第841話 感染体


 通路に甲高い金属音が鳴り響き、変異体に〈貫通弾〉が撃ち込まれる。質量のある銃弾が白い巨人の口腔内に侵入すると、凄まじい衝撃とともに後頭部が破裂するように吹き飛ぶのが見えた。


 ソレは標的をズタズタに破壊するだけでなく、後頭部から飛び出した弾丸の衝撃で変異体の頭部は捩じれ、渦を巻くようにして脳漿やら骨片を周囲に撒き散らすことになった。その直後、かつて頭部があった場所からタール状の真っ黒な血液が噴き出していくのが見えた。


 頭部を失った変異体は、よろよろと後退あとずさると、驚くほどの生命力でその場に踏みとどまろうとした。しかし最終的には力尽き、ドサリと床に崩れ落ちた。無残に破壊された肉体からは真っ黒な体液が勢いよく流れ出していく。一転して静寂が訪れたが、空気をつんざくような射撃音が、今も耳に残っているようだった。


 変異体の体内から噴出するタール状の体液は、地面そのものを汚染するかのように、あっという間に床一面に広がり黒々とした血溜まりをつくり出していく。


 幸いなことに、変異体の体液は強酸性ではなかった。もしそうであるなら、施設の構造に甚大な被害を与えかねなかったが、今のところ、その心配はなさそうだ。とはいえ、この粘液質の体液は厄介だ。ドロリとした黒い液体は、まるで生きているかのように広がり、踏み込めば簡単に足を取られてしまいそうだった。


 床に広がっていく体液を避けていると、施設のメンテナンス用に配備されていた複数の機械人形が規則正しい機械音を立てながら接近してくるのが見えた。小型で四角い掃除ロボット――おそらく自律型掃除機だろう――は、変異体の残骸を片付けるべく、真っ黒な液体に近づいていく。


 そして一生懸命に体液を吸引しようとするが、粘着質の体液を吸い込むのは困難で、かえって床に黒い染みを残していくことになる。掃除ロボットの努力もむなしく、黒い染みは視覚的な不快感を一層引き立てる結果となってしまった。


 掃除のための別の機械人形が近づいてくるのが見えたが、それよりも気になることがあった。変異体との戦闘で血が流れたので、通路が汚染されていないか調べることにした。


 環境データを確認するため拡張現実で表示されていたインターフェースを操作すると、目の前に図形やら数値が表示される。そのすべてを理解することは出来なかったが、それまで安定していた数値が急速に変動していくのを見て嫌な胸騒ぎがした。ペパーミントも数値の異常に気がついたのか、死骸から大気中に広がっていく未知のガスに注目する。


 が、その正体を突き止める前に変化が起きてしまう。変異体の死骸から奇妙な植物が芽を出しているのが見えた。ソレは宿主の死を待っていたかのように、黒々としたタール状の体液の中から老竹色の茎をのばしていく。その成長は驚くほど速く、茎は瞬く間に太くなり、やがて先端に大きな花を咲かせた。


 その花は、どこか〝ヒマワリ〟にも似ているが、通常の植物とは異なる異様な雰囲気を漂わせている。


 青紫色に染まった花びらが一斉に広がると――まるで燐光のような、淡い光が放射されていき、花全体が青紫色の炎に包まれて発光しているように見えた。グロテスクな死骸を苗床にして花を咲かせる植物は、美しさと恐ろしさが混ざり合った奇妙な姿で鮮烈な印象を与える。


 その花には見覚えがあった。おそらく変異体は、コンテナターミナルを埋め尽くしていた得体の知れない植物に由来する〝未知の病原体〟に感染していたのだろう。そしてその病原体には、潜伏期間のようなものがあったのかもしれない。宿主の死と共に体内で生成されていた種が発芽して、あのヒマワリの花を咲かせた。


 変異体の死骸から生まれた奇妙な植物は、変異体を宿主として利用し、分布域を広げようとしていたのだろう。それがあの植物の――侵略的外来種の特性であるなら、見過ごすわけにはいかなかった。未知の病原体がもたらす脅威は、浮遊島に生息する生物の感染に留まらず、地球の生態系そのものを変えてしまう可能性を秘めている。


