第870話 研究記録


 情報端末から取得していたファイルを閲覧していると、短い電子音が聞こえて、カグヤが〈パーソナルコンピュータ〉への侵入に成功したことが分かった。


 システムを守る〈ディフェンスAI〉は侵入者を翻弄するようにプログラムされていて、彼女の侵入を巧妙に防いできたが、これまで何度も厄介なセキュリティソフトを相手にしてきたカグヤによってついに突破される。


 電子音のあと、画面上に古いフォルダ群が表示されるようになる。すべてのファイルが暗号化されていて、ファイル名も意味を成さない文字列になっていた。特定のプロジェクトや機密情報を取り扱っていたのは間違いないようだ。その中には、技術者が密かに抱えていたと思われるプロジェクトもあるのかもしれない。


 カグヤの予想通り、システムはネットワークから完全に切り離されていたため、膨大な研究記録が消去されることなくそのまま保存されていた。


 彼女の操作でファイル名が正しいものに変更されていくと、〈シールド発生装置〉や〈重力場発生装置〉といった、旧文明の技術に関するファイルだと分かった。カグヤはドローンに指示を与え、それらのファイルを次々と取得していく。感情のない合成音声が「ダウンロード完了」を告げるたびに、我々は貴重な情報を手に入れていく。


 ダウンロードしたいくつかのファイルを確認していると、〈光子ファブリケーター〉という項目が目に留まった。ファイルには光子の流れによって物体を操作し、分子レベルで構造を変化させる技術についての記録が詳細に記されていた。この技術は〝精密に計算された光束を用いた分子構造の再編〟によって、素材の強度や形状を自在に変更できるという。


 専門的な言葉が並び、正直に言えばほとんど意味が理解できなかったが、この技術が完成すれば素材の性質を瞬時に切り替えることができるのだという。その技術は軍用車両の装甲やバリケードの構築などに応用できるというが、その技術の完成形が〈ナノファブリケーター〉なのかもしれない。


 すぐとなりのファイルに視線を移す。〈ホログラフィック・シナプスリンク〉と名付けられたファイルには、この装置が神経回路と直接接続され、視覚・聴覚を含む全感覚にバーチャルな体験を提供できるモノだと記されている。しかし同時にいくつかの問題点が指摘されていて、神経の直接干渉には慎重さが求められると警告が書き添えられていた。


 別のファイルには、脳波エネルギー集積システム〈ニューロ・リアクター・モジュール〉に関する情報が記録されていた。これは個人の脳波を収集・増幅し、エネルギー源として利用する技術なのだという。研究記録には〝被験者の意識活動を増幅させ、臨界点を超えたエネルギーを抽出する〟との説明が記されていた。


 どうやらこの技術は反射神経の向上と、戦闘時の集中力を持続させる手段として開発されていたようだが、極限まで意識を集中させた被験者の多くは脳に深刻なダメージを受けていたようだ。研究記録の最後には、「安全性確保には未だ課題あり」との一文が書き添えられ、その後は進展がないまま放置されていたことが分かった。


 それらのファイルで異彩を放っていたのは、〈マグネティック・ファントム〉なる技術だ。磁場を用いて一時的に人体や物質を透過性のある状態にし、障害物をすり抜ける実験が行われていたという。まるで霧に変化する吸血鬼のようだ。


 技術者のレポートには、特定の周波数帯で発生する磁場が分子の結合を一時的に崩壊させる効果を持つとの記述があり、試験映像には無機物が壁をすり抜ける様子が映し出されている。しかしこの技術は生物に使用するにはリスクがあり、実験の多くは失敗に終わり、研究そのものが継続できなかったようだ。


 いくつかの実験映像が確認できたが、実験のための動物が壁と融合しているような、奇妙でグロテスクな結果になっていたことが分かった。


 これらの旧文明の技術に関するファイルには、旧文明の人類が持っていた無限の可能性と危険が詰まっているように思えた。しかし肝心の次世代の核融合装置に関するファイルは見つけられなかった。それらしきファイル名を入力して検索するが、リアクターに関連するファイルは存在しなかった。


 その過程で、いくつかのファイルが空っぽの状態だと分かる。その異様さに眉をひそめながら、それについてカグヤに質問することにした。


『たしかに奇妙だね……隠しファイルでもなさそうだけど?』

 しばらくして彼女は、それらのファイルが実際には〈暗号キー〉だと説明してくれた。


『これはね、仮想空間メタバースにアクセスするために必要な鍵なんだ』

 彼女の説明によると、技術者は自分の研究が外部からの干渉を避けられるよう、完全に独立した仮想空間をネットワーク上に構築していたらしい。〈データベース〉の監視を欺くことが困難だと理解していたからなのだろう。端末に小細工をするよりも、ネットワーク上に個人的な空間を設け、そこに重要な情報を隠していたようだった。


 カグヤが慎重に空のファイルを解析している間、モニターに表示されていたファイル一覧を注視する。もしこの〈暗号キー〉で仮想空間に侵入できるなら、そこにリアクターに関する情報が残されている可能性は充分にあった。我々が追い求めているリアクターは戦闘艦の動力として必要な装置で、それなくして浮遊島から出ていくことはできない。


『データのダウンロードが完了したよ』

 ファイルの解析と暗号キーの取得に成功したようだ。

「今度はその仮想空間の中を探索することになるのか?」


『そうだね。これまでの探索と比べれば、比較的安全な探索になると思う。ただいくつか問題がある。どうやらこの〝個人的な仮想空間〟に入るには、専用の装置で電脳空間サイバースペースに侵入する必要がある。残念ながら、この部屋にはそれがない』


 目を細めて注意深く周囲を見回すが、ヘッドセットやら各種センサーを備えたイスもなければ、手術台を思わせる仰々しい装置もない。棚には無数のケーブルと機器が積み上げられているが、目当ての装置はないらしい。


「まさか、研究施設まで戻らないといけないのか?」

 険しい道程とそこに潜む危険を思い浮かべて、思わずため息をついてしまう。


『ううん、その必要はないよ。ちょっと改良しないといけないけど、この建物にも必要な機材が揃ってる場所があるから、そこからアクセスすることができる』


 カグヤの言葉を聞いて安堵する。胞子に感染した変異体を相手にしないで済むのなら、探索だけに集中することができる。しかし気がかりなことが頭をよぎった。彼女の言うその場所、仮想空間にアクセスするための装置があるとされる場所に行くためには、あの廊下を通らなければならない。


 そこには感染によって変異した人擬きたちが徘徊している。胞子の拡散を心配する必要はないが、治安部隊には高性能な装備が支給されているので、ただの人擬きだと侮ることもできない。


「まずは、部屋の前に集まってきた連中をどうにかしないといけない、ってことだな……」

 やれやれと肩をすくめたあと、気持ちを引き締める。コンテナボックスの中にいくつかの鋼材があるので、それを使って〈鬼火〉を形成すれば、治安部隊に支給されているシールドも難なく突破できるだろう。


「カグヤ、廊下に設置されていた監視カメラの映像を確認できるか?」

『ちょっと待ってね……できたよ。映像を表示する』


 拡張現実で表示された映像を確認すると、部屋の周囲に数体の人擬きが立ち尽くしているのが見えた。扉を叩いていた個体も移動していたので、廊下に出てすぐに襲われてしまう心配もないだろう。テンタシオンに声をかけたあと、戦闘の準備を整えていく。

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