。そして目の前に広がる光景に思わず息を呑む。そこには、まるで異形の生物たちの実験場に迷い込んだかのような、異様な光景が広がっていた。
研究員を模したデータの集合体だろうか、人間に雑じって作業している〈異星生物〉の姿が見えた。見渡す限り、多種多様な〈非人間知性体〉が熱心に解析作業を続けている。彼らは一心不乱に、プログラムされたかのような同じ動作を繰り返していて、ひどく不気味ですらあった。
二メートルを優に超える背丈の研究員は、金属質の義肢を装着し、その重量に耐えるための外骨格に覆われていた。肌の色は灰色で、体表には無数の深い溝が刻まれ、まるで岩肌のように硬そうだった。光を反射する白目が不気味に浮かびあがり、どこを見ているのかも分からない。
そのすぐ横では、甲殻類を思わせる多脚の〈異星生物〉が鋭利なハサミで金属部品をつかみ、精密な動きで組み立て作業を行っている。その外殻は鉱物のように光を反射し、鈍い紅色に輝いている。重厚でありながら、柔軟に動く脚を備えている。彼らの触角は空間を探るように小刻みに動いていて、周囲の空気を舐め取るかのように振動している。
口元にある複雑な構造の顎がせわしなく動き、奇妙な発光を伴う
通路では触手を持つ不定形の生物が――まるで水面を漂うクラゲのように
無数の触手は作業台に備えられた装置やコンソールに絡みつき、まるで生きた神経のように微細な動きで発光しながら、情報を取り込んでいるかのように動いている。それらの〈異星生物〉が行っている作業の詳細は不明だったが、各々が独自の技術や経験に基づいて動いていて、やはりその動きには一切の迷いが見られなかった。
そのすべてが〈仮想空間〉内のデータに過ぎないと分かっていても、背筋が凍るような奇妙な感覚を抱いた。まるで本物を見ているかのような圧倒的な存在感があるのだ。これが単なるデータに過ぎないと言われても、それを受け入れるのに時間が必要だった。
その異様な光景をペパーミントに見せようとして振り返ると、そこにあるはずのサーバルームが蜃気楼のように消え去っていた。彼女の姿も、キーボードを叩く音も、すべてが幻だったかのように跡形も消滅していた。
冷やりとした感覚が背筋を駆け上がり、急に身動きが取れなくなる。なるほど、これがディフェンスAIの仕掛けた罠なのだろう。〈仮想空間〉ならではの幻影か、あるいは出口のない迷宮に姿を変えたのかもしれない。
再び視線を戻すと、〈異星生物〉たちが作業の手を止め、無言でこちらを見つめていることに気がついた。さっきまでの雑然とした作業の音は嘘のように消え失せ、ただ圧倒的な静寂が支配していた。
作業に没頭していたはずの彼らは、まるでプログラムが変更されたかのように、全員が私のことをじっと見つめている。その無表情な顔に宿るのは、興味か、それとも侵入者である私に対する敵意なのかもしれない。
そしてその沈黙を破るかのように、そのうちの一体がゆっくりと腕を持ち上げ、異星文明のプラズマ兵器らしきモノをこちらに向けるのが見えた。
その動きは一瞬の
とんでもない破壊力だ。まともに攻撃を受けてしまえば、データの欠片すら残らないだろう。すぐに立ち上がると、〈異星生物〉たちが一斉に動き出すのが見えた。カタカタと無数の脚を動かす音と甲高い金属音が混じり合い、異形の大群が波のように押し寄せてくる。
甲殻類の硬い外骨格が照明に反射し、巨大な人型生物の眼が冷たく輝き、触手を持つ不定形の生物はうねる触手を無数に伸ばしながら、次々と進路を遮ってくる。襲い掛かってくる異星生物たちの大群から逃れるべく、私は息を整える間もなく走り出した。
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