 カグヤたちと協力して大気中のデータを調査していく。幸いなことに、現在のところ施設内に胞子が散布されている兆候は見受けられなかった。しかし、これで安心できるわけではない。放っておけば、いずれこの植物は進化――あるいは変異を遂げ、死骸は菌類で埋め尽くされ、その結果、環境を汚染する胞子が散布されるようになるかもしれない。


 感染を未然に防ぐため、まず管理システムを使い通路内の換気装置の状況を調べた。装置が正常に稼働していることを確認すると、テンタシオンの戦闘部隊に指示を出し、死骸と植物の焼却を実行する。


 あのヒマワリらしき植物が、まだ一本だけの段階で焼却すれば、環境に対する汚染のリスクも最小限に抑えられかもしれない。であるなら、迅速に行動しなければいけない。指示を受けた機械人形ラプトルたちは死骸を囲みながら、ライフルの弾薬を切り替えていく。


 そして火炎放射が行われると、死骸は瞬く間に炎に包まれ焼き尽くされていく。あの得体の知れない植物もまた、炎の中で形を失っていく。


 メンテナンス用の機械人形たちは、その激しい炎に驚いたのか、死骸から距離を取り作業の進行を静かに見守っていた。焼却が進むなか、通路全体に煙が立ち込めていく。〈ハガネ〉のマスクを装着していたが、それでも心配になるほどの黒煙が立ち昇り、そして天井に吸い込まれるようにして消えていく。


 しばらくして焼却作業が完了し、死骸と植物の脅威が完全に取り除かれたことを確認すると、メンテナンス用の機械人形に作業を引き継ぐ。彼らは効率的に作業を進め、床の清掃や残留物の除去に余念がない。変異体の体液に濡れていた床面は、すぐに磨き上げられ元の状態に戻っていく。


 ずっと眺めていられるほど見事な手際だったが、戦闘音によって他の特異個体を引き寄せてしまった危険性があったので、すぐに目的の場所に向かって移動を再開する。


 通路の先に進むと、中央ホールを見下ろせる吹き抜け構造になっているエリアに出た。天井が高く、幾重にも階層が重なり合うように広がっているのが確認できた。空が透けて見える天井からは、柔らかな光が差し込みホール全体を明るく照らしている。


 すぐ近くには休憩場やトイレの位置を示すホログラム投影機が設置されていて、淡い青色の光で進むべき道を示してくれていた。レストランやラウンジも用意されていて、清潔感のある空間になっていた。


 そのホールを横切り、施設の地下につながるエレベーターホールに向かった。カグヤの操作でやってきたエレベーターの内部は、それほど広くなく窮屈だったが、すでに半数の機械人形を失っていたため全員で乗り込むことができた。扉が音もなく閉まると、エレベーターは無音のまま地下に向かう。


 目的の階に到着して扉が静かに開くと、目の前に長い通路が見えた。そこは来場者の目に触れることのない従業員専用のエリアだった。展示フロアで見られた洗練された調度品や、先進的な装置はなく、この場所は機能性を重視した質素な場所になっていた。


 地図を確認すると、通路が分岐していて非常に複雑になっていることが分かった。足元の床は滑らかだが、装飾の一切ない灰色の石材で、歩くたびにわずかに音が反響する。壁面は打ちっぱなしのコンクリートで、その荒々しい質感が薄暗い照明の下で重苦しい雰囲気を醸し出している。


 その壁に視線を向けると、あちこちに露出した配管やケーブルの束が絡み合うように張り巡らされているのが見えた。それらは無秩序に配置され、蒸気や液体が漏れ出す音が聞こえる。


 配管の表面には水滴が付き、冷たい金属がじっとりと汗をかいている。壁を這うように束ねられケーブルも、どこに繋がっているのかは分からない。時折、通路の奥から機械が低く唸るような音が微かに聞こえてきて、施設全体がまだ生きていることを感じさせたが、その音もまた、この閉鎖的な空間で不安を煽るような陰鬱さを持っていた。


 結局、旧文明の施設で見慣れた光景に変わってしまった。華やかな展示フロアでゆっくりできなかったのは残念だったが、今は気持ちを切り替えて、任務に集中しなければいけない。テンタシオンに偵察を頼むと、近くの端末に接続して地下通路の詳細な情報を取得することにした。

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