第834話 白い巨人


 広場の安全確認は慎重に進められた。視界が遮られるなか、わずかな音や動きにも神経を尖らせていく。霧のなかに潜む脅威がいつ襲い掛かってくるかも分からない状況で、一瞬たりとも油断することはできなかった。


 機械人形ラプトルの戦闘部隊とともに広場の周囲を徹底的に調べたが、ついに脅威は見つからなかった。広場は静寂に包まれ、異形の彫像だけが霧の中に立ち尽くしていた。


 無事に広場の安全確認が終わったことにホッとする暇もなく、すぐにカグヤのドローンに最後の確認をしてもらう。彼女の偵察ドローンには周囲の地形データを収集してもらい、そこに異常や瓦礫がれきが転がっていないか調べてもらう。


 輸送機の着陸は濃霧の中で行われ、自動操縦に依存せざるを得ない。そのため、入力されるデータには一切の誤差が許されない。広場の地形データに少しでも誤りがあれば、重大な事故につながりかねないのだ。偵察ドローンの精密なセンサーは広場の隅々までスキャンし、管理者のいなくなった〈デジマ〉の変化を見逃さないように調べていく。


 広場に異常がないことが確認されると、浮遊島の上空を旋回していた輸送機に着陸の指示が与えられる。広場には微かな緊張感が漂い、我々は無言で輸送機が来るのを待った。しばらくすると上空の霧が拡散されていき、輸送機が建物の間を通って静かに公園に近づいてくるのが見えた。


 主翼のエンジンが適切な角度に回転し、ゆっくりと高度を落としていく様子も視認できた。重力場を発生させるエンジンの低い唸り声が聞こえ、降着装置が作動する。そして重心を安定させながら慎重に着陸が行われていく。ランディングギアが地面に触れる瞬間には、足元に微かな震動が伝わってくる。


 着陸が完了すると、輸送機の外装に組み込まれていた数機のドローンが一斉に起動し、輸送機を中心に円を描くように飛び立つ。これらの武装したドローンは、輸送機を警備するために周辺一帯に展開される。霧の中で無数の光の点になって飛び交うドローンは、迅速に広場周辺の警備体制を確立していく。


 輸送機が着陸している間、ペパーミントは広場の隅に設置されているベンチに腰を下ろし、そこに設置されていた端末に接続し、展示会が行われている施設のシステムにアクセスを試みていた。周囲は不気味な霧に包まれていたが、彼女の指先は端末の操作パネルの上で滑るように動いていた。


 展示されている〈異星生物〉の遺物に興味を示しているのだと思っていたが、どうやら単なる好奇心以上の思惑があるようだった。輸送機が無事に着陸して、機体に異常がないか確認していると、ペパーミントの〈コムラサキ〉が手招きしているのが見えた。


「これを見て」

 彼女は端末を操作して、拡張現実で施設内の地図を表示してみせた。地下にも複雑に入り組んだ通路があり、想像していたよりも広大な施設だった。


 彼女は立体的に浮かび上がる通路を指差す。

「展示会が行われている限られた期間だけ、この通路が開放されていることが分かったの」


 普段は閉鎖され、外部からはアクセスできない場所になっていたが、どうやら宇宙港から展示品を運び込むために一時的に開放されているという。もしその通路を利用することができれば、コンテナターミナルの危険地帯を避け、直接目的の施設に侵入することが可能になる。


 諦めずに解決策を探してくれた彼女の根気強さと、冷静な判断力に感心せざるを得なかった。その通路を利用すれば、我々は得体の知れない植物や捕食者に気づかれることなく、迅速に目的地に到達できるかもしれない。


「でも――」と、彼女は綺麗な顔を歪める。

「ちょっとした問題があるの」


 もちろん一筋縄ではいかないのだろう。施設は封鎖されているだけでなく、外来生物に由来する未知の病原菌に感染し、恐ろしい姿に変貌した〝人擬き〟が徘徊していた。


 警備システムから取得していた監視カメラの映像を拡大すると、施設内の薄闇に潜む化け物の姿が鮮明に浮かび上がった。その人擬きは、見るものに不快感と戦慄を与えるほど異様な姿に変異していた。


