第842話 侵食


 地下通路には冷たい静けさが漂っていた。配管から噴き出す白い蒸気が通路の先を覆い隠し、その向こうから微かな機械音が聞こえてくる。何か嫌な感じがしたが、とりあえず壁に設置されていた端末に触れて〈接触接続〉を行う。すると埃まみれになっていたコンソールディスプレイが起動し、地下通路の地図が表示される。


 すぐに管理者権限を使い、展示品の搬入路として利用されていた通路に関する情報を表示する。「情報取得中」の表示のあと、複雑に入り組んだ地図に青色の線で移動経路が示されていく。どうやらペパーミントが手に入れていた情報は正しかったようだ。地下通路を使えば、目的の施設まで直接移動することができる。


 端末を操作しながら、ついでに監視カメラの映像も確認していく。リアルタイムで受信していた複数の映像を画面に表示させると、無人の通路が映し出される。どの通路にも人影は見当たらず、メンテナンス用の機械人形の姿も見られなかった。


 移動経路が安全なのか確認するため、受信していた映像を細かくチェックしていく。〈デジマ〉は長らく無人だったので、崩落や通行止めになっている場所がないか慎重に調べる必要があった。幸い、通路はどれも無傷で、移動に支障はなさそうだった。そして最も危惧していた変異体の姿も確認できなかった。


 どこかに人擬きは潜んでいるのかもしれないが、少なくとも、あの〝白い巨人〟の姿は見られなかった。端末で必要な情報を取得すると、さっそく目的地に向かうことにした。先行していたテンタシオンと連絡を取り、戦闘部隊との合流地点を決めると、ペパーミントを連れて地下通路を移動した。


 通路は長く、薄暗い照明がぼんやりとした光を投げかけているだけだった。壁は配管やケーブルの束が露出していて、時折、バチバチと青白い電光を放つ。そこでは我々の足音だけが規則的に響き渡っていた。ちなみに、拡張現実で進行方向を示す青色の線を表示していたので、複雑な通路でも迷う心配もない。


 コンクリートの壁に囲まれた灰色の通路を進むと、やがて視線の先に金属光沢を帯びた鋼材がき出しの隔壁が見えてくる。厚い隔壁は厳重に閉ざされ通行を阻んでいたが、それよりも気になったのは周囲に散乱する異様な光景だった。


 まず目に飛び込んできたのは白骨化した人間の遺体だった。床に転がる長骨の太さや長さから、それが旧文明の人類のモノであることは間違いなかった。骨の表面は黄ばんでいて、床には黒い染みが広がっていた。腐っていくままに放置されたのだろう。


 遺体のひとつは壁際に寄りかかるように座り込み、もうひとつは通路の中央にうつ伏せに倒れていた。彼らは黒ずんだボディアーマーやフェイスマスクを装着していて、ただの警備員ではないことがうかがえた。装備は軽量化と耐弾性を両立させた軍事用のもので、胸部や肩部に焦げた跡や貫通痕が見られた。


 遺体のすぐ近くには、一見すれば工具にも見えるレーザーライフルが落ちていた。それは暴徒鎮圧用の装備ではなく、明らかに殺傷を目的とした兵器だった。白い外装からは細かな配線や冷却フィンが剥き出しになっていて、銃身を覆うカバーには連続射撃による焦げ跡があり、それが使用されたときの激しい戦闘の様子を物語っているようだった。


 通路の壁面パネルや床にも戦闘の痕跡が確認できた。レーザーの直撃による焦げた黒い線が幾筋も走り、配管やケーブルの一部が切断されていた。床にもひび割れが広がり、それなりの規模の戦闘が行われたことが想像できた。足元には乾いた血痕が点々と残されていて、そのいくつかは隔壁の向こう側に続いていた。


 天井に視線を向けると、監視カメラと思われる半球形の装置が設置されているのが見えた。当時の映像を取得できないかペパーミントに確認してもらうが、施設が放棄された際にデータが消去されていて、何も手がかりを得ることはできなかった。


「ねぇ、奇妙だと思わない」と、ペパーミントは眉を寄せる。

 彼女の〈コムラサキ〉に慣れていないからなのか、表情に違和感を抱きながら言う。

「他の施設でも似たようなことがあったし、彼らも人擬きに襲われたんじゃないのか?」


「そうじゃなくて、隔壁のこと」

 彼女はそう言うと、巨大な隔壁に設置されていた端末を操作する。

「ほら、ついさっき手に入れた情報では、通行止めは確認できなかったでしょ?」


「そう言えば……そうだったな」

 すぐに地図を表示して、隔壁の閉鎖に関するログがないか確認するが、とくに何も見つけられなかった。何者かによって情報が操作されているのだろうか?


