第851話 蒸発〈荷電粒子砲〉


 静寂のなかで微かな機械音だけが響いている。ペパーミントの足取りは重く、任務の継続は困難な状態に見えた。歩くたびに傷ついた義体からは金属の摩擦音が聞こえ、白く濁った人工血液が滴り落ちていくのが見えた。


 我々は散らかった廊下を通り、研究室フロアの一角にあるオープンスペース(ラウンジ)に到達する。そこは研究員たちの休息の場であり、研究の打合せや来訪者との応接など様々な用途で活用されていた場所だったのだろう。彼女をソファーに座らせると、しばしの休息を与えることにした。


 ペパーミントはため息をつくと、険しい表情を崩さず自らの義体をじっと見つめる。その視線には、義体の限界が近づいていることに対する焦りと、これからの道のりに対する不安が混じり合っていた。彼女は片手で情報端末を取り出すと、テーブルの上にそっと置いた。


 するとテーブルに組み込まれたシステムが作動し、ガラスの表面に情報端末の操作項目が次々と投影される。彼女は指を滑らせ、いくつかの項目を選択していく。テーブルからホロスクリーンが投影されると、立体的な地図で施設の全貌が明らかになる。


 カグヤが警備システムにアクセスしたときに入手していたのだろう。宇宙港に隣接する研究施設の詳細な地図が表示され、すでにタグ付けされていた変異体の位置が明確に表示されていく。我々の周囲に敵の姿は見られなかったが、複数の変異体が廊下を徘徊している様子がハッキリと確認できた。


 変異体の位置を示す赤い点が明滅しながら動いているのが見える。警備システムによって、脅威に関する情報がリアルタイムで更新されているのだろう。これから我々が進むべき道を確認するため、彼女はさらに詳細な情報を検索していく。嫌な緊張感が漂うなか、廊下の先から物音が聞こえてくる。しかし地図では脅威の存在は確認できない。


 まだタグ付けされていない変異体だろうか、廊下の先を偵察しに行こうとしたときだった。ペパーミントは地図を指差しながら、これからの計画を説明していく。


 数か所の研究室が赤色の線で縁取られていくのが見えた、どうやらそこで異星の技術が研究、解析されていたようだ。彼女は断言しなかったが、我々が探しているリアクターに関する情報も入手できるかもしれない。


 赤色で強調された研究室のひとつに視線を向ける。リバースエンジニアリングのために持ち込まれた装置が複数あるという。〈異星生物〉の宇宙船から回収された技術が分解され、徹底的に解析されている場所だ。


 もし目的のモノがあるとすれば、この中に違いない。時間がない中で手掛かりを得るためには、これらの部屋を優先的に調査する必要があるだろう。


 ペパーミントの義体は限界に近い。彼女にはラウンジに残ってもらい、この場所からサポートしてもらうことにした。そのことを伝えると、彼女は小さくうなずき、再び端末の操作に取り掛かる。ホログラムの光が彼女の顔を青白く照らし出すと、その鋭い目つきに焦りの色が見て取れたが、まだ冷静さを保っていることが分かる。


 彼女の護衛に機械人形ラプトルを残すと、テンタシオンを連れて変異体が徘徊している廊下に足を踏み入れる。カグヤのドローンが偵察してくれていたので、突発的な遭遇は起きないかもしれないが、それでも警戒しながら進む。飢えた捕食者ほど恐ろしいモノはない。


 ひっくり返った台車やら見慣れない機材で散らかっている廊下を歩いていると、遠くから微かな物音が聞こえてくる。耳をすますと、変異体の足音らしき鈍い音が聞こえてくる。すでに廊下を徘徊している変異体の存在は確認できていたので、慌てることなく進むべき道に入っていく。


 ラウンジに残してきたペパーミントが気がかりだったが、機械人形のセンサーが異常を検知すれば、すぐさま警告を発するようにプログラムされているので、必要以上に心配することもないだろう。


 しばらくすると、廊下の壁に激しい銃撃戦の名残が生々しく残っている場所に出た。壁面パネルには無数の弾痕と、何かに引き裂かれたような痕跡が残されている。


 おそらく人擬きに変異した研究員と治安維持部隊の間で戦闘が行われたのだろう。すぐ近くに入り口の扉が破壊されていた研究室があったので、慎重に中を覗き込むと、白骨化した死体が暗闇のなかに横たわっているのが見えた。


 避難できず施設に取り残された人々が一か所に集まっていたのかもしれない、人擬きの喰い残しだと思われる大量の骨が床に転がっていた。テンタシオンが照明を向けると、どこからか侵入していたと思われる昆虫の群れがサッと隠れるのが見えた。たとえ浮遊島だろうと、人類はゴキブリから逃れることは出来ないようだ。


