第850話 成れの果て〈研究員〉


 体内で成長していた根の除去が完了すると、ペパーミントは動かなくなっていた片腕に視線を落とした。彼女の腕は蔓に締め上げられたさいに人工皮膚リアルスキンが裂けていて、ひしゃげた皮下装甲が露出していた。金属の裂け目から覗く筋繊維は白い液体にまみれていて、完全に断裂していた。


 繊維を構成する素材に〈生体材料バイオマテリアル〉が使用されているためなのか、すでに汚染が進んでいて、組織全体が腐敗し変色しているのが確認できた。汚染された部分はじわじわと広がり、機能停止は時間の問題だった。彼女は腕の状態を確かめたあと、苦渋の決断を下した。というより、腕を諦める以外の選択肢がなかったのだろう。


 腕の切り離しは義体に備わるシステムによって行われた。接合部分に設けられた機構が作動し、不要になった腕がスムーズに切り離される。人工皮膚が劣化していたからなのか、ほとんど抵抗なく剥がれていく。痛覚を遮断している彼女にとって、このプロセスはただの機械的な作業でしかなかったが、見ていてひどく痛々しかった。


 腕の切り離しが完了すると、彼女は脱ぎ捨てていたジャケットを拾い上げて片手で羽織る。そしてジャケットから無数のケーブルを伸ばしていき、肩口の接合部分に挿し込んでいく。生命維持装置が自動的に起動すると、義体のシステムとの同期が行われる。そうして失われた腕や人工器官を補うように、ジャケット内の補助装置が作動し始める。


 ジャケットに備わる機能によって義体の生体活動は維持されるが、彼女が感じているであろう目に見えない幻肢痛や虚しさは、たしかにそこに存在していて、その影が彼女の精神に悪い影響を及ぼしていた。


「……大丈夫、まだ任務は継続できる」

 ペパーミントは気丈に振る舞っていたが、その言葉とは裏腹に、彼女の〈コムラサキ〉が限界なのは誰の目にも明らかだった。肩口に繋がれた無数のケーブルは、まるで生命を繋ぎ止める人工心肺装置の管のように見え、彼女の動きに微かなぎこちなさが感じられた。


 義体が完全に機能を失うのは時間の問題だったが、施設の探索には彼女の助けが必要だった。それに彼女をこのまま放置するわけにもいかない。義体が動かなくなるまでの間だけでも、彼女に同行してもらうことにした。


 機械人形ラプトルたちの状態も確認する。機体の表面だけでなく装甲の隙間にも目を凝らし、植物の種子が入り込んでいないか細部に至るまで確かめていく。人工筋肉などの生体素材は使用されていないが、精密部品や電子回路がダメになってしまうため、機体に侵入した脅威は排除しなければいけなかった。


 すべての点検が終わり、機体に異常がないことが確認できると、エレベーターの扉に視線を向ける。すでに地上の施設に到着していたが、万全を期すために準備が整うまで扉は閉鎖したままだった。外部の状況を知ることなく扉を開けるのは自殺行為に等しい。


「カグヤ、施設内の状況を確認できるか?」

 まずは偵察ドローンを使って施設内の状況を確認してもらうことにした。

『了解、施設の共有ネットワークから警備システムに侵入できるか試してみる』


 偵察ドローンからフラットケーブルが伸びると、壁に埋め込まれたコンソールパネルに接続される。しばらくするとホロスクリーンが投影され、監視カメラを介して施設内の様子が分かるようになる。


 この無人の施設には企業の研究員たちが派遣されていて、〈異星生物〉と共同で未知の技術の研究や、異星から持ち込まれるあらゆるモノが検査されていたという。しかし施設が放置されてからは、メンテナンス用の機械人形すら派遣されず、床には埃が積もっていて照明も落とされていた。


 ここでは〈異星生物〉の宇宙船も整備されていたからなのか、技術の流出を防ぐため施設への立ち入りは厳しく制限されていた。外界から隔絶された影響なのか、施設内で植物や三葉虫めいた生物の姿を見かけることはなかった。


