第859話 感覚的存在〈オカルト〉


 周囲の安全を確認しながら、大型多脚車両ウェンディゴを整備していたペパーミントのもとに向かうと、破壊された〈コムラサキ〉と機械人形ラプトルの残骸が散らばる場所に無骨な作業用ドロイドが立っているのが見えてくる。


 どうやら義体からジャケットを回収しようとしているようだ。白い人工血液に濡れたジャケットには、生命維持装置やら旧文明の貴重な装備が組み込まれていたので、手放すのが惜しいと考えたのだろう。


 作業用ドロイドのゴムチューブに覆われた無機質な腕が、ジャケットの襟をつまみ、〈ガイノイド〉の破損した胴体からゆっくりと脱がしていく。まるで女性の死体から装備を剥ぎ取っているような感覚がして、無意識に眉をひそめてしまう。


 しかしペパーミントは一切気にする様子もなく、無心に作業を続けていた。事実、この義体はただの装備であり、ペパーミントにとって、それ以上でもそれ以下でもなかったのだろう。


『ねぇ、レイ。手伝ってくれる?』

 ノイズ混じりの合成音声が聞こえる。

「了解、どうすればいい?」


『ジャケットは私がどうにかするから、ライフルを回収して来てくれる?』

 彼女の言葉にうなずいてみせたが、手間取っていたので手伝うことにした。ガイノイドの腰を持ち上げると、引っかかっていたジャケットが取りやすくなる。そのさい、破損した皮下装甲の隙間から配線や機械部品、それに人工臓器が見えた。


 作業用ドロイドのカメラアイがわずかに点滅し、ペパーミントが再度こちらに注意を向ける。肩をすくめると、破壊されたラプトルのそばに転がっているライフルを拾いに行く。ずっしりとした重みのあるライフルを手に取ると、スリングを使ってドロイドの肩にかけ、彼女が扱いやすいように調整する。


 ちなみに、変異体に破壊されていたラプトルの部品も忘れずに回収していた。スカベンジャーだった頃の習慣なのか、使える部品を放っておくことができなかった。それに、ラプトルに使用されている部品は小型核融合電池を含め、すべて貴重なモノなので回収しないわけにはいかなかった。


 ライフルの白い外装がドロイドの胴体に当たると、甲高い金属音が響く。そこでふと疑問が浮かぶ。作業用ドロイドにも痛覚のような器官は備わっているのだろうか?


『ない』ペパーミントは即答する。『たとえば、〈コムラサキ〉の人工皮膚リアルスキンは高度な被膜液、触素形成液に浸しながら薄膜を形成していくから、義体だとしても刺激による感覚は人間のソレと変わらない。でも作業用ドロイドには、そういった機能は備わっていないし、必要なかった。だから〝意識を転送する〟というより、遠隔操作に近い感覚で操作してる』


「〈コムラサキ〉の皮膚に使われている触感伝達ハブティクスのための薄膜――触素膜は、なにがそんなに特別なんだ?」

『だって、もとが〈セクサロイド〉でしょ? だから皮膚だけじゃなくて、舌や性器にも高価な〈生体材料バイオマテリアル〉が使われていて、互換性のある触素膜も使わなければいけなかった』


「高価なセクサロイド……」

『それにね、男性にとって皮膚は身体の内側を保護するために機能する器官だけど、女性にとってのソレは、ある種の接触器官でもあるの。女性が男性よりも感覚的存在なのも、きっとそういう理由があるんだよ』


「……そう言えば、女性は男性に比べて――とくに出産後の女性は、男性よりも痛みに対する忍耐力が高いって何かで読んだことがあるけど、それが敏感な接触器官として機能するなら、戦闘時には弱点にもなり得るんじゃないのか?」