 目的の研究室に近づくとセンサーが作動し、扉が音もなく左右に開いていくのが見えた。警戒しながら中を覗き込むと、見慣れない機材が所狭しと置かれているのが見えた。奇妙な形状の機器や、未知の素材で造られた部品が床に散乱しているのが目に入る。仕事の途中で慌てて避難したのだろう。


 ペパーミントの遠隔操作で照明が灯ると、部屋の中央に配置された大きな機械が目に入る。リバースエンジニアリングに使われた装置だろう。


 ガラスで覆われた透明な箱のなかに金属製のアームが複数吊るされていて、対象物を捉えて解析するための複雑な構造が組み込まれているのが見えた。装置に接続されたモニターには解析された情報が映し出されるようになっていたが、今は画面が真っ暗で何も表示されていなかった。


 周囲を見回すと、必要な情報が入手できる可能性のある端末や装置が黄色の線で縁取られているのが見えた。ペパーミントが目星をつけてくれていたのだろう。変異体がここに到達する前に情報を取得しなければいけないので、すぐに端末を調べることにした。


 しかし研究室に備えられていた装置は、施設が放置された時点ですべてのデータが消去されていたのか、なにも得ることはできなかった。


 研究員が残したと思われる情報端末を拾い上げたときだった。短い警告音が聞こえ、敵の接近を知らせる警告が視線の先に表示される。顔を上げると、壁を透かすようにして赤色の輪郭線で縁取られた変異体の姿が見えるようになる。すでにカグヤがタグ付けしていた個体だ。


 変異体に対処するため廊下に出ようとするが、テンタシオンがこちらに金属の手を向けるのが見えた。どうやら自分ひとりで対処できるようだ。


 テンタシオンは廊下に出ると、頭部の代りに浮かんでいた球体型の本体を回転させる。すると複数のセンサーが一斉に作動し、スキャンのためのレーザーが照射され、周囲を走査していくのが見えた。


 格子状に照射された赤い閃光が壁をなぞるように動いて環境情報を取得し、膨大な情報が火器管制システムにフィードバックされていく。廊下は異様に長く、その先には闇が広がっているように見えたが、テンタシオンは迷うことなく次の行動に移る。


 突然、機体の背中から複数のワイヤーが発射され、鋭い音を立てながら壁面に突き刺さる。ワイヤーが壁面パネルに食い込むと、機体はしっかりと固定され動けない状態になる。実際のところ、テンタシオンが何をしたいのか分からなかったが、とくに心配はしていなかった。


 胴体下部の装甲が展開し、内部に隠されていた〈荷電粒子砲〉が露出する。その表面には青白い電光が走り、膨大なエネルギーが蓄えられていく様子が肉眼でも確認できるようになる。


 変異体はまだ視界に入っていないが、テンタシオンは標的に照準を合わせているのだろう。廊下が不気味に静まり返るなか、〈荷電粒子砲〉は輝きを強めていく。


 一瞬のまばたきのあと、廊下の角から白い巨人めいた変異体が姿をあらわした。その脅威を認識した瞬間、テンタシオンは躊躇ためらうことなく攻撃を行う。


 雷光らいこうを思わせる眩い閃光のあと、大気を震わせる轟音と凄まじい熱波に襲われる。閃光は瞬く間に空間を切り裂き、恐ろしいほどのエネルギーで変異体を蒸発させる。あとには空間が焦げたような臭いだけが残された。


 白い巨人は悲鳴を上げる間もなく、蒸発するかのように完全に消失した。その消滅は瞬間的で、閃光を認識した際には、すべてが終わっていたような感覚さえ抱かせた。


 変異体の背後にあった壁面パネルも〈荷電粒子砲〉の直撃を受け、赤熱しながらドロドロに融解していた。しかし威力が調整されていたため、施設全体に甚大な被害を及ぼすことは避けられたようだった。


 そこで壁に撃ち込まれていたワイヤーがどのような役目を果たしていたのか判明する。白い巨人を消滅させた〈荷電粒子砲〉の発射は凄まじい反動を生じさせるが、それに耐えるためにテンタシオンは事前に機体を固定していたのだ。その反動がどれほど強烈だったのかは、ひび割れた壁面パネルを見れば一目瞭然だった。


 どうやら必要以上に変異体に警戒していたようだ。確かに白い巨人は恐ろしい化け物だったが、長距離からの精密射撃で接近される前に対処すれば、それほど危険な相手でもなかったようだ。頼もしい仲間でもあるテンタシオンに引き続き周囲の警戒を任せると、探索を続けることにした。

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