第840話 予期せぬ遭遇
特異個体が徘徊する展示フロアは、奇妙で恐ろしげな生物たちの標本で溢れていた。そのひとつひとつが地球上では見られない異様な姿をしていて、未知の生命体に対する興味が湧いてくる。
それらの標本は、奇怪な形状のガラスケースや小さな筒状の容器に収められていて、AIエージェントのガイドによって詳細な情報を知ることができた。それは見知らぬ遠い宇宙に生息する生物の姿を、かつてないほど詳細に伝えてくれていた。剥製や標本を観察しているだけで、畏怖と驚きに満ちた感情を抱くほどに。
けれど残念なことに、我々にはソレを観察する時間がなかった。変異体に見つかるリスクを冒してまで、興味本位で立ち止まるわけにはいかなかったのだ。地図を開いてフロアの出口を確認すると、すぐさま移動を再開した。
できる限り慎重に、しかし迅速に行動し、広大な展示フロアを横切りながら変異体に見つからないように移動を続けた。整然と並べられた展示ケースの間を通り抜けるたびに、目に見えないプレッシャーに押しつぶされそうになる。
その極度の緊張感のなか、我々は時間をかけて展示フロアを抜け、連絡通路にたどり着くことができた。だが、まだ安心することはできなかった。すぐさま背後の扉を閉鎖することにした。
ペパーミントは両開きの大きな扉の横に立つと、腰の辺りから伸びる尻尾のようなケーブルを使い、扉に備えつけられていた端末に接続する。彼女が作業している様子を眺めていると、いかにその扉が大きいのか実感することができた。
宇宙軍に所属していた兵士の背丈は二メートルを超えていたらしいが、それでもこの扉は大き過ぎるように思えた。やはり施設全体が〈異星生物〉の来訪を想定した設計になっているのかもしれない。あるいは、日常的に交流が行われていたのかもしれない。
しばらくして扉が閉じると、彼女は得意げな表情で尻尾を振ってみせた。扉が閉鎖されたからといって我々の安全が保証されたわけではないが、これで少なくとも背後から変異体に襲われる心配はなくなった。
ホログラムで投影されたフロアマップを確認しながら、今後の移動経路を検討していると、突然、前方から物音が聞こえてきた。これまで連絡通路にいるときには変異体に遭遇しなかったので、誰もが通路内は安全だと無意識に信じていた。しかしその音を聞いて、我々はすぐに危険な領域にいることを思い出すことになった。
部隊の隊長でもあるテンタシオンがわずかに前に出て、音の発生源を注意深く調べる。機体に組み込まれたセンサーが小刻みに動き、通路の暗がりを走査していく。こちらの位置がまだ露見していないことを祈りつつ、我々は支柱の陰に入ると〈環境追従型迷彩〉を起動して、じっとその瞬間を待った。
案の定、通路の先に姿を見せたのは、例の〝白い巨人〟だった。明るい照明に乳白色の肌が不気味な艶を帯びていて、ゴツゴツとした肋骨が浮き出た痩せこけた体躯が異様な存在感を放っていた。その顔には、あの奇妙な笑みが浮かんでいて、逃げ隠れしている我々を嘲笑っているかのように見えた。
予期せぬ遭遇に戸惑うが、その化け物が特異個体なのか見極める必要があった。迫りくる脅威を肌で感じながら、もはや人擬きと呼べないほどの変異を繰り返した恐るべき化け物の姿を注意深く観察する。が、やはり通常個体との間に違いはなく、それが特異個体なのか判断することはできなかった。
熱光学迷彩を用いて周囲を偵察していたカグヤのドローンからデータを受信する。視界に表示された情報を確認すると、通路にいる変異体が一体だけだと分かった。展示フロアから迷い込んできたのだろうか?