『かもしれない。これは極論だけど、女性の身体が本来の人間のあるべき姿なのかもしれない。男性は、より多くの筋肉と半分の神経しか持たない変異体のようなもの』


「むしろ暴論だと思う。でも〈コムラサキ〉を軍用に改造したなら、そのときに余計な機能を取り除けばよかったんじゃないのか。予算の削減にもなったと思うし」

『それが、そうはいかなかったみたい』


「どうして?」

『さっきも言ったけど、女性は感覚的存在として――ある種の超自然的な能力を会得できる存在として認識されて、その能力を研究されるようになったの』


「いつの時代にも〝常軌を逸した科学者〟がいて、オカルト的な実験が行われていたってことか」


『たしかにオカルトに聞こえるかもしれないけど、すでに人類は〈異星生物〉と接触していたし、〈混沌の領域〉の存在も確認されていた。だから〝ただのオカルト〟では済まされなかった』


「軍は超能力を使う女性だけの部隊を新設しようとしていたのか?」

『すでに軍事作戦に参加していたのかもしれない。実は、それについて詳しいことが記録されていた情報端末を見つけたの。他にも何か情報が手に入れられるかもしれないから、レイも端末を見つけたら忘れずに調べてね』


 ペパーミントの準備が整うと、彼女が操る無骨なドロイドと一緒にウェンディゴのもとに向かう。頑丈な装甲に覆われた多脚を持つ車両は、遠くから見ても攻撃的な威圧感を漂わせている。


 そこである疑問を覚えた。異形の化け物が徘徊するこの過酷な環境にもかかわらず、車両の多脚に使われていた人工筋肉は傷ひとつない状態で保たれていた。すでにテンタシオンによって死骸は処理されていたが、変異体はいつでも車両に接近することができた。それなのに、有機素材が使われた人工筋肉は飢えた化け物に喰われることなく残されていた。


 たしかに排水溝のさきにある貯水池のそばには、変異体の餌になるような昆虫や小動物が――変異した大型のネズミなど多くの生物が生息していることは確認できた。それでも、人工筋肉が無事なのは疑問だった。そのことについてペパーミントに質問すると、彼女は情報端末からホログラムを投影しながら説明してくれた。


『人工筋肉を覆う素材に特殊な装甲繊維が使われているみたい。ほら、これを見て』

 ホログラムで投影されていた多脚が拡大表示されると、独特の光沢と艶のある素材が表示される。それはラバースーツを思わせるピッチリとした素材だったので、人工筋肉の造形や筋繊維の様子を詳細に確認することができた。


『そのラテックス素材にも似た保護膜は気密性に優れていて、あらゆる環境下でも人工筋肉を保護することができたの』


 ペパーミントが太い腕を動かすと、ホログラムが変化し、膜の構造が表示される。特殊なナノファイバーで編み込まれた繊維は、大気中から水分を取り込みつつ、外部からのあらゆる衝撃を緩和していることが説明されていた。彼女によると、この素材は細胞構造に似た水分維持機構を持ち、時間が経っても乾燥せず、有機素材を保護するのだという。


『それに、この装甲のおかげでもある』

 彼女はそう言うと、厚みのある装甲を軽く叩いた。


 鈍い金属音が響き渡ると、思わず金属に覆われた巨大な脚を見上げる。旧文明の鋼材がふんだんに使用された外装は、変異体の牙や爪でも傷つけられないほどの硬度があり、文字通り歯が立たなかったのだ。だから変異体は諦めたのかもしれない、と彼女は言う。


 車両の後部に近づくと、真っ黒なコンテナが目に入った。このコンテナには旧文明の遺物とも言える〈空間拡張〉技術が使用されている。外見は通常のコンテナのサイズだが、その見た目をはるかに超えた面積を確保できるようになっていた。しかし今、その内部は完全に空っぽのようだ。


 ペパーミントが言うには、すべての機能が停止状態だという。コンテナ内部の空間を利用するには、備え付けられていた端末を操作し、車両のリアクターからエネルギーを供給するだけでいい。しかしある意味、異なる次元に干渉する技術でもあるため、まだ手をつけていないようだ。


『もし何かトラブルが起きたら、すぐに対処することはできない。だから、ここで下手に設定を変更するのは止めておいたほうがいいと思ったの』


 それは我々の理解が及ばない技術であり、一歩間違えれば取り返しのつかない事態を引き起こす可能性がある。だからこそ彼女は慎重になっているのかもしれない。


『でも安心して、車両はすぐに動かせるから』

 彼女の言葉のあと、搭乗ハッチが上下に開いていくのが見えた。

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