第868話 研究メモ
培養槽やら未知の技術による装置など、気になるモノが多く設置されていたが、とりあえず手に入れたIDカードを使って他の部屋を探索することにした。
施錠されていた向かいの部屋は倉庫として利用していたのか、部屋全体が厳重な管理システムで保護されていて、空気は清潔に保たれていて
黒いコンテナボックスに収納されていたのは、見るからに純度の高いインゴットだった。白銀の輝きを放つ鋳塊を手に取ると、異常なほど重たいことに気がつく。おそらく旧文明の鋼材だろう。技術者が加工用に用意していたのかもしれない。
となりに置かれた赤いコンテナボックスにもインゴットが保管されていたが、それはひどく奇妙なモノだった。鋳塊の表面には血管のようにも見える微細な線が浮き上がっていて、どこか異質で有機的な印象を与える。そっと触れてみると、冷たくしっとりとした感触が指先に伝わってくる。異星文明の合金なのかもしれない。
この部屋を管理していた技術者は、研究に必要な物資や資材を独自に調達していたのだろう。ここにはあるモノの多くは〈廃墟の街〉では見られない貴重な品だった。
整然と並べられた棚を調べていると、奇妙な装置がいくつか目にとまる。その中のひとつは、ボディアーマーに装着できるサイズの小さな装置で、触れると表面に複雑な光の模様が浮かぶのが見えた。注意深く観察すると、装置の中央部に微細な突起がビッシリと並び、人体との接触を前提としていることが分かった。
情報端末を使い調べると、どうやらこの装置は生体情報に反応してエネルギーを生成する機能があるようだ。起動すると使用者の肉体に電流を送り込み、動作速度や反射神経を一時的に強化できることが分かった。
しかし異星由来の技術が使われているのか、未知の
となりの棚には、黒光りする金属フレームに収められた長方形の装置が置かれていた。端末を使い確認すると、パワードスーツに電力供給を行うための補助装置だと分かった。接続部には宝石にも見える小さなコアが埋め込まれている。手に取って調べてみると、装置の下部に異星の言語で何かが刻まれていたが、使用に関する注意事項で特筆すべき点はなかった。
その滑らかな手触りと、光の加減で色合いを変化させるコアが目を引く装置は、スーツに接続することで急速充電できるように設計されていた。スーツの能力を引き出すことのできる便利な予備電源だったが、調整を間違えれば爆発を引き起こす危険性のある旧型の装置だということも分かった。
倉庫内の探索をカグヤのドローンとテンタシオンに任せると、私は再び先ほどの部屋に戻り、培養槽を調べることにした。玄関からは扉を叩く鈍い音が聞こえてきていたが、今は脅威にならないので無視する。
培養槽の中では奇妙な生体組織が浮かび、青白い照明に照らされているのが見えた。技術者がこの場所でどのような研究をしていたのか、その意図を探るべく、手に入れていた暗号キーを使い保護されていた機密ファイルにアクセスする。
ファイルを開くと、〈クローン技術に関する考察〉と題されたいくつかのメモを見つける。〈異星生物〉の複製を製造……あるいは誕生させることを目的としていたのだろうか?
生体組織の――筋肉や臓器に関するクローン技術は、すでに旧文明期以前に完成していた技術だったが、脳の複製に関しては依然として大きな壁が存在していた。神経ネットワークの精密な構築に成功しても、脳そのものが持つ記憶や経験の移植に進展は見られなかったのだ。
研究の過程で、髄質、
それぞれの組織構造は再現できるが、それが〝意識〟そのものを再現する保証にはならない。技術者はその難点を認め、脳の複製ができても、完璧に機能する器官として製造する過程には至っていないことを冷静に分析していた。
人間の記憶や知性が個々の遺伝子によって特定されないように──かつての技術者たちは壁を感じ、突破の見通しも立たない状況に苛立ちを感じていたのかもしれない。
複製された神経組織がいかに精密であろうと、過去の記憶を含めた完全なコピーには至らなかった。物理的な再現に成功しても、脳が生きた経験や記憶をどのように保持するのかを解明するには至っていなかったからだ。その試みは絶え間ない失敗の連続だったのだろう。
もちろん、それはかつての人類のことであり、現在では白紙状態の〈クローン脳〉に脳内活動が記録されたデータを――つまり〈記憶痕跡〉を転写することで、神経の連鎖を促せることが分かっている。
別のメモには、組織の急速なクローニングに伴うDNAの損傷〈塩基対エラー〉について詳細に考察していて、クローンの先天的な異常が高確率で発生することについても記されていた。
複製された生体の多くは、遺伝子変異に起因してパーキンソン病の発症率が異常に高まり、また複製された脳組織では認知症、総合失調症、さらには脳腫瘍の発症が頻繁に見られたと記されていた。それは、クローンたちが生まれながらにして短命であるという冷酷な現実でもあった。
「当時、生き延びたクローンは少なかっただろう」と、技術者は無感情に綴っていた。そこには、かつての人類に克服できない技術の限界あったこと、それでもなお未知の領域に踏み込もうとする執念のようなものが感じられた。
脳の複製に成功したとしても、過度のエラーや生存期間の短さが付きまとい、完璧な肉体の代替には程遠いものになっていた。かつての技術者たちがこの研究に費やした膨大な時間と、それでも解決の兆しすら見出せなかった現実が垣間見えるようでもある。
添付ファイルを開くと、スクリーンに無数のデータラインが表示されていく。その圧倒的な量に驚きつつも、徐々にそれが脳内活動を記録したデータだと理解することができた。それぞれのデータには特定の脳波パターンやニューロンの発火リズム、化学信号の強度が細かく分割され、行ごとに記録されている。
人の意識の断片を切り取り、デジタル上に収めたような、実体のない不気味な記録が並ぶその光景に思わず眉をひそめる。
「デジタル化された意識だな……」
画面に表示されているデータは、おそらく技術者が何度も転写を試みたであろう意識の複製――ニューロンの活動で脳内に残された物理的な痕跡〈記憶痕跡〉をデジタル化したモノなのだろう。それは断片的な情報ではなく、完成された情報として記録されていた。
ふと培養槽の周囲に視線を向ける。そこに放置されていた装置の多くは異星の技術によって再現されたものだった。これらの技術を使い、いったい誰を――あるいは〝何を〟複製しようとしていたのだろうか。
培養槽の中に漂う生体組織が揺らめくと、そこに何かが息づいているかのような錯覚を起こす。かつて〈生物学的AI〉を備えた〈人工生命体〉を大量生産していた工場を停止させたことを思い出す。ここで何が行われていたのかは分からないが、あの地下施設でも似たようなことが行われていのかもしれない。
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