しかしたった一体であったとしても、我々の脅威であることに変わりない。そして厄介なことに、この巨人を排除しない限り、進路は確保できないということも分かった。
テンタシオンに戦闘の合図を送ると、彼はすぐさま部隊に指示を出す。すると機械人形たちは――よく訓練された軍人のような動きで、物音を立てずに、正確な動きで左右に展開し射撃可能な位置まで移動する。そしてライフルの弾薬を貫通力のある特殊弾に切り替え、迫り来る変異体を静かに待ち構える。
通路に漂う緊張感は濃密で、どこかで動いている換気装置の微かな音が聞こえてくるほどだった。そして、とうとうその時が来た。
白い巨人が有効射程に入るや、機械人形たちは左右から一斉射撃を開始した。瞬時に無数の弾丸が撃ち込まれ、閃光が瞬いていく。弾丸が変異体の身体に次々と食い込むと、その白い肌に黒々とした弾痕が刻まれていく。それでも何も変化がないように見えたが、やがて黒々としたタール状の体液がじわりと流れ出し、床に滴り落ちていくのが見えた。
しかし機械人形は決して手を緩めることはなかった。敵が倒れるその瞬間まで弾丸を撃ち込み続けるつもりなのだろう。銃声は絶え間なく響き、反響する射撃音が耳をつんざき、衝撃波が空気を揺らしていく。しかしそれでも巨人は倒れない。あの不気味な笑みを浮かべたまま、ゆっくりと前進し続ける。
戦闘部隊の十字砲火を受けても、どういうわけか変異体は依然として動いていた。体内からは黒い体液が溢れ出し、清潔な床を穢し、まるで侵食するように黒々と染めていく。
その間もテンタシオンは冷静に状況を分析していた。そして変異体の体液や肉片に危険がないことが分かると、ある決断を下した。彼は落ち着いた動作でライフルを構え、狙いを定めていく。目標は巨人の頭部だった。その頭蓋を貫くことで、何とかこの脅威を無力化しようと考えたのかもしれない。
鋭い銃声とともに放たれた弾丸は、正確にその頭部に命中した。変異体の頭が激しく仰け反り、黒い体液とともに骨片が飛び散る。けれどその瞬間でさえも、まるで死を嘲笑うかのように巨人は奇妙な薄笑いを浮かべていた。
激しい十字砲火のなか、白い巨人は死を知らぬ獣のように銃弾を物ともせず、ゆっくりと両手を地面につけた。次の瞬間、恐るべき力で地面を蹴り、信じられない速度で走り出した。そして圧倒的な力で機械人形の一体に襲いかかった。
それは単純な突進だったが、その衝撃は、まさに破滅的だった。巨体から生み出された凄まじい力に押し潰されるように、機械人形が爆散するように瞬時に粉砕される。装甲が破壊され、内部構造が無惨に引き裂かれ、破壊された部品が床に散乱する。その破壊力は尋常ではなく、一撃で機械人形を戦闘不能に追い込んだ。
変異体はその勢いを止めることなく、近くに立っていた別の機械人形に視線を向ける。そして異様に長い腕を伸ばし、一瞬で機械人形を捕らえた。鋼鉄さえも握り潰すほどの握力を持っているのか、ラプトルの装甲は紙のように潰れ、みしみしと音を立てながら歪んでいくのが見えた。
そして幼い子どもが乱暴におもちゃを扱うように、重たい機体を片手で持ち上げ、そして何度も壁に叩きつけた。衝撃で壁はひび割れ、機械人形は潰れた金属の塊に変化しながら壁に埋まっていく。
そして変異体はあの不気味な笑みを浮かべたまま、真っ暗な瞳で我々の姿を捉える。巨人の標的が機械人形から変わったのを感じた。
緊張感が一気に高まる。戦闘部隊は一斉射撃で化け物の動きを止めようとするが、巨人の前進を止めることはできない。黒々とした体液に濡れた巨人の足音が重く響き、ゆっくりと、しかし着実に近づいてくるのが見えた。
すぐにハンドガンを構えて化け物に照準を合わせるが、視界に無数の警告が浮かび上がる。どうやら施設内での〈秘匿兵器〉の使用は禁じられているようだ。〈重力子弾〉や〈反重力弾〉などの強力な攻撃で、貴重な遺物が保管されている施設に被害を出さないための厳格な規則だ。
たとえ警備システムのアクセス権限を持っていたとしても、それを覆すことはできなかった。それなら〈貫通弾〉はどうだろうか? 瞬時に弾薬を切り替えると、眼前に迫っていた化け物の口腔内に銃弾を撃ち込んだ。
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