第866話 カートリッジ
煙で視界が遮られるなか〈アサルトロイド〉は脅威に対して瞬時に反応し、一斉に射撃を開始した。高出力のレーザーやゴム弾が次々と発射され、閃光と衝撃波によって煙が拡散していく。しかし標的である人擬きは怯むことなく突進してくる。全身を包み込むように展開していたハニカム状の薄膜が、攻撃のほとんどを無効化しているからなのだろう。
軌道を逸らされたゴム弾やレーザーが壁面パネルに直撃すると、火花が派手に飛び散っていくのが見えた。
身体改造を施したサイボーグだったからなのか、変異体の動きは異常なほど速い。人間離れした敏捷性は〈サイバネティクス〉のおかげなのかもしれない。半ば腐敗しているのは肉体の一部だけで、義肢は滑らかに動作している。人擬きは腐食しない特殊な合金によって形作られた脚部を動かしながら、一気に距離を詰めてくる。
変異の過程で肉体と機械の境界がなくなり、異形の融合体と化してしまっていた。腐った皮膚の間から露出する金属骨格はヌメリのある体液に濡れ、グロテスクでありながら痛々しい。
その奇妙な変異体は瞬く間に〈アサルトロイド〉の一体に接近し、猛烈な勢いで体当たりを仕掛けた。機械人形は瞬時に反応するも、衝撃は予想を超えていた。鈍い衝撃音のあと、機械人形は重量を持て余すかのように吹き飛ばされ壁に激突し、そのまま廊下を転がっていく。周囲に散らばる部品が衝撃の激しさを物語っている。
変異体は凶暴さを増し、次の標的に向かって猛然と突進してくる。テンタシオンの指示を受けていた機械人形は即座に反応し、正確に照準を合わせながら一斉射撃を行う。しかしその攻撃はシールドに阻まれてしまう。その間にも人擬きは圧倒的な速度で迫ってくる。
変異体がすぐ近くまで接近してきたときだった。拳の甲から長く鋭い鋭利な爪が伸びるのが見えた。ソレは旧文明の強靭な鋼材で造られていたのだろう、まるで紙切れのように〈アサルトロイド〉の装甲を引き裂いていく。嫌な金属音が廊下に響き渡り、機械人形の部品が散らばっていく。
もう一体、また一体と機械人形が変異体の手によって破壊されていく。しかし敵の猛攻は長く続かなかった。すぐにライフルを構えると、弾薬を特殊弾薬に切り替える。変異体は無防備に接近していて隙だらけだった。
小気味いい金属音を立てながら発射された弾丸は――至近距離だったこともあり、シールドを突破して変異体の皮下装甲に食い込んだ。そのまま貫通することはなかったが、体内に侵入させることが目的だったので、そのほうが
直後、弾丸に組み込まれていた機構が作動し、サイボーグめいた変異体の体内で炸裂する。無数のワイヤーが勢いよく飛び出し、壁や床に突き刺さりながら変異体の動きを制限していく。それは身体を締め付け、手足に絡みつくようにして動きを封じていく。
人擬きの動きが止まると、間髪を入れずにショルダーキャノンから〈貫通弾〉を発射する。甲高い金属音とともに質量のある弾丸が発射され、変異体のシールドを難なく突き破りながら、その気色悪い身体をズタズタに引き裂いていく。
なんとか変異体を倒せたが、息つく間もなく、廊下の先から恐ろしい叫び声が響いてきた。その声は低く、獣めいた唸り声のような音が混じっていた。あちこちに潜んでいた人擬きが戦闘の音で目を覚ましたのかもしれない。フロアは広大で、住人が避難するさいには支援のために多数の隊員が派遣されていたことが予想できる。
すぐに敵の攻撃に備えなければいけない。テンタシオンに周囲の警戒を任せると、〈ナノファブリケーター〉を使い即席のバリケードを構築することにした。機械人形の残骸が転がっていたので貴重な部品だけ手早く回収し、装甲や骨組みはそのまま資源として有効活用する。
ハンドガンにも似た小型の製造装置から青白いレーザーが照射されると、瞬く間に機械人形の残骸が融解し、障壁として再構築されていく。拡張現実の地図に赤い点が表示されたのは、ちょうどそのときだった。
