第872話 ゲームセンター
設備がまだ機能しているのが不思議なくらい、この娯楽施設は時間に取り残されたような雰囲気を放っていた。広大なフロアは古き良き時代を彷彿とさせる賑やかな空間になっていて、無人となった浮遊島の静けさを一瞬忘れさせるほどだった。いわゆる、ゲームセンターと呼ばれる場所だったのだろう。
高い天井からは複雑に絡まったケーブルが吊り下がり、その一部は漏電しているのか、バチバチと点滅を繰り返している。その明かりが
メダルゲームやクレーンゲームなどの筐体が所狭しと並んでいて、長い年月の間に付着した
どこからともなく陽気な音楽が聞こえてきて、かつての活気を再現しているようだったが、今はその明るい旋律が施設全体の静けさと奇妙な対比をなしていて不気味だった。ホログラム広告は止むことなく投影され、新作ゲームやキャンペーン情報が空中に投影されては消えていく。
〈欲望のままに生きよう!〉といった宣伝文句が、かつてこの場所にやってきていた客たちに儚い夢について語りかけている。
その賑やかな空間にテンタシオンは警戒しながら足を踏み入れる。重武装の機械人形がゲームセンターにいるという状況も奇妙だったが、気を抜くことはできなかった。
『〈
目的の場所には整然と並べられたヘッドセット付きのイスに、高性能なカプセル型デバイスやシートが列を成していた。イスは薄い合金とカーボン繊維で作られたモノで、経年劣化は見られず綺麗な状態が保たれていた。
壁で仕切られた空間には、高機能なヘッドセットを備えた快適そうなソファーがずらりと並び、そのソファーの背もたれや肘掛けに
天井に設置されたホログラム投影機からは、〈新次元体験!〉や〈夢の世界へようこそ!〉の文字が静かに回転しながら漂っていた。
技術者が用意した専用の〈
隣接する充電室では、従業員として活躍していた機械人形たちが充電ステーションに接続されているのが見えた。カメラアイに微かな光が反射して冷たく輝くのが見えた。外装にはラクガキや意味不明な言葉が書き込まれていて、あちこちに傷がついている。それでも状態は良好なのか、今にも動き出しそうな雰囲気があった。
動体検知によって扉がゆっくりと開いていく。薄暗い部屋の中に入ると、腐食して色褪せた金属パネルや、制御端末の上に薄っすらと積もった埃が舞い上がるのが見えた。壁際に並ぶモニターはチラチラと点滅を繰り返していたが、そのほとんどが故障していて動かない。シャットダウンされることなく、今まで稼働し続けていた
カグヤのドローンが制御パネルに近づくと、モニターに緑色の文字で複数のログが表示され、どこからか微かなファンの音が聞こえてくる。
『これから、全筐体の演算処理能力をひとつに統合するね』
ドローンからケーブルが伸びて接続が完了すると、故障していなかったモニターが一斉に活気を取り戻し、文字の羅列が洪水のように流れ始める。
施設内に供給されていた電力の再配分が始まり、わずかな振動が床に伝わってくる。カグヤがシステムの操作を続けるなか、ドローンは別の制御装置のそばに移動し、内蔵ケーブルをスルスルと伸ばして接続を試みる。
『こっちからは手が出せないみたい。残念だけど、直接〈仮想空間〉内で相手をしないといけないみたい。ペパーミント、手を貸してくれる?』
『了解、接続の準備ができたら教えて』
彼女はウェンディゴのシステムを使って〈電脳空間〉に侵入するようだ。
ゲームセンターに戻ると場内は不気味な静けさに包まれていた。照明もほとんど消えていて、フロア全体が薄暗くなり、停止した筐体が行儀よく並んでいる様子が見えた。廃墟に迷い込んだような奇妙な感覚がしたが、これが本来の姿なのだろう。
カグヤが指定した筐体を探しながら奥のVIPエリアに向かうと、革張りのソファーが淡い照明に浮かび上がっているのが見えた。厚みのあるクッションが贅沢に使われ、デザインよりも心地よさが追求されていた。背もたれには滑らかな合成皮革が張られ、全身を包み込むようなフィット感があった。もしかしたら、昼寝に最適だったのかもしれない。
専用のヘッドセットは金属質な光沢を放っていて、高級感のある外装に覆われていた。その装置に触れると、装着方法を説明するアニメーションが投影される。それを見ながら慎重にヘッドセットを装着する。内側には頭部を固定するためのクッションと、精密に配置されたセンサーが確認できた。
『起動するね』
ヘッドセット起動するとシールドレンズがスムーズに展開されて、装置から発せられる青白い光から目を保護するようになる。有線でも接続できるが、〈ブレイン・マシン・インターフェース〉に信号が送信されるモデルなのだろう。
そして意識が暗闇のなかに引き込まれる感覚に包まれていく。視界は暗転し、身体の感覚が薄れていく。そのまま現実との境界が失われ、〈電脳空間〉へと没入していく。目の前に広がるのはデジタルの世界だ。
人擬きが徘徊する場所だったので不安もあったが、テンタシオンがそばで待機してくれているので、変異体の襲撃にも対応できるだろう。
真っ暗な空間に落下していく感覚は、不思議な冷たさを伴っていた。肉体がそこに存在しないことは分かっていたが、落下のさいの重力すら感じられるようだった。周囲には光も音もなく、ただ無限に広がる漆黒の虚無が広がっている。自分の存在が希薄になり、心も身体も、この闇の中に溶け込んでしまいそうなほど脆く感じられた。
その中で、ふいに微かな光が生まれた。デジタルの粒子が集まり、幾何学的な模様を描いていく。
『ディフェンスAIに対抗するための武器を準備するね。プログラムを殺すことはできないけど、その機能を一時的に無力化することは可能だから』
あちら側の世界では、空間全体が一種の舞台装置のように振る舞う。壁や床、そして空中に漂う光のオブジェクトまでもが、その空間を創造した技術者の意図に従って動き、侵入者に反応する。ディフェンスAIが我々を侵入者として認識した瞬間、その空間は牙をむくことになる。だから攻撃に備えなければいけなかった。
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