第867話 培養槽
コンソールパネルに〈カードキー〉を近づけると、扉の接合部が滑らかに奥に引き込み、音を立てることなく横にスライドしながら開いていく。厳重に閉ざされた扉の先には暗闇が広がっていたが、数秒もしないうちに天井に埋め込まれた照明が次々と点灯し、部屋の全容が明らかになる。
まず目に飛び込んできたのは、四方に積み上げられた無数の機材だ。大小さまざまな機器が混然と置かれ、その多くは研究施設でも見ていたモノだった。機材は無秩序に設置されていて、蛇のように伸びるケーブルの束で足の踏み場もない。
壁際に置かれた装置にも冷却チューブのようなものが絡みつき、微かな振動を発している。壁には縦に細長いディスプレイが取り付けられていて、ほのかに点滅しているが、文字と数字の羅列で埋め尽くされていて内容を理解することはできなかった。
部屋の空白に視線を向けると、石目調のタイルに赤い塗料で複雑な幾何学模様が描かれているのが見えた。足元を照らす小さなランプが点滅を繰り返しながら、その模様に視線を誘導していた。円環のなかに引かれた無数の線を見ていると、それが魔法円として描かれていたことが分かってくる。
どうやらこの部屋では、オカルトめいた儀式を用いて何かを研究していたらしい。だが、その目的を明らかにするにはもう少し調べる必要がありそうだ。
それほど広くない部屋の中央には円柱形のガラス容器が鎮座している。何かの培養槽だろうか、生体組織のようなものが液体のなかに浮かんでいる様子が確認できた。細胞再生か、もしくは〈サイバネティクス〉の実験をしていたのかもしれない。ふとガラス容器の表面に流れていた情報が目にとまる。
生体組織を解析して得られたデータが断片的に映し出され、数値が絶え間なく流れていく。どのような目的があったのかは分からないが、貴重なデータだったのだろう。
壁際に設置されたスチール製の棚には、〈異星生物〉の遺物を思わせる装置が並べられていて、どれも日常的な用途とはかけ離れた有機的で奇怪な形状をしていた。それらの遺物を手に取って慎重に調べていると、カグヤのドローンが飛んできてスキャンのためのレーザーを照射していく。が、スキャンそのものを受け付けなかったようだ。
『まるで岩を調べているみたい』
彼女はガッカリしたようにつぶやく。
「いずれにせよ、この場所で個人的な研究をしていたみたいだな……」
培養槽に繋がれた無数のケーブルは、まるで生き物のように絡み合いながら床を
壁に手をつけてそっと押してみたが、とくに変わった様子はみられない。しかし何かしらの仕掛けがあるのは明白だった。
『もしかして、隠し部屋か何か?』
カグヤのドローンがやってくると、レーザーを照射して壁をスキャンしていく。すると内部構造が立体的なホログラムとして浮かび上がる。壁の向こうに狭い空間が存在していることが分かる。秘密の収納庫として機能していたのだろう、施錠されていて生体認証装置が組み込まれていることが分かった。
『物理的な鍵は必要ないみたい』ペパーミントの声が内耳に聞こえる。『このタイプの電子錠なら、直接システムに侵入すれば解除できるかもしれない』
「何とかできそうか?」
『ええ、すぐに解錠できると思う。カグヤ、手伝ってくれる』
カグヤのドローンがパネルの隙間に無理やりケーブルを挿し込む様子を見ながら、テンタシオンが見つけていた情報端末を手に取る。培養槽の近くに転がっていて、思わず踏み潰しそうになったようだ。
端末の表面には
とにかく、〈接触接続〉で端末を起動することにした。画面がふっと明るくなり、複数のログが表示される。古い研究データに技術解析のメモ、そして試験報告書といったファイルが並んでいるが、その内容は外部に公開されることを前提にしていないようだった。
やはり個人的な研究をしていたのだろう。端末のデータは暗号化されていて厳重に管理されていたことが分かった。
かつて市民権を持つ者なら、誰もが情報端末を所有していた。情報を得るのは権利だったからだ。けれど支給されていた全ての端末は〈データベース〉に繋がれ、ネットワークを介して
しかし――どうやらこの端末は、スタンドアローンで使えるように改造してあるようだ。完全に〈データベース〉を欺くのは困難だと分かっていたからなのか、どこからも干渉されない空間をネットワーク上に構築し、そこに個人的な研究メモを保管していたようだ。
最初に開いたファイルには、異星技術の初期解析に関するデータが記録されていた。奇妙な符号と未知の言語で書かれた資料の断片が映し出され、それらが人類の技術とどのように融合できるか、試行錯誤の過程が記されていた。
兵士たちに支給されていた肉体の人体改造や、神経インターフェースに関する研究が進んでいたことが示されていた。棚に並べられた〈サイバネティクス〉の部品が、それらの研究に関係していることも確認できた。
別のファイルを開こうとしたときだった。短い電子音が聞こえ、わずかに空気が振動するのを感じた。ドローンが開錠しようとしていた壁に視線を向けると、ホロスクリーンが投影されていて、複数の警告が表示されているのが見えた。セキュリティシステムに検知されたのだろう。
その直後、部屋の天井に取り付けられていた〈オートキャノン〉が展開するのが見えた。侵入者を撃退するための固定兵器のようだ。カグヤがすぐに対処してくれたので問題にはならなかったが、起動していれば貴重な設備にも被害が出ていたのかもしれない。
『待っててね、あともう少しで開くから』
ペパーミントの言葉にうなずいたあと、再び端末に目を落とす。さらに調べを進めると、いくつかの動画が保存されていることに気づく。画面に映し出されたのは、人類の研究チームが異星技術の装置を慎重に解体し、内部構造を解明している様子だった。
そこには黒曜石にも似た小指ほどの小さな物体が映し出されていて、装置の各部にエネルギーを供給していることが分かったが、技術者たちには理解できない代物だったのか、困惑する様子が映し出されていた。
『システムに侵入したよ、すぐに扉が開く』
カグヤの言葉のあと、壁が音もなく開き始めた。
収納庫内は狭く、ほとんど空の状態だった。棚には小さな〈クリスタル・チップ〉が置かれていた。透明度が高く、透き通るような表面には小さな符号が刻まれていた。〈接触接続〉して調べてみると、先ほどの情報端末の暗号キーとして機能していることが分かった。これで機密情報にもアクセスできるようになった。
それから見慣れない装置もいくつか並んでいた。ハンドガンにも似た奇妙な形状の装置は、銃身の代わりに滑らかな曲線を描く金属に覆われていて、グリップ部分には黒曜石を思わせる石が埋め込まれている。
そのすぐとなりには腕輪状の装置が置かれていた。腕に嵌めこむような形をしていたが、本当に腕輪なのかは分からない。その表面には回路が複雑に組み込まれていたので、単なる装飾品ではないのだろう。何らかの制御装置か、あるいは携行可能な〈シールド発生装置〉なのかもしれない。
IDカードも一緒に保管されていて、〈カードキー〉としても機能しているようだった。これがあれば、施錠されていた向かいの部屋も調べられるかもしれない。
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