第871話 精神感応兵器


 廊下を警戒しながら進んでいると、しんと張り詰めた静寂を破るように、異様なうめき声が聞こえてくる。廊下の暗がりに潜んでいた醜悪な変異体が、ゆっくりとこちらに向かって足を引きっているのが見えた。頭部の皮膚はめくれあがり、筋繊維が異様なまでに膨れ上がったその姿は、かつての治安部隊に所属していた隊員だったとは到底思えない。


 異様に長い腕を床や壁にぶつけながら歩き、目は何も見えていないのか、白濁していて虚ろだ。湿り気を帯びた腐臭が漂い、空気は重く沈んでいる。


 そこに凄まじい速度で飛翔体が飛来し、瞬間的に展開されたシールドの薄膜に直撃する。一瞬、薄膜は衝撃で揺らいで飛翔体の動きを止めたかのように見えた。しかしソレは激しく振動しながら徐々にシールドを突き破っていく。


 その直後、ゾンビめいた変異体の頭部が破裂し、赤黒い体液が無残に飛び散り、廊下の床や壁にこびりついていく。それは隊員が身につけていた戦闘服をぐっしょりと濡らすほどの大量の体液で、一瞬にして静謐な空間を死の気配に塗りつぶしていく。


 その飛翔体は肉眼では追いきれないほどの速度で軌道を変え、空中でくるりと方向転換すると、すぐさま別の変異体に向かって飛んでいく。その軌跡には青白い光の尾が残り、一瞬の閃光が廊下を照らしていく。


 〈鬼火〉と呼ばれる飛翔体は、〈精神感応兵器〉に分類される旧文明の兵器で、思考によって操作される恐るべき武器だった。ただ意識を集中するだけで、飛翔体は思考と完全にリンクし、命令に応じた動きを瞬時に取る。敵の動きを予測するだけで、次の標的に向かい、何の障害もなく頭部を狙い撃つ。


 視線の先で〈鬼火〉は青白い電光をまとい、標的に襲いかかっていた。飛翔体の微細な動きまで自在に操る感覚に違和感はなく、手足を動かすときのように自然だった。敵の動きを読み、反射的に次々と最適な位置に誘導する。青白い光の尾が空間に残されるたび、異様な呻き声が聞こえ、直後に変異体の頭部が爆散していく。


 この兵器は思考だけで完全に制御できるものでありながら、限界を超えた精度と速度で攻撃を可能にする。そして圧倒的な反応速度は、この状況下での真価を発揮する。廊下が赤黒い体液と共に静寂に沈み込むまでの間、息つく暇もなく飛翔体は青い光を纏い、死の舞を続けた。


 脅威になる全ての変異体を排除したころには、旧文明の鋼材で形成された〈鬼火〉も役目を終えたかのように消失し、辺りには照明の微かなノイズと、変異体の痕跡だけが残されることになった。


 戦闘の余韻が徐々に薄れていくのを感じながら、テンタシオンと共に慎重に廊下を進んでいく。カグヤの偵察ドローンが先行し、暗闇に潜む気配に警戒しつつ、我々を先導してくれる。


 目的地は、〈電脳空間サイバースペース〉に接続ジャック・インするための機材が揃っている場所だ。技術者や研究員のために用意された超高層建築物メガビルディングには、かれらの多忙な生活を支えるため、単なる住居以上の機能を備えていた。


 娯楽施設に屋内運動場、贅を凝らしたレストランの並ぶフロア、さらには巨大なショッピングモールが広がり、生活に必要なほぼすべてのサービスが揃っている。彼らが研究に没頭する一方で、必要なモノを手に入れるために建物の外に出る必要は一切なく、まるでひとつの独立した街がこの建物内に存在するかのようだった。


 治安を維持するための厳重な管理体制も敷かれていて、至る所に治安部隊の事務所や詰め所が設置されている。その詰め所には、防犯カメラの映像がリアルタイムで監視できる設備が揃っていて、万が一の非常時には即座に部隊を動員できる体制が取られていたのだろう。


