第812話 虚構


「それで――」と、薄暗い通路を歩きながらカグヤにたずねる。

「〈クリスタル・チップ〉だと思っていたモノは、高度に暗号化されたファイルだったのか?」


『そういうこと。でね、そのファイルは生体認証によって開く仕組みになっていて、浮遊島の位置情報だけでなく、島にアクセスするためのソフトウェアも保存されていた。フクロウ男が何を企んでいるのかは分からないけど、かれは私たちが欲しかったものを、これ以上ないタイミングで提供してくれたことになる』


「キナ臭いことになってきたな」

『そうだね。私たちに都合が良すぎると思うんだ』


 彼女の言葉に思わず溜息をついたあと、暗い通路の先に視線を向ける。非常灯の薄明りのなか、拡張現実によって通路の輪郭だけが青色の線でハッキリと浮かび上がっているのが見えた。その異様な光景のなかを、ジュジュを背にのせたハクがトコトコと歩いている。


「そして……」と、足元を確認しながら言う。

「そのファイルの中身を確認するためには、〈電脳空間サイバースペース〉に没入ジャック・インしなければいけない」


 時代の流れを感じさせる言葉にカグヤはクスクス笑ってみせた。

『レイは直接〈電脳空間〉に接続できるんだから、わざわざ古い機材を使う必要はないし、没入するために後頭部にケーブルを挿し込む必要もない』


「でもこれから向かう場所で特別な装置を使って、〈電脳空間〉に意識を転送する必要があるんだろ?」


『軍が管理していた〈電脳空間〉に侵入する必要があるから、今回だけ特別なんだよ』

「特別か……ところで、ペパーミントたちはもう目的地についたのか?」


『うん、〈顔のない子供たち〉のひとり〝イソラ〟と一緒に、施設の居住区画で待ってくれている』


 生産拠点の地下にあるこの場所は、戦闘艦の修理のために築かれた工場とはまったく異なる雰囲気を持っていた。それもそのはず、この場所はもともと砂漠の下に埋もれていた旧文明の施設の一部だった。


 狭い通路の天井からは無数のケーブルが垂れ下がり、その一部は漏電していて、バチバチと青白い電光を発していた。ケーブルはまるで蛇のようにのたくり、我々の侵入を阻むかのように揺れ動いていた。


 それらの障害物を器用に避けながら、ハクは通路の先に進む。普段から〈廃墟の街〉を遊び場にしているからなのか、大きな身体でも移動に支障がないようだった。


 暗く冷たい通路に足音が反響し、通路全体に不気味な響きを与えていく。空気はひんやりとしていて、古びた空調設備が微かに作動している音が耳に入ってくる。時折、遠くから聞こえる不明瞭な機械音が、この場所がまだ完全には死んでいないことを示唆していた。


 通路の壁には無数の配管が複雑に張り巡らされている。まるで脳溝のうこうのように複雑に絡み合う管からは、高温の蒸気が断続的に噴き出していて、目の前で蒸気が噴き出すたびに我々は足を止め、その熱気が収まるのを待たなければならなかった。


 そこから漏れ出る得体の知れない液体は、足元の床に緑色に発光する水溜まりをつくっていた。何か有害な物質なのか、近くを通るたびに微かな異臭が鼻を突く。


 配管にはゴキブリにも似た奇妙な甲虫が群がっていた。その甲虫は半透明の白い外骨格に覆われていて、緑色の光を反射して淡い光を帯びていた。その光景からは、ある種の非現実的な美しささえも感じさせたが、同時に背筋が凍るような恐怖も持ち合わせていた。


 甲虫は錆びついて剥き出しになった古い配管に張り付いていて、それが無数の脚でうごめいている姿はひどく不気味なものだった。甲虫がカサカサと音を立てて移動し、その音が静寂の中に響き渡るたびに、どこからともなく腐食した金属の臭いと生臭さが混じり合った嫌な臭いが漂ってきていた。その光景は、深海の熱水噴出孔に群がるエビを思い出させた。


