第836話 威力偵察
総合案内所でフロアマップを入手したあと、静まり返った無人のラウンジを通って広々とした中央ホールに向かう。フロアの天井は吹き抜けになっていて高く、まばらに設置された照明から淡い光が降り注ぎ、ホログラムによって再現された桜の木から花びらがひらひらと舞っているのが見えた。
中央ホールの左手側にはミュージアムショップがあり、右手側には――なぜか宇宙軍の募集事務所が設置されていた。
かつて賑わっていたであろうショップの前には、いくつものショーケースが並んでいた。ガラスケースの中には〈異星生物〉に関連する書籍やグッズが陳列されているが、ホコリが薄く積もっているのが見えた。手前の棚には奇妙な造形のぬいぐるみや、異種文明の遺物だと思われるミニチュアが無造作に並べられていた。
虹色の鱗に
兵士の募集事務所には、おそらく宇宙軍の募集官が派遣されていたが、あまり歓迎されていなかったのだろう。事務所の外観は地味で、入り口近くに設置されたホログラム投影機も故障していて、かろうじて募集事務所だと分かるだけの情報が投影されていた。
ちらりと事務所のなかを覗くと、内部も地味で狭い空間になっていた。生体認証のための端末が備え付けられたデスクとイスが置かれていて、すぐそばの低いテーブルには〈クリスタル・チップ〉が無造作に積まれていた。
ソレは入隊希望者に配布されていたチップなのだろう。もともと宇宙軍に関する資料がダウンロードできるようになっていたが、ペパーミントが調べてみると中身は空っぽだった。何かしらの理由で〈デジマ〉の募集事務所が放棄された時点で、チップに保存されていたデータも消去されたのだろう。
その事務所のすぐとなりには、広報の一環として宇宙軍のグッズを販売するブースが設置されていた。戦闘糧食やら多脚戦車のプラモデルなどが目についたが、〈
目的地は地下にある展示品の搬入経路に使用されていた通路だったが、そこにたどり着くためには、まず中央フロアに設置されたエスカレーターで上階の展示フロアに行く必要があった。
エスカレーターは停止していたが、我々の動き反応して動き出す。無人の施設は奇妙な静寂に支配されていて、どこからともなく微かな電子音が聞こえてくるだけだった。エスカレーターが動き出すが、その音すら、この異様な静けさの中では不気味な音に聞こえる。必要以上に緊張しているのかもしれない。
すでに監視カメラの映像で脅威になる生物の位置は確認していて、展示フロアに数体の変異体が徘徊していることも分かっていたが、妙に静かで、化け物の気配は感じられない。敵意を感知する瞳の能力を使っても、敵の位置は確認できなかった。やはり人擬きのように明確な殺意や悪意を持たない生物が相手だと、あまり役に立たないのかもしれない。
目的の階層に到達すると、カグヤのドローンとテンタシオンが指揮する
『了解しました、艦長』
テンタシオンは青年の声を再現した機械的な合成音声で返事をする。
機械人形の部隊は〈環境追従型迷彩〉を起動すると、足音を立てずに、薄暗い照明が灯る展示フロアに侵入していく。すでに施設を管理するシステムに警備用の機体として登録していたので、テンタシオンたちがフロアに足を踏み入れても騒がしい警報が鳴ることはなかった。
その戦闘部隊がいなくなると、ペパーミントを連れて支柱の陰に入って身を隠す。暗がりに耳を澄ますと、遠くから微かな息遣いが聞こえてくる。施設内を徘徊している変異体のものだろう。息遣いは不規則で、肺に障害を持っているようにも聞こえた。
カグヤのドローンからリアルタイムで受信していた映像を確認すると、〈異星生物〉の遺物が並ぶ広大なフロアを確認することができた。偵察ドローンのすぐ近くには、粘土板のような奇妙な遺物が展示されているガラスケースが置かれ、薄暗い照明のなかで不気味に浮かび上がっている。
どうやら展示されている遺物の多くは、人工島のカジノで見たようなレプリカではなく、ほとんどが本物の遺物のようだった。異種族の文明を垣間見せるこれらの遺物は、ただの展示品に過ぎないが、周囲に漂う異様な空気からは、何かしらの魔術的な力が備わっているような錯覚を抱かせる。