テンタシオンのセンサーが警告を発し、複数の反応が廊下の先から接近してくるのが見えた。胸の鼓動が早まり、緊張感が高まっていく。一体の人擬きであれだけの被害を出したのだ。複数の変異体が同時に襲いかかってくるとなれば、より困難な戦いにかもしれない。
『レイ、セキュリティを解除したよ。いつでも部屋に侵入できる』
彼女の言葉に反応してテンタシオンと視線を合わせると、迷うことなく退避を決意した。今は無駄な戦闘で消耗するよりも、一時的に避難し群れをやり過ごしたほうが賢明だろう。
そうと決まれば、一秒たりとも無駄にできない。廊下の先から変異体の奇声が聞こえてくるなか、技術者の部屋に入り扉を閉鎖する。扉が閉ざされた瞬間、奇妙な静けさに包まれていくのを感じた。
扉の状態を確かめて安全が確認できると、さっそく室内を探索することにした。部屋の間取り自体に大きな差は感じられなかった。玄関から続く細長い廊下は冷たく、空間全体が生気を失ったように感じられる。
その廊下の左右にそれぞれ部屋があるが、扉は閉ざされていて〈接触接続〉でも開放することができなかった。どうやら、ここでも独自のセキュリティ対策が施されているようだ。この部屋を利用していた住人は、それなりに用心深い人物だったのか、あるいは機密を扱う特権階級の人間だったのだろう。
白いパネルに覆われた壁と天井は、どこか研究施設を思わせる冷たい雰囲気を醸し出し、無機質な空間をさらに強調していた。床には灰色の石目調のタイルが敷かれているが、不自然なほど清潔で汚れひとつない。
『この部屋も使われていた形跡がほとんどない』
カグヤのドローンに接続し、視覚と聴覚を共有していたペパーミントの声が聞こえる。
「研究所に部屋が用意されていたのかもしれない」
扉に設置されていた端末を調べて、もう一度だけ接触接続を試みるが、やはり反応はない。指先で装置の縁をなぞってみると、解除方法を示したアニメーションが投影される。どうやら扉の開放には専用の〈カードキー〉が必要なようだ。
「貴重なモノを保管していたのかもしれないな」
廊下を抜けてリビングに向かう。いくつかの家電製品が並んでいるが、ここでも生活していた形跡は残されていなかった。まるでモデルルームのように整然としていて、使われることのなかった調度品が並んでいる。キッチンカウンターには食器も見当たらず、棚には必要最低限のモノだけが無造作に置かれている。
「何か手掛かりがあるかもしれない、探してみよう」
テンタシオンと手分けして部屋の探索を開始した。部屋の隅々まで目を光らせ、〈カードキー〉やその他の手掛かりを探す。
時折、廊下から鈍い音が聞こえてきた。重く、湿った音が鋼鉄製の扉に叩きつけるように響く。おそらく変異体が我々の気配を察知し、扉を壊そうとしているのだろう。けれど扉は旧文明の鋼材を含んでいるので、サイボーグめいた人擬きでも、そう簡単に破壊することはできないはずだ。
人擬きのことは一旦忘れて探索に集中することにした。寝室の扉は開いていて、微かな生活感が漂っていた。部屋はやや薄暗く、間接照明が柔らかな光を放ち、ベッドの輪郭を浮かび上がらせている。そのベッドには女性ものの衣類と下着が無造作に放置されていて、誰かが急いで脱ぎ捨てたことが分かった。
ベッドのとなりには低いテーブルが置かれていて、その上にはカートリッジが並べられていた。仮想空間専用のソフトウェアが記録されたものだ。何気なく手に取って調べてみると、データはどれもセックス関連のプログラムだったことが分かる。編集されているもので違法性はなく、どうやら恋人向けに設計されたソフトのようだ。
『仮想空間内で感覚や快楽を共有して、性感を高めるための機能が備わっているみたい』と、カグヤが興味深げに言う。『不必要な感情を遮断するようにも設計されていたから、雑念が入り込むことなく、純粋に快楽だけを楽しめるんだって……』
「興味があるのか?」
『まさか』彼女は興味のないフリをするが、満更でもなそうな声だった。
そのカートリッジの横に、目的の〈カードキー〉が無雑作に置かれていた。
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