「カグヤ、隔壁の向こう側がどうなっているのか調べてくれないか」

『了解、すぐに確認する』


 彼女の偵察ドローンが端末に接続すると、微かな電子音が聞こえ、複数のホロスクリーンが通路に投影されて隔壁の向こう側がどうなっているのか分かるようになった。それは想像を絶する光景だった。どうやら我々が想定していたよりも危険で、異常な事態に陥っていたようだ。


 地下通路は得体の知れない植物に侵食され、完全に埋め尽くされていた。異星の侵略的外来種でもあるその植物は、金属の壁面パネルやとコンクリートを容易く突き破り、じれた根やつるを張りめぐらせていた。それらの蔓は生きているかのような動きを見せ、時折小さな刺がゆっくりと出入りする様子が確認できた。


 蔓は粘液質の液体で覆われていて、その液体は一見無害に見えるが、どこか毒々しい緑色の蒸気を立てていた。


 それは、亜熱帯のジャングルにも似た光景だったのかもしれない。照明がほとんど届かない暗闇のなかにあったが、通路全体が異様な植物で覆われていて、その植物が発する青白い不気味な光に照らされていた。壁に根を張る巨大な花弁は、まるで獲物を誘うかのように、ゆらゆらと揺れながら発光していた。


 床を這う植物の蔓は触手のようにうごめき、通路全体を覆いつくしている。すでにこの植物の根が深く通路に食い込み、旧文明の建材すら侵食し始めていた。通路内に立ち込める蒸気が微妙な色合いに変化していることに気がついて注意深く調べると、菌糸類の存在が確認できた。


 おそらく胞子が大気中に舞っているのだろう。植物の侵食によって換気装置が停止していたからなのか、上階の施設に影響が出ることはなかったが、最悪な状況に変わりない。大気中の環境情報を取得しているセンサーも故障していて、もはやどれほど汚染されているのかも分からない状況だ。


 ホロスクリーンに表示される映像を切り替えていくと、天井から伸びる植物が形成していた奇妙な塊が見えた。膨れ上がった瘤のような部分からは、黒くドロドロとした液体が滴り落ちているのが見えた。その液体は、まるで生命を持っているかのように地面をい回り、そして植物の根に吸い込まれていく。


 そのすぐとなりには、朱色の光を帯びた異常に大きな花が見えた。白い花びらは重々しく垂れ下がり、中心には淡い光を放つ球体が――人の眼球にも似た器官が動いているのが確認できた。それは毒々しい色のガスを放出していて、通路を濃い緑色の霧で覆っていた。


 見たところ、監視カメラの映像は差し替えられていて――あるいは、過去の映像を繰り返し表示するように変更されていた可能性が高い。それは、何者かが地下の状況を隠蔽しようとしていたことを示していたが、その理由は一切不明だった。ただひとつ確かなことは、この場所が安全ではないということだった。


 未知の病原体に感染しないため、何か対策を考えなければいけない。カグヤと相談しながら停止していた換気装置を動かす方法がないか調べていると、テンタシオンが金属製のコンテナボックスを抱えてやってくるのが見えた。どこで拾ってきたのかは分からないが、コンテナには〈兵站局〉の文字が刻印されていた。


 彼に話を聞くと、コンテナは白骨死体のそばに無造作に置かれていたモノだという。どうやら他の通路も隔壁で閉鎖されていて、近くに白骨死体が転がっていたようだ。その金属製のコンテナには無数の凹凸があり、何者かが乱暴に開こうとした形跡が確認できた。


 コンテナに触れて〈接触接続〉でロックを解除すると、軍用のサバイバルキットと簡易型のレーザー兵器、それに防護服が折りたたまれた状態で収められていた。保存状態が良かったからなのか、防護服の機能はまだ保たれているようだった。内側には冷却装置が組み込まれ、フェイスマスクにはフィルターとセンサーが搭載されていた。


 しかし、これらの防護服が植物の胞子に対応できるのかどうかは分からない。その防護服を手に取りながら、ふと先ほどの白骨死体に目を向ける。もしかしたら彼らは、植物の増殖を抑え込もうとしていた治安部隊だったのかもしれない。結局その努力は実らず、何者かに襲撃され、今では骨だけが残されてしまったが。


 さっそく手分けして他にもコンテナボックスがないか調べることにした。未知の病原体に対する恐怖と、この先に待ち受けているであろう脅威に対して不安を感じていたが、これらの物資を上手く活用できれば、困難な状況を切り抜けられるかもしれない。

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