あれこれと考えている間にも、戦闘部隊は事前に設定されていた移動経路を通ってフロアを進んでいた。テンタシオンは変異体が侵入者に対してどのような行動をとるのかを確認するつもりなのか、徘徊する変異体を見つけることを優先しているようだった。
やがて一体の化け物が通路の先から、のそっと歩いてくるのが見えた。その白い巨人は、かつて人間だった面影を残しているが、変異を繰り返したことでミイラを思わせる異様な姿になっていた。ゆっくりとした動きは緩慢で、どこに向かって歩いているのかさえ分からない。
テンタシオンは他の変異体の位置情報などを冷静に分析したあと、戦闘部隊に指示を出し、一体だけ変異体に接近させる。逆関節の脚部をしなやかに動かし、無音で進むその姿は半透明の幽霊を見ているようでもあった。しかし周囲に同化する光学迷彩を使用しているからなのか、変異体はまったく反応を示さない。
それを確認したテンタシオンは、光学迷彩を解いた状態で変異体がどのような反応を示すのか確かめることにした。冷たく無機質な金属の外装が薄暗い照明に浮かび上がる。けれど結果は同じだった。変異体は機械人形の存在に気がついていないのか、巨体を引きずるようにしながら徘徊を続けていた。
金属の集合体である機械人形には反応しないのだろうか? それとも、繰り返された変異によって感覚が鈍ってしまったのだろうか。相手が機械ではなく、人間だったとしても同じ反応を示すのだろうか。複数の疑問が頭をよぎるが、それを確かめる術はなかった。
テンタシオンは新たな指示を与えると、一体の機械人形に変異体の後を追わせることにした。するとすぐに異変が起きた。
痩せ細った巨人は何かを感じ取ったかのように立ち止まると、ゆっくりと背後を振り返った。そして動いている機械人形を目にした瞬間、その顔に奇妙な笑みを浮かべるのが見えた。頬の皮膚を引きつらせるような、不自然で不気味な笑顔だ。ゾっとするような寒気が走り、直感的に危険が迫っていることを悟ったが、すでに遅かった。
変異体は異様に長い腕を――人の背丈よりも長い腕を、目にも止まらぬ速度で振り抜いた。ソレは鞭のようにしなやかでありながら、巨木をなぎ倒すほどの強烈な力を持っていた。凄まじい衝撃音がフロア全体に響き渡り、瞬間的に大気が震えたように感じられた。
その直後、バラバラに破壊された機械人形のパーツが宙を舞い、金属の破片が無惨に散らばっていくのが見えた。それらの破片はガラスケースに衝突するが、シールドの薄膜によって保護されていたからなのか、貴重な遺物に被害が出ることはなかった。
たった一撃で戦闘用の機械人形が無惨に破壊されてしまったことに、我々は言葉を失ってしまう。しばらくしてペパーミントの声が聞こえた。「信じられない……」と。
彼女が自らの手で改良した機体が、こうも簡単に破壊されてしまったことに衝撃を受けているのだろう。これまで人擬きとの戦闘を何度も経験してきたが、ここまでの攻撃力を持つ個体は稀だった。あの変異体が攻撃のさいにだけ見せる動きは、もはや人間の目では追えず、対応することも困難に思えた。
嫌な緊張感が漂い、空気が張り詰めていく。しかしその張り詰めた空気を無視するかのように、変異体は奇妙な薄笑いを浮かべたまま、またフラフラとした足取りで目的もなく歩き出す。
戦闘になることを想定して身構えていたが、監視カメラで確認していた他の変異体にも変化は見られなかった。あれだけの攻撃性を見せつけられたのにも
変異体の近くで動きを止めれば、あるいは戦闘を避けることができるかもしれない……。しかしソレを確認し、実行に移すことには不安があった。もしも生物に反応するような化け物なら、真っ先に攻撃されるのは生体部品を多数使用していたペパーミントの〈コムラサキ〉と、私自身だったからだ。
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