第832話 市街地


 カグヤの偵察ドローンに案内されるように、我々は警戒しながら市街地を移動していた。白く濃密な霧が視界を遮り、足元さえもハッキリと見えなくなっていた。その霧の中を慎重に進んでいると、突然、巨大な影が姿をあらわしていく。


 霧のなかに高層建築群の輪郭が浮かび上がり、まるで別世界からあらわれたかのようにそびえている。これらの建物はブルータリズムの無骨さを備え、厚いコンクリートの塊が無造作に積み上げられたような印象を与える。建物の形状は直線的で角張っていて、人工的で無駄のない機能美を備えている一方で、どこか威圧感を感じさせる。


 外壁は深緑色で、洞窟の岩壁のようにゴツゴツとしている。粗く冷たい感触が伝わりそうな外壁は、霧のなかで乱反射する光を受けて濡れているように見えた。視線を上げると、建物の外壁から無数の管が突き出しているのが目に入る。建物に張り巡らされた血管のように脈打ち、時折、間欠泉のように蒸気を勢いよく吐き出していた。


 その蒸気は白い霧と混じり合い、建物の周囲にさらなる霧を生み出していた。外壁がヌメリのある光沢を帯びているのは、つねに蒸気で濡れているためなのだろう。管から吐き出される蒸気が生物的な印象を与え、この無骨な建築物に何か生き物めいた不気味さを感じさせた。その異質さに、どこか嫌悪感を覚えずにはいられない。


 霧の中を慎重に進んでいると、建物の間に複数の空中回廊が架かる十字路に差し掛かる。カグヤの偵察ドローンは道路の中央で我々のことを待っていてくれていた。拡張現実で投影される立体的な地図に視線を向ける。地図は〈デジマ〉の市街地全体を詳細に描写し、建物や通り、さらに環境情報までリアルタイムで表示してくれていた。


 胞子による汚染状況がひと目で分かるだけでなく、危険なエリアを避けて進むことが可能になっていた。ふと視線を上げると、我々の上方に蒸気を吐き出す配管があるのが見えた。〈ハガネ〉のマスクを装着していたので危険性はないと思うが、得体の知れない蒸気を吐き出す管から距離を取ることにした。


 それから表示されていた地図を凝視しながら安全な経路を確認していく。濃霧に包まれた市街地は、地図上ではクリアに見えるが、実際の視界は極めて限られていた。区画は汚染レベルで色分けされていて、危険な場所は赤色の枠で示されていた。危険なのは胞子だけではないのだろう。我々は危険地帯を避け、比較的安全な経路を進む必要があった。


 それに、〈デジマ〉の上空を旋回する輸送機のために着陸できそうな場所を見つける必要がある。地図で確認すると、建物屋上に場外離着陸場が設置されているのが確認できたが、そこに降り立つのはリスクが高かった。建物内部に潜む脅威を完全に排除しなければいけなかったが、輸送機に残された飛行時間を考慮すると、この選択肢は現実的ではなかった。


 そこで仮設の離着陸場として利用できる場所を探すことにした。周囲の建物の配置や広さ、それに障害物の有無を確認しながら最適な場所を見定める。霧の中での視界は悪いが地図の詳細なデータがあれば、自動操縦で着陸することは難しくないだろう。着陸に適した広い空間は限られていたが、適切な候補地を見つけ出すことができた。


 その場所は、かつて市民のために設けられた広場だった。周囲にはいくつかの彫像が立っていたが、建物と建物の間にぽっかりと空いた広い空間になっていて、輸送機の着陸地点としてふさわしい場所になっていた。地図に表示される環境情報を確認すると、区画は汚染されておらず、少なくとも表面的には安全そうに見えた。


『決まりだね』と、カグヤが言う。

『それなら、ペパーミントを迎えに行こう』


「どうしてペパーミントが?」

 彼女が〈デジマ〉にいることに対して困惑するが、カグヤはいたって冷静だった。


『〈電脳空間サイバースペース〉を使って、〈デジマ〉に配備されているガイノイドに意識を転送したんだよ。ほら、レイもそうやってコンテナヤードを探索したでしょ?』


「そういうことか」

 そこである疑問が浮かぶ。

「それなら、カグヤも機械人形に意識を転送することができるのか?」


『それは……どうだろう?』と、彼女は喉の奥で唸るように言う。『これまでも何度か試したことがあるけど、私の場合、意識の転送そのものが制限されているみたいなんだ』


「制限?」

『そう。機械人形の遠隔操作はできるけど、どこかにある私の〝意識〟そのものを転送することは不可能だった。まるで牢獄に捕らえられているように、私は、私の魂だとか、精神って呼ばれているものを転送することができないんだ』


