第873話 ガンラック〈サキモリ・シリーズ〉


『準備ができたよ』

 カグヤの声が内耳に聞こえたかと思うと、周囲の暗闇が突然、真っ白な空間に変化する。


 目の前に果てない広大な空間が広がり、まばゆい光に思わず目を細める。それはどこか現実味のない、完璧に均一で曇りひとつない広大な空間で、自分がどこに立っているのかさえ分からなくなりそうだった。


『ねぇ、レイ。ちょっと危ないから、一歩だけ前に進んでくれる?』

「危ない?」


 彼女の意味深な言葉に首をかしげながらも、一歩前に踏み出す。その瞬間、遠くのほうから何かが凄まじい速度で接近してくるのが見えた。風を切り裂くような鋭い音が耳に届き、視界の端で大気が揺らめくのを感じる。


 その〝何か〟が近づくにつれて、それが整然と並ぶ無数のガンラックだと分かる。それは計算され尽くした機械の動作ように正確無比で、無駄のない動きで接近してくる。


 直後、数え切れないほどの武器が収められたガンラックやら何やらが目の前で停止する。圧倒的な数と種類の武器が揃っていた。銃火器、エネルギー兵器、高周波ブレード、ナノテク素材の防具に至るまで、無限とも思えるほどの選択肢が目の前に並ぶ。


 白い空間で金属質の武器が冷たい輝きを放つ。ふと手を伸ばすと、自分の手に向かって武器が引き寄せられるような錯覚に襲われる。どうやら頭のなかで欲しい武器を思い描くだけでいいようだ。多目的ライフルを思い浮かべると、目の前の棚が高速で入れ替わり、ライフルが収められたガンラックが出現する。


 装備の項目を選択するためのホロスクリーンが浮かび上がり、武器の種類、予備弾倉、追加装備オプションの一覧が表示されていく。


 そこに〈電脳空間サイバースペース〉に侵入してきたペパーミントの〈アバター〉が――あるいは〈アイコン〉と呼ばれるネットワーク上で使用されるユーザーの分身――が姿を見せる。彼女の容姿をもとにしていたが、彼女が選択した〈アバター〉は、宇宙軍に所属する兵士に支給される〈サキモリ・シリーズ〉で知られた肉体だった。


 その背丈は二メートルを優に超えていて、均等の取れた肢体に筋骨隆々とした体格は並みの人間とは一線を画している。肌は白練色しろねりいろで、ある種の透明感すら感じさせる淡い白い肌だった。近くで見ると微かに発光していて、まるで植物の葉脈のような微細な模様が浮かび上がっているのが確認できた。


 この色合いは、光合成を行えるように組み込まれた葉緑体やら何やらの所為せいだという。酸素と二酸化炭素の利用効率を高めるために設計されていて、激しい活動に耐えられるようになっている。加えて、体内に流れる血液の所為でもあるのかもしれない。


 人工血液には無数のナノマシンが含まれていて、汚染物質や毒、未知のウイルスに対する防御機能が備わっている。小さな傷であれば自己治癒によって瞬時に傷口が塞がれるようになっていて、その肉体は自己完結した防御システムとして成立していた。


 彼女が身につけていた装備も特徴的で、素肌が透けるほどのピッチリと密着したスキンスーツを身につけていた。そのスーツは第二の皮膚のように彼女の身体にフィットし、軽やかな動きと保護を両立させる素材で造られていた。そこに頑丈なフレームのみで構成された強化外骨格を装備していたが、外装はまだ装着されていない。


 それについて質問すると、今から装着するのだとペパーミントは言う。


 彼女が見慣れない装置の中心に立つと、無数のマニピュレーターアームが展開されるのが見えた。彼女の身体はしっかりと装置に固定され、金属の腕がゆっくりと彼女の周囲で動き出す。それぞれのアームには異なる形状の装甲板や小さな装置を取り付けるためのツールが備わっていて、次々と外骨格にプレートと装着していく。