 まず目につくのは、その異様なほど大きな身体だった。三メートルほどの体高を持つ化け物は、廃墟の街で〈老人〉と呼称される変異体に似た特徴を持っていた。


 手足は異常なほど長細く、全身が痩せ細っていて、どこか巨人のミイラを思わせる姿をしていた。乳白色の皮膚は薄く、そのため骨格がくっきりと浮かび上がり、ゴツゴツとした肋骨や関節がハッキリと見て取れた。脂肪の類は見られず、身体を覆う強靭な筋肉が視認できた。


 その白い巨人の身体には一切の体毛がなく、ハダカデバネズミを思わせる姿をしていた。しかし可愛さとは無縁の生き物だった。細長く痩せこけた身体は、餓死寸前の人間にも似た異様な存在感を放っていて、嫌悪感すら抱くほどだった。


 何よりも恐ろしかったのは、人間に酷似した顔に浮かぶ表情だ。化け物の顔には、つねに奇妙な笑みが張り付いていて、意図的に作られたかのような笑顔は不自然で不気味だった。唇の端は引きつり、乾燥した唇が裂けて汚れた歯が剥き出しになっていた。その歯は鋭利で、まるで長い年月をかけて磨り減ったかのように凹凸が目立っている。


 このおぞましい化け物が、施設内を無秩序に徘徊している。監視カメラに映るたびに、その不気味な笑顔を浮かべながら、目的もなくフラフラと歩いているのが見えた。化け物の動きはゆっくりとしているが、異常な姿とその内に潜む危険性を思うと、こちらまで凍りつくような感覚に襲われた。


 人間と〈異星生物〉の混血を思わせる白い巨人が徘徊する施設内に足を踏み入れることは、あるいは死を意味しているのかもしれない。


 その異形の存在は、単に物理的な脅威にとどまらない。真の脅威は、彼らが媒介する未知の病原菌だ。この病原菌に感染してしまえば、その身体は異常なまでに変貌し、人擬きのように異形の存在に成り果てるかもしれない。


 あの忌まわしい存在に怪我を負わされるような事態になったら、我々の探索は悲惨な結末に終わるだろう。だから戦闘を避けることが最優先事項だった。どれほど優れた装備を持っていたとしても、未知の生物を相手にしていることを忘れてはいけなかった。


 施設内では隠密行動が絶対だった。それでも戦闘が避けられない状況に陥れば、感染の恐れがない機械人形に頼らざるを得ない。ラプトルに搭載されている高度な人工知能は、戦闘のさいに圧倒的な力を発揮してくれるだろう。


 ペパーミントも「エイムアシスト機能があるから、戦闘なら任せて」と得意げに言う。たしかに彼女の義体に搭載された射撃制御ソフトやライフルに備わる装置があれば、生身の人間には真似できない精度の射撃ができるだろう。


 まるで銃口が自ら敵を捉えるかのような、正確無比な動きを見せてくれる。しかし我々が相手にするのは、これまでに見たこともないタイプの人擬きだった。新たな脅威に対して過信は禁物だった。


 それでも、今の状況では他に選択肢がないのも事実だった。宇宙港で目的の情報を入手するためには、ある程度のリスクを冒す覚悟が必要になる。


 慎重に準備を整えたあと、展示会が行われている施設に向かうことにした。幸い、施設内の警備システムにアクセスしていたので、警備用に配備されている機械人形に襲われる心配もない。


 その警備システムが作動していないことが気がかりだった。生体反応を検知するセンサーが稼働していることは確認できたが、人擬きは生きた人間として認識されないのだろう。システムは彼らを検知することはなく、警告も発していなかった。


 それはコンテナターミナルでも確認した現象だったが、果たして旧文明のシステムにそのような不具合が生じるものなのだろうか。そこに誰かの意思、あるいは意図的な悪意が含まれているような気がして、不安に苛まれることになった。

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