「それって、月にあるかもしれないカグヤの身体が関係しているのか?」

『かもしれない。本当のことは私にも分からないんだけどね』


「……試したことがあるって言っていたけど、機械人形に意識を転送しようとしたことがあるのか?」

『あるよ。何度も挑戦した』


「どうして教えてくれなかったんだ?」

かれたことがなかったし、レイに無駄な期待をさせたくなかった』


「そうか……」

『そういうこと』


「カグヤに直接会うためには、やっぱり月にいかないとダメってことか」

『そうだね。だから私たちの目的は変わらない』


 先行し移動経路の安全を確認してくれていたテンタシオンが戻ってくると、ペパーミントと合流するため、我々は霧の中に歩を進めた。脅威になる生物には遭遇していなかったが、何が出てきても対処できるように、つねに戦闘の準備をしておく。


 しばらく進むと、霧の向こうにぼんやりと建物の輪郭が浮かび上がる。その黒い建物は他の建築物とは一線を画していた。上空から俯瞰して見ると楕円形になっていて、無数の円柱に支えられた異様な形状が目を引いたが、地上から見るとその印象はさらに強烈だった。カメの甲羅を思わせる硬質な屋根が霧の中にポツリと浮かび上がっている。


 外壁は黒曜石を思わせる石材で覆われていて、微かな光を受けて生命感のようなものを感じさせる。薄暗い霧の中で、その漆黒の表面はわずかな光を反射し、霧のなかに浮かぶ小島のような、不思議さと神秘を醸し出していた。建物の巨大さとその暗黒の輝きは、見る者に無言の圧力を与え、威圧的な印象を強く植え付ける。


 建物の目的を知る者にとって外見の不気味さ以上に恐ろしいのは、その内部に眠る数千体を優に超えるガイノイドの存在だった。彼女たちは〈デジマ〉の防衛を担うために造られた機体であり、各々が睡眠カプセルに横たわり、その時が来るのを静かに待っている。


 睡眠カプセルは棺のように整然と並び、生命と無機質の狭間で静かに息を潜めている。この建物が、どこか〝墓所〟にも似た印象を与えるのも無理はない。外観の不気味さと、その内に眠るガイノイドたちが相まって、この建物自体が生と死の境界を曖昧にする遺構のように見えるのかもしれない。


 その建物の前に立つと、入口が厳重に閉ざされていることに気づいた。建物全体が生命を拒むかのように閉鎖されている。その理由はすぐに明らかになった。入場制限が敷かれていて、許可のない人間は立ち入ることができなかった。


 おそらく建物内を汚染から守るための厳重な防衛措置だろう。外部からの不必要な接触を防ぐため、特定のプロトコルを満たした者のみがアクセスを許されているのだろう。どうすることもできなかったので、大人しく建物の前で待つことにした。しばらくすると、ペパーミントが建物内から出てくるのが見えた。


 彼女が意識の転送先に選択した〈コムラサキ〉は、非常に洗練された姿をしていた。彼女の身体を覆うのは半透明のスキンスーツで、第二の皮膚のように肌に密着していた。その薄い素材からは身体の線がはっきりと浮かび上がり、美しい肢体を際立たせていた。


 けれどソレは単なるファッションアイテムではない。身体能力を強化するために設計されていて、アシストスーツとしても優れた機能を持ち合わせていた。彼女はそのスキンスーツの上から、真っ白なジャケットを羽織っていた。


 動きやすさと防御力を兼ね備えた旧文明のタクティカルジャケットは、戦闘時の機動性を確保しながらも、外的要因から身を守るため〈シールド発生装置〉も備えていた。


 そのジャケットの袖には、金糸で植物の根が絡まる模様が刺繍されていた。それは異種文明を象徴する模様なのものかもしれないが、詳細は不明だった。背中には用途不明の端子とケーブルがついていたが、これはおそらくガイノイドの補助装置であり、任務に応じた機能を追加するためのモノだろう。


 見慣れない装備の中でも、とくに目を引いたのは彼女の腰の辺りから尻尾のように伸びている細いケーブルだった。それは生きているかのように、ペパーミントの動きに応じて揺れ動いていた。彼女はそのケーブルをネコの尾のように軽く揺らしてみせた。その仕草は妙に自然で、彼女の一部のように感じられた。


 ケーブルの役割は不明だったが、それが単なる装飾ではないことは明らかだった。もちろん、彼女の意思や感情を視覚的に表現するためのモノでもないのだろう。


「どう?」彼女はその場でくるりと回ってみせる。

「この姿も悪くないでしょ?」


「ああ、そうだな。少し声に違和感があるけど、そのうち慣れると思う」

「そう」彼女は仮初の顔で微笑んで見せる。「それなら良かった」

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