 各フロアはエレベーターや専用の通路でつながっていて、人々が物資や情報を効率よく共有しつつ、研究や開発に集中できるように設計されていた。


 我々が向かうのは、かつて娯楽施設として利用されていたフロアだ。そこには〈電脳空間〉に接続するための設備が設置されていて、通常は娯楽や体感型の映画館として使われていたものだ。技術者が独自に用意した〈仮想空間〉に侵入するには貧弱な機材だったが、すべての装置の演算能力を組み合わせれば、問題なく目的の場所に侵入できるだろう。


 廊下を抜けると、吹き抜け構造になっている広大な空間に出る。そこには、かつての華やかな未来都市を彷彿とさせる光景が広がっていた。空を映し出す天井は遥か高くそびえ、何層にも重なるバルコニーが優雅な曲線を描きながら空間を取り囲んでいる。


 あちこちに大小さまざまなホログラム広告が浮かび上がっているのが見えた。動体検知で次々と起動しているようだった。これらはすべて旧文明の名残だったが、鮮やかな光と色彩をまとう空間は、この場所が活気に満ちていた時代を見ているようでもある。


 ホログラムのひとつは、透明な壁に水のような波紋を映し出し、しなやかに揺れながら商品の宣伝を繰り返している。別の広告は、鮮やかな都市風景を背景にした美青年が先進的なファッションに身を包み、微笑みを浮かべて手を差し伸べている。どの広告も、見る者に何かしらの憧れを抱かせるためにデザインされていた。


 その広大なフロアには、かつてこの場所を行き交った人々の視線を魅了するように、黄金のオブジェが配置されている。それは宙に浮かぶようにして展示され、見る角度によって形状が変わるよう工夫されていた。


 警戒を解くことなくゆっくりと歩を進めながら、この煌びやかな空間を横切っていく。外の景色を映し出す壁面パネルからは、かつての栄華を物語る都市の遺構が霧に霞んで見え、建物内部の静寂さとは対照的な不気味な光景が広がっている。その間も広告は絶え間なく映し出されていたが、我々は足を止めることなくエレベーターホールに向かう。


 耳を澄ませると、微かな足音だけが無機質な空間に反響している。今のところ、変異体に襲撃される気配はなく、周囲の静けさがかえって不気味に感じられるほどだった。


 廃墟の街では見られない美しさに魅了されると同時に、長く人の手が入っていない所為せいか、薄暗く、陰鬱な雰囲気も感じられた。


 エレベーターホールに近づくと、上階に向かうエレベーターがすでに到着していた。カグヤが呼んでくれていたのだろう。周囲には半透明のチューブ状のエレベーターシャフトがいくつも並んでいる。


 そのエレベーターに乗り込む。内部はひんやりとしていて、金属光沢の壁に反射して我々の姿が映し出されていた。カグヤの操作で動き出すと、わずかな振動が足元に伝わり、エレベーターは音もなく動き出した。壁面パネルが透けると、外の景色がゆっくりと流れていくのが見える。


 無人と化した高層建築物が立ち並ぶ様子と、霧のなかで乱反射する光の筋と深い影に覆われた街並みが見える。大通りに沿って複数の施設や店舗が並び、自動運転の車両があちこちに停車しているのが確認できた。遠くに見える検問所では、武装した機械人形や多脚戦車が道路を封鎖しているのが見えた。


 しばらくすると、短い電子音が聞こえ、扉が滑らかに開いていく。薄暗い廊下と娯楽施設につながるフロアが見えていた。このフロアは静寂に包まれていて、人擬きの気配すら感じられなかった。耳を澄ませてみても、変異体の呻き声や足音は聞こえず、ただ冷たい空気が漂っているばかりだった。


 そのフロアに足を踏み入れると、天井から低く垂れ下がる美しいシャンデリアが空気中に漂う細かなほこりをキラキラと浮かび上がらせる。足元の絨毯は長い年月を経て色褪せていたが、無人となった今でも、かつての賑わいの名残を感じさせる。すぐに地図を確認したあと、目的地に向かって歩き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る