第838話 異星生物〈剥製〉
変異体からの脅威を感じながら、我々は展示フロアを慎重に移動していた。異種文明の技術が展示されたこの場所は、驚異的な装置がそこかしこに置かれていて、フロア内を隅々まで探索したいという欲求に駆られる。けれど徘徊する変異体は、我々のささやかな希望まで奪っていく。これ以上の危険を冒すわけにはいかない。
それでも、いくつかの貴重な展示品を手に入れることができたのは僥倖だった。〈接触接続〉のあと、適切な手順を踏んでケースを開放していたこともあり、騒ぎを起こすことなく目的のモノを手に入れることができた。
また、幸運にも〈ナノファブリケーター〉に使用するカートリッジ型の予備素材や、設計図が記録された〈クリスタル・チップ〉も見つけることができた。これらのアイテムは今後の探索に大いに役立ってくれるだろう。
企画展示が行われていたフロアを抜けて接続通路に出ると、これまでの緊張感が少しだけ和らいだ。展示フロアとは対照的に通路は明るく、広々としていて、まるで別世界に足を踏み入れたかのような感覚に包まれる。そこでは空気まで綺麗に感じられた。
大理石調の石材が敷き詰められた床面は磨き上げられたように清潔で、外の景色が透けて見える壁からは柔らかな光が差し込んでいて、危険な変異体が徘徊しているような施設だとは思えないほどの安心感があった。
奇妙なことに、通路では変異体の姿が見られなかった。展示フロアにはあれほど多くの変異体が徘徊しているにも
あるいは、変異する以前の記憶が何らかの形で彼らの本能に影響を与えているのかもしれない。たとえば、従業員だった頃の習慣として展示フロアに引き寄せられているのかもしれない。皮肉なことに、自意識を失っても責任感に突き動かされている姿は、彼らが人間だったということを証明しているようでもあった。
その通路の左右には、〈異星生物〉らしき異形の生命体がホログラムで投影されていた。人間の理解を超えた異形の生物は、ナメクジめいた半透明の身体を揺らし、巨大な単眼で来場者を歓迎していた。
どうやら通路の先には〈異星生物〉の標本が展示されているエリアになっていて、そこでは生態に関する簡単な説明が受けられるようになっているようだ。通路に端末が設置されていて、複数のヘッドセットが整然と並べられていた。これらの装置を使えば、AIエージェントのガイドと一緒に展示品を見学できるようだ。
展示フロアの入り口が見えてくると、まるで悪夢から抜け出してきたかのような異様な生物の剥製を目にすることになった。入り口の目立つ場所に恐ろしげな姿をした生物の剥製が展示されているのは、来場者に強烈なインパクトを与えるための狙いがあるのだろう。
その生物は――あまりにも巨体で毛皮に覆われていたが、ザリガニのような姿をしていた。しかし地球の生物には見られない異様さが際立っていた。まず目に入るのは、ゴツゴツした外殻に覆われたハサミだ。ソレは人間を真っ二つに引き裂けるほど大きく、禍々しい形状をしていた。
節足動物を思わせる無数の脚の先端には鉤爪があり、人間の皮膚や筋肉を引き裂き、骨まで軽々と切断できるほど鋭利だった。全身を包み込む体毛は奇妙な光沢を放ち、見る角度や光の加減で色合いが変化する構造色になっていた。
しかし最も異質だったのは、細長い頭部だった。長毛から覗く頭部には四本の棒状の器官が突き出していて、その先端には生物の眼球だと思われるモノが確認できた。その
体毛に隠れた口元からは体液がヌラリと滴り落ち、見る者の心に不快感と恐怖を植え付けた。この生物を見ただけで、おそらく大抵の人間はその場から逃げ出してしまうだろう。
しかし拡張現実で表示されていたガイドによると、この生物は菜食主義であり、争いを好まない平和的な種族であるという。信じ難いことに、この醜悪な姿を持つ生物は文学や芸術を愛し、人類が宇宙で遭遇した生物の中でも高い知性と文化的側面を持つ種族なのだという。
日本には「人は見かけによらぬもの」ということわざがあるが、この生物ほどその言葉にふさわしいものは存在しないだろう。その恐ろしい姿とは裏腹に、彼らの精神面は豊かで知性的だった。思わず畏怖と尊敬が入り混じった感情が芽生えてしまうほど、高潔な種族なのだという。そっとその体毛に触れると、静電気にも似た痛みを感じた。
我々は、その巨大な〈異星生物〉の横を通って展示フロアに足を踏み入れる。そこで目に飛び込んできたのは、異様な数の変異体が徘徊している光景だった。遠目で見てもその数の多さは明らかだった。慎重に移動経路を選択しなければいけない。
ここでもテンタシオンが指揮する戦闘部隊が、安全な経路を確保するために先行することになった。光学迷彩を活用し変異体の視線を
そこで異変が起きる。これまで〈白い巨人〉は動くものにしか反応を示さなかったが、その個体は機械人形の姿を目にしただけで襲い掛かってきた。突然の襲撃に、二体のラプトルがあっという間に破壊され、部品が床に散らばることになった。
厄介なことに、その個体は通常の変異体と見た目に大差がなく、姿形からは違いを判断することが困難だった。他の変異体と同じくフラフラ歩き回っているかと思えば、突然襲いかかってくるため、反撃する間もない。
我々はすぐに身を潜め、すべての変異体から距離を取る。あらたな脅威を目の当たりにしたことで、これまで以上に慎重さが必要とされる状況になった。
カグヤは襲撃してきた個体を識別するため、変異体にタグを貼り付けることにした。テンタシオンも彼女の意図を理解し、標的になる個体に識別タグを貼り付ける。タグがついた変異体は赤色と青の二重線で縁取られ、他の個体と見分けられるようになった。これで危険な個体を見落とすことはないだろう。
けれど、それだけでは不十分だった。脅威になる敵がどこに潜んでいるのか、そのすべてを把握するために更なる対策が必要だった。そこで戦闘部隊を指揮するテンタシオンは、〈サイコロデコイ〉を使用することを提案する。それは人工島で入手していたサイコロ型の小さな装置で、任意のホログラムを投影して囮をつくり出すことのできる道具だった。
ラプトルの一体が〈サイコロデコイ〉を取り出し、通路の中央に向かって投げた。デコイは軽やかに転がり、静かにその場で停止すると、即座に人間の姿を投影する。
ホログラムとはいえ、その姿は驚くほど現実的で生々しい動きをみせていた。通路に立つ人間の立体映像は、まるで怯えたように支柱の陰に身を隠し、身動きすることなく周囲の様子を窺う。
そこに数体の変異体が接近してくるのが見えた。ホログラムに対して攻撃の意志を持っているようだ。彼らの動きは一貫して狂暴であり、野獣のような姿勢でホログラムに突進していた。身動きしないホログラムに襲い掛かっていることからも、かれらが特異個体なのは間違いないのだろう。
カグヤはその瞬間を見逃さず、デコイを攻撃した変異体にタグを貼り付けていく。脅威となる個体には即座に識別タグが貼り付けられ、我々の共有ネットワークでリアルタイムに追跡可能な状態になる。デコイを使った判別方法は地味だったが、驚くほど効果的でもあった。おかげでフロアにいる特異個体を見つけ出すことに成功した。
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