 コンソールから投影されたホロスクリーンには、長い廊下や薄暗い研究室の映像が次々と映し出される。研究機材や機密資料が保管されていた部屋は、今では空っぽの棚が目につくだけだった。別の部屋には、異星の技術を彷彿とさせる奇妙な装置が無造作に置かれている。施設が放棄されて、研究員たちが急いで立ち去った後に残されたものだろう。


 その静けさのなかに異様な存在が映し出された。白い巨人めいた〈人擬き〉が、廊下をゆっくりと徘徊している姿が見えた。どうやらこの施設でも感染した研究員たちが取り残され、人知れず変異を繰り返してきたのだろう。


 監視カメラの映像が切り替わると、広大な空間を有する格納庫が映し出された。施設の他の部分とは異なり、この場所はかつての活気が感じられるような痕跡が残されていた。


 作業のための足場が幾重にも組まれ、点検箇所を知らせるホロパネルが壁や天井に取り付けられている。これらのパネルは緊急時の対応や、作業スケジュールを表示するためのものだったが、今では暗く、静まり返った格納庫の中でひときわ目立つ存在となっていた。


 また整然と並べられた鋼材や工作機械が確認できる。それらは宇宙船の破損箇所を補修するためだけでなく、必要に応じて部品を作り出すために使われていたのだろう。素材が詰まったコンテナが積み重ねられ、3Dプリンターのように機能する〈ファブリケーター〉が設置されていて、工具や未完成の部品が無造作に転がっていた。


 映像を切り替えていくと、〈異星生物〉の宇宙船らしきモノが整備されていた痕跡が確認できた。その機体は見慣れない形状をしていて、有機的な外装が特徴的だった。曲線が多用された船体は、人間が設計したものとは明らかに異なる美的感覚に基づいていた。分解されたパネルや未知の部品が散乱していて、整備の途中で放置されたことが分かる。


 と、そこにあの恐ろしげな白い巨人が姿をあらわす。どうやら格納庫内にも複数の変異体が徘徊しているようだ。すでに発見していた変異体にはタグを貼り付けていたが、まだ無数の変異体が潜んでいるのだろう。


 我々は変異体が徘徊する広大な格納庫の中で、目的の情報――リアクターの修理に関するデータを入手する必要があった。そしてそこには、さらに多くの危険が待ち受けていることは容易に想像できた。一通りの偵察が終わると、いよいよ施設に侵入することにした。


「準備はいい?」

 ペパーミントの言葉に無言でうなずくと、彼女は傷ついた義体に視線を落とした。先ほどの戦闘で損傷した腕の断面からは、変色した装甲と筋繊維が露出していた。そっと溜息をつく表情からは疲労が見て取れたが、彼女は気持ちを切り替えてコンソールパネルに手を伸ばす。


 しばらくすると短い通知音が聞こえて、エレベーターの扉が左右に開いていく。その動きは滑らかで、驚くほど静かだった。何かが崩れるような音も、錆びた機構が軋む音も聞こえない。


 エレベーターの照明によって薄暗い廊下が見えるようになる。変異体の姿はなく、近くに敵意も感じられない。青白い光が床面を照らし、我々の影を浮かび上がらせる。その廊下には見慣れない機材が無造作に配置されていて、床に薄く積もったホコリや床に散らばった書類が時間の経過を感じさせた。


 形振り構わず避難したのだろう、資材をのせた台車がひっくり返っていて、当時の混沌とした状況を思い浮かべることができた。


 テンタシオンたちが廊下に出ると、かれらの動きに反応して廊下の照明が灯っていくのが見えた。変異体の姿は見えないが、すぐ近くに潜んでいる可能性があるので、カグヤのドローンを先行させて様子を見ることにした。幸いなことに、施設内の汚染は確認できなかったので防護服を身につける必要はない。


 倒れそうになりながら歩いていたペパーミントの手を取ると、警戒しながら暗い廊下を歩いた。

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