第848話 ヒマワリ畑


 かつて宇宙船の地下格納庫としても利用されていた広大な空間は、今では異常繁殖した未知の植物に完全に侵食されていた。その植物群は格納庫全体に広がり、壁面や天井、床を覆い尽くしていた。リフトや機体保持用クレーンといった設備も植物に埋もれてしまい、もはや原形をとどめているモノを見つけることすら困難だった。


 それらの植物のなかで、とくに目を引くのは青紫色の燐光を放つヒマワリめいた植物だった。群生する花は異様な存在感を放ち、まるで侵入者を誘惑するかのように揺れている。


 我々が浮遊島を訪れる前の段階で、すでに偵察ドローンや専用の機材を用いて地下の調査を行っていたが、種子を撃ち出す植物の妨害に遭い思うように調査が進まなかった。それでも何とか簡易的な地図を作成することができていて、我々は現在、その地図を頼りに植物に埋もれた格納庫の中を進もうとしていた。


 視線の先に拡張現実で立体的な地図を浮かび上がる。地図は施設の管理システムから入手していた完全なモノで、広大な空間に何があるのか、ひと目で分かるようになっていた。しかし偵察ドローンが取得していた情報を追加していくと、状況は瞬く間に変化していく。


 地図の情報が更新されるたびに、植物によって移動経路が次々と塞がれ、通行可能と思われていた経路も植物が壁になって通行不能になっていた。


『ここも塞がってるみたい……』

 ペパーミントの溜息混じりの言葉に応えるかのように、ヒマワリめいた植物が揺れ、妖しげな光が不気味に瞬く。その光は美しくもあり、同時に本能的な恐怖を呼び起こす。あるいは、捕食者に睨まれた小動物のような気分だったのかもしれない。


 格納庫内に群生する植物の中には、思考しているかのような動きを見せるモノもあり、積極的に道を塞いでいるように見えた。ヒマワリ畑では、我々の気配を感じ取っているのか、鋭い感覚を持つ〈エスカ〉が動きを止めて我々がいる方角をじっと見つめている。


 植物の根はあらゆる方向に伸び、地面をい、天井に絡みつき、ついには〈重力リフト〉にも及んでいた。地上の施設とつながっていたリフトは、今では完全に機能不全に陥り、植物の根によって動かすことすらできない状態だった。


『リフトもダメだね』カグヤの声が内耳に聞こえる。

『どこか別のルートを探すしかない』


 格納庫全体の様子が見えるように地図を広げると、カグヤの偵察ドローンから受信していた映像を使い、実際の状況を確認しながら移動経路を決めていく。足場の崩落や植物によって塞がれていた道を排除していくと、ヒマワリ畑のなかを通り抜ける危険な経路しか残されていないことが分かってきた。


 環境センサーが収集していた情報を確認すると、周囲の温度が徐々に下がり、異様に冷たい空気が漂っていることが分かった。胞子や毒ガスの影響が見られないのは、換気装置の修理が功を奏したからなのだろう。


 ふと視線を動かすと、目の前に広がるヒマワリ畑が幻想的に揺らめいているのが見えた。照明のほとんどが植物に埋もれていたが、その花が発する光のおかげで、ある程度の視界を確保することができていた。その薄明りのなか、どこからともなく不規則にうごめく蔓の音や、種子が発射される音が聞こえてきて、つねに危険が身近にあることを思い知らされる。


 この空間に漂う異常な静けさと、知性を持っているかのように振舞う植物の存在は、眩暈めまいがするほどの恐怖の感覚を伴っていた。


 そこに脅威が潜んでいることは分かっていたが、この場所にとどまっていることもできない。移動の準備ができると我々は武器を構え、警戒しながら植物に支配された空間に足を踏み入れていく。


 直立するヒマワリの茎は驚くほど太く、その高さは人間の背丈を優に超えていた。周囲を見回すと、それらのヒマワリが視界を遮り、障壁のように我々を取り囲い込んでいくように感じられた。


 途端に景色は変わり、どの方向に進むべきなのか一瞬で分からなくなる。花弁から漏れる青紫の燐光が、ぼんやりとした異様な影を投げかけ、さらに混乱を助長していく。


『ごめん、迷ったかも』

 小声でつぶやくペパーミントの言葉で、彼女も混乱していることが分かる。


 すぐにカグヤのドローンから受信していた映像を確認する。彼女のドローンは上空から支援してくれていて、拡張現実で投影される矢印に従って進めば迷うことはないはずだ。


 視界を遮られなかで不気味な植物に囲まれていると、まるでトウモロコシ畑に迷い込んだホラー小説の登場人物のような気分になる。どこからともなく不気味なざわめきが聞こえ、風が吹いていないのにヒマワリが微かに揺れて、足元から植物の根が這う音が聞こえてくる。