 機械の動きは驚くほどの精度で、装甲が彼女の身体に密着する瞬間には小さな振動すら起きない。肩部から胸部にかけての保護プレートが慎重に取り付けられていくのが見えた。それらのプレートには特殊な合金がつかわれ、衝撃を受けたさいに一時的に液化することで、微細な凹凸をつくり出すことができた。


 この技術によって衝撃を吸収し、従来の金属よりも遥かに高い防御力を発揮することができた。装甲は細分化されていて、それぞれにシールドを発生させる機能を備えていたので、〈異星生物〉が使用する未知の兵器に対抗できるように設計されていた。シールドは彼女の体表面を薄い膜のように包み、物理的な攻撃にも対応していた。


 頭部にも同様の素材が使われたタクティカルヘルメットが装着される。その前面には特殊なタクティカル・バイザーを備えていて、彼女の顔が透けるようにして見えていた。


 このバイザーには多脚車両の装甲や全天周囲モニターに使われている技術が応用されていて、戦場において完全な視界を確保することができた。またバイザーの透明度は瞬時に切り替え可能で、彼女の思考で、自在に変化する。それに加えて、動体検知やナイトビジョン、〈データベース〉に接続された高度なHUDなども搭載されていた。


 アームが最後のパーツを装着し終えると、彼女の姿は、旧文明以前の人々が思い描いたような〝宇宙の戦士〟に変わる。強化外骨格と装甲が一体化した姿は威圧的で、戦うためだけに生み出された兵士なのだと分かる。


 強化外骨格に身を包んだからなのか、ペパーミントが近くまでやってくると、数字で示される背丈よりも大きく感じられた。


「あれ?」と、彼女は悪戯いたずらっぽい表情で私を見下ろす。

「〈不死の子供〉たちは、もっと大きいのかと思った」


 彼女の言葉に「やれやれ」と肩をすくめる。


 現実の世界よりも装備が充実しているのは、ここが〈電脳空間〉だからなのだろう。こちら側の装備は、現実世界を凌駕するほど洗練され、ありとあらゆる武器が揃っていた。防具やデバイスの精度も桁外れで、整備の必要もなく、どんな脅威に対しても即座に対応できるように設計されている。


 これは現実の制約から解放された電脳世界だからこそ可能なことであり、データさえ揃っていれば、ここでは望みのモノがなんでも手に入る。思考ひとつで手元に出現する武器やガジェットなど、必要なら瞬時に構造を変えることもできた。


 準備が整うと、〈電脳空間〉に出現した扉を使って技術者が構築した〈仮想空間メタバース〉に侵入する。異様な光をまとった扉は静かに浮かんでいる。ペパーミントと視線を交わしたあと、扉の前まで歩いていく。手を伸ばして扉を開いた瞬間、視界が暗転する。すべての感覚が遮断されていくが、次の瞬間には何事もなかったかのように意識が戻る。


 視線の先に広がっていたのは、果てしない草原だった。豊かな緑がどこまでも続き、空には淡い雲が静かに漂っている。遠くには風車が回るのが見え、どこか牧歌的な雰囲気が漂っている。微かな風が吹き抜け、草の葉が揺れる音が耳に届く。


 ここが敵地だということを忘れさせるほど、平穏そのものの場所だった。上空には青空があり、現実の一部のようにも思えるが、感覚の一部に微かな違和感が残っている――その感覚は、この場所が現実ではなく、偽りの世界なのだと語り掛けていた。


「ここが理想の〈仮想空間〉なの?」

 ペパーミントが拍子抜けしたような声でつぶやく。


 我々が警戒していたような襲撃もなければ、ディフェンスAIの待ち伏せもなかった。それでも油断することはできない。デジタルの領域に目に見えない罠や脅威が潜んでいるかもしれない。しかし今この瞬間には、どこにも敵の影はなく、ただ草原の風と穏やかな空気が流れているだけだった。

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