第847話 擬餌状体
すべての換気装置の修理を終えると、攻撃的な植物が異常繁殖していた換気シャフトをあとにした。それまでの緊張感から解放されたものの、潜在的な脅威から完全に解放されたわけではないので気を抜くことはできなかった。
それでもセンサーが収集していた環境データを表示すると、徐々に数値が改善されていることが確認できた。大気中の毒ガスや胞子の濃度が減少していて、大気の淀みが少しずつ和らいでいるのが感じられた。
『これで少しはまともに探索できるようになるかもしれない』
ペパーミントの言葉にうなずくと、拡張現実で表示されていた地図に目をやり、閉鎖されていた区画に向かうための経路を再確認する。我々の目的地は、かつて展示品の搬入に使われていた通路で、コンテナターミナルにある施設に直接つながっていた。
その通路に続く隔壁は長らく開放されたまま放置されていて、他の場所と同様、侵略的外来種でもある異星の植物に侵食されていた。人間が近寄れるような状態ではなかったが、換気装置の修理によって、ようやく汚染を気にせず侵入できるようになった。
目的の通路に近づくにつれて、空気が張り詰めるような異様な緊張感に包まれていく。視線の先には侵入禁止を知らせる警告表示がホログラムで浮かび上がり、赤い文字が薄暗い通路に不気味な光を投げかけていた。
空中でゆらめく警告は『危険』と『侵入禁止』の文字を何度も繰り返し投影していた。どれほどの間、ソレが投影され続けてきたのかは分からないが、その周囲に咲く奇妙な植物も同じように発光しているのが見えた。投影機自体は植物に埋もれ、完全に見えなくなっている。自然と人工物の境界が曖昧になり、この世ならざる光景を作り出していた。
その通路を進むごとに、さらに恐ろしい光景が見られるようになる。鋼鉄製の重厚な隔壁が――まるで巨人の手で
かつて閉鎖され隔離された区画だったのだろう。今では植物の根が扉を突き破り、通路全体に広がっていた。血管のように脈打つ太い根が床面を覆い隠し、足の踏み場もないような状況だった。しっかりした足場を見つけても、その根は――食虫植物のように、パックリと口を開いて足を飲み込もうとするので心が休まることはなかった。
道中、攻撃的な植物に何度も遭遇することになった。突然、前方から何かが高速で飛んできたかと思うと、乾いた衝撃音とともに
そのたびにペパーミントは〈ナノファブリケーター〉を使い、簡易的な障壁を形成して攻撃を防いでくれた。旧文明の鋼材で造形された障壁が凄まじい速度で撃ち出される種を受け止めると、それは生きているかのように跳ね返りながら周囲の植物に被害を出していく。そうして爆ぜていく種は、それがどこであれ、芽を出して驚異的な早さで成長する。
ペパーミントが手にしていた〈ナノファブリケーター〉は、小型ながら非常に高性能な装置で、単に機械部品を作るだけでなく、壁のような大きな構造体すらも造形することができた。と言うより、設計図と素材さえあれば、もっと大規模なもの――たとえば戦闘車両ですら造り出せるのかもしれない。
我々は植物からの攻撃を防ぎながら慎重に進んだ。足元で
内耳に警告音が鳴り響くと、天井から垂れ下がっていた蔓が伸び、うねるように襲い掛かってきた。咄嗟に熱線を発射して蔓を焼き切るものの、すべての攻撃に対応できるわけではなく、何度か危ない目に遭う。未知の病原体による感染を恐れるあまり、積極的に動けないことも問題だったのかもしれない。
それに、製造装置がつくり出す障壁は前方からの攻撃を防ぐには効果的だが、側面や頭上からの攻撃を防ぐことはできなかった。〈ナノファブリケーター〉は便利だったが、やはり戦闘で使用するには限界があった。時間をかけて精巧な構造体を造形できるが、それが完成するまで敵は大人しく待ってくれないのだ。
やがて目の前に、コンテナターミナルに続く巨大な隔壁が見えてきた。かつてこの場所は展示品の搬入経路として利用されていたが、ちょうどその期間に大規模な混乱に見舞われてしまい、地上の入場ゲートのように、厳重な封鎖が行われたことなく現在に至る。
我々の目の前に
太い根や蔓が何層にも絡みつき、金属の壁にしがみつくように張り
そうして邪魔になっていた植物を排除し、やっと一息つけるようになったところで、ペパーミントが前に進み出る。彼女は植物に埋もれていた古いコンソールパネルを見つけ出すと、手元の端末から細いケーブルを伸ばして接続する。
システムの同期が完了すると、コンソールディスプレイに何行もの暗号化された数列が流れるようになる。彼女は手元の情報端末にインストールしていたソフトウェアを使い、手際よく解析を進めていく。
ペパーミントがコンソールパネルから離れると、古びた隔壁が軋むような音を立てて動き始めた。巨大な鋼鉄製の扉は、ゆっくりと上下に、そして左右に開いていき、内部機構が露わになる。隔壁を覆っていた植物は、複雑な展開機構に抗うかのようにピンと張り詰めたが、次々と断ち切られていく。
隔壁が完全に開放されると、予想を遥かに超えた異様な光景を目にすることになる。暗闇のなかに沈み込む広大な空間のなか、青紫色の燐光を放つ無数の花弁が視界を覆い尽くしていた。それは一面に広がるヒマワリの群生だ。
けれど、これらのヒマワリはただの植物ではなかった。燐光を放つ花弁がゆっくりと揺れながら、まるで生き物のように空気を吸い込み、吐き出しているのが見えた。
ヒマワリめいた植物が放つ光は、暗闇に幻想的な彩りを添える一方で、その光には不吉な気配が宿っていた。青紫色の輝きは、獲物を
しかし、このヒマワリ畑にはさらに恐ろしいモノが潜んでいた。遠くに視線を向けると、薄闇の中で動く人影のようなものが見えた。それは、ゆっくりと歩く人型のようにも見えた。けれどそれは、ヒマワリにも似た奇妙な植物が狩りに使う巧妙な
まるでガイノイドを模したかのようなその姿は、遠目には人間の女性のように見える。しかしソレが近づくにつれて、その異質な姿が露わになっていき、手足のように見えていた部分が、実は植物の葉や茎が織りなす偽装であることが分かった。
その〈エスカ〉は、青紫色の燐光を身にまといながらゆらゆらと歩き、まるで人間のように振る舞う。その動きはあまりにも自然で、心理的に強烈な印象を与えるだけでなく、見ている者に圧倒的な恐怖を植えつけていく。
ヒマワリ畑に潜み、暗闇の中で淡い光を放ちながら獲物に近づく姿からは、捕食者が獲物を見つけて静かに忍び寄るときのような狡猾さが感じられた。
ヒマワリ畑全体がひとつの巨大な捕食装置であり、〈エスカ〉という擬似餌が獲物をその中心に誘い込む役割を果たしているのは明らかだった。ここに迷い込んだ生物は、気づけばヒマワリ畑から出られなくなり、死ぬまで囚われてしまうのかもしれない。そうして栄養分に変わるのだろう。
この広大な地下空間に足を踏み入れた瞬間から、この場所そのものが悪意を持ち、我々を追い詰めようとしていることを肌で感じた。どこを見ても、ヒマワリの燐光と擬似餌が不気味に明滅し、闇の中でこちらをじっと見ているように思えてならなかった。
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