 突然、偵察ドローンから警告が発せられる。リアルタイムで受信していた映像を確認すると、こちらに接近する〈エスカ〉の姿が見えた。青紫のぼんやりとした燐光を放つヒマワリ畑のなかで、よりハッキリとした光を帯びている。


 動きを止めて〈環境追従型迷彩〉を起動すると、周囲の環境に姿を溶け込ませていく。背景と同化していくが、その迷彩にどれほどの効果があるのかは分からなかった。〈エスカ〉を操っているモノが、どのように獲物を識別しているのか判明していないので、戦闘の準備をしながら待機する。


 心臓は激しく脈打ち、微かな呼吸音すら気づかれてしまうのではないかと不安になる。この薄暗く静寂に包まれたヒマワリ畑の中では、わずかな動きですら命取りになりかねない。すると〈エスカ〉が近づいてくる音が聞こえてくる。それは二足歩行する生物の足音というより、蛇が地面を這うような音だった。


 迷彩を起動したままヒマワリ畑の中で身を潜めていると、霧のように揺らめく燐光の中から、ゆっくりと〈エスカ〉が姿を見せる。遠目には人間の女性のように見えるが、間近で見ると決定的に狂っていることが分かる。


 頭部は驚くほど精巧に造形されているが、その皮膚は透けるほど薄く青白い。まるで死者を見ているようだ。髪のように見えるモノも、よく見ると無数の細長い蔓が絡み合い頭部から垂れ下がっているだけだと分かる。


 手足のように見えていたモノも、実際には植物の葉や茎で形作られたモノで、表面は濡れたように艶やかだった。その動きは滑らかだが、明らかに人間の関節とは異なる方向に手足を動かしていて不気味だった。


 背中や下半身からは太い根が生えていて、それが地面に向かって伸びているのが見えた。その根を通してヒマワリ畑全体と繋がっていることが分かる。やはり〈エスカ〉は植物の一部でしかなく、畑そのものが意志を持って動かしているのだろう。


 その〈エスカ〉が我々のすぐ近くで立ち止まるのが見えた。照準を合わせたまま様子をうかがっていると、顔面の皮膚がめくれるように開いていくのが見えた。やがてそれは青紫の燐光を放つ花弁に変わっていく。


 つぎの瞬間、花弁にも似た器官が燃えるように発光するのが見えた。その青い光は不吉で、それでいて不気味な美しさを伴っていた。


 直後、足元から伸びた太い根がペパーミントの腕に巻きつくのが見えた。ソレは生き物のように絡みつき、凄まじい力で彼女の腕を締め上げていく。


 ペパーミントは鋭い痛みに悲鳴を上げるが、すぐに機体の痛覚操作が行われ、彼女の痛みを消し去る。しかし恐怖はどうすることもできなかった。彼女は腕に絡みついた根を振り払おうとするが、太い根はさらに強く締め付け、人工皮膚が引き裂かれて金属の外装が剥き出しになる。そのままヒマワリ畑の深淵に引きずり込もうとしているのだろう。


 私はライフルを手放すと、すぐにハンドガンを構え、間髪を入れずに〈貫通弾〉を撃ち込む。太い根は爆散するように消し飛び、グロテスクな体液を撒き散らす。しかし切断された根の代わりに、別の根が伸びて彼女の身体に巻きつこうとする。


 そこにテンタシオンが駆けつけ、体高二メートルを優に超える〈エスカ〉を蹴り飛ばしたかと思うと、機械人形ラプトルたちに指示を出して一斉に攻撃させる。無数の熱線を受けて葉や茎が切断されると、〈エスカ〉はバラバラになり体液を噴き出しながら地面に崩れ落ちた。辺りには煙が立ち込め、巻き添えで熱線を受けた無数のヒマワリが燃えていくのが見えた。


 ペパーミントは植物の根から解放されたが、それは終わりではなく、始まりに過ぎなかった。カグヤから受信した映像を確認すると、新たな〈エスカ〉が複数接近してくるのが見えた。

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