 とにかく壁に沿って配置された古い管は、この地下施設の血管のように見え、その中を流れる未知の液体が施設を動かす血液のようにも思えた。


 通路はどこまでも暗く、非常灯の薄明かりと発光し続ける水溜まりの淡い光だけが目に見える光源になっていた。我々はその狭く暗い通路を進みながら、その先にある区画に向かって足を止めずに歩き続けた。


 狭い通路を抜けると広い地下空間に出る。半球状の天井を持つその場所には、配管がより一層複雑に絡み合い、蒸気の噴き出す音や機械のノイズが耳に届き、どこかで巨大な装置が稼働していることが分かった。我々はその空間で反響する機械音を聞きながら、トンネルめいた入り口を通って別の通路に入っていく。


 迷路のように入り組んだ地下空間で迷うかもしれない、という不安がつきまとっていたが、拡張現実で表示される矢印を信じて歩き続けた。やがて通路の奥に重厚な隔壁が見えてきた。旧文明の施設で頻繁に見かけるタイプのモノで、劣化や錆は見られない。その隔壁の前で立ち止まって背後の暗闇を振り返ると、テンタシオンがやってくるのを待つ。


 ペパーミントからアクセスコードを受信していたテンタシオンは、コンソールパネルの前に立つと、指先からケーブルを伸ばして端末に接続する。短い電子音のあと、鋼鉄製の隔壁がゆっくりと開放されていくのが見えた。


 その先には非常灯の灯りさえなく、暗闇ばかりが広がっていて何も見えなかった。しかし一歩足を踏み入れると、天井に張り巡らされていた照明パネルが一斉に起動していくのが確認できた。


 無数のパネルはスクリーンとしても機能しているのか、まるで魔法のように青空が映し出されて地下空間に光が満ちていく。パネルの解像度は驚くほど高く、本物の空を見ているのと変わらないリアルな景色が広がっていた。雲がゆっくりと流れ、太陽の光が暖かく降り注いでいる。それが人工的なモノと知りながらも、その完璧な美しさに目を奪われる。


 視線を下げると、施設内に設けられた居住可能な建物が見えた。整然と並ぶ建物は、一見すると今も人々が生活しているかのように見えた。しかし多くの建物が閉鎖されていて、通路に人影は見当たらなかった。それでも〈廃墟の街〉とは比べ物にならないほど清潔で、整然とした空間になっていた。


 そこでは時間が止まったかのように、すべてが当時の状態で保存されているように見えた。通りを歩くと、かつての住人たちがどのような生活を送っていたのか想像できた。道路脇には花壇が整備され、人工の小川が流れ、鳥のさえずりが静かに響いていた。もちろん演出に過ぎないが、廃墟と化した街と異なり、区画全体が生きているように感じられた。


 足元に視線をやると、建物に向かって舗装された道が真直ぐ続いているのが見えた。歩道にはベンチが並び、そこには色とりどりの花が咲き誇っていたが、近くで観察すると、すべて超現実的なホログラムによるものだと分かる。


 一見すれば何もかもが完璧な状態で保存されているように思えたが、鳥の鳴き声が人工的なモノであるように、そこに生命あるものは何も存在しなかった。もしかしたら、この空間で活動していた人々も、ホログラムで投影された映像だったのかもしれない。肉体を持つ人々は装置のなかで微睡まどろみ、かれらの幻影だけが世界で活動を続ける。


 それは飛躍した想像でしかなかったが、人々がこの場所でどのように過ごしていたのか、その一端を垣間見ることができた。たとえすべて〝偽り〟のモノだとしても、気持ちを慰める何かがなければ地下の生活に耐えられなかったのだろう。


 ハクとジュジュは小川に飛び込んだが、それがホログラムだと気がつくと、意気消沈してトボトボと戻ってくる。この場所が何のために作られて、誰が生活していたのか、その答えは分からなかったが、とにかく先に来ていたペパーミントたちとの合流を急ぐことにした。言葉では表現しづらかったが、この場所に立っていると嫌な寒気を感じた。


 しばらくすると目的の建物が見えてきた。その建物は他のものと比べて異様に角張っていて、そこだけ飾りつけを忘れたような、どこか奇妙な異質さを醸し出していた。建物に近づくにつれ、無数のホログラムが目の前に浮かび上がる。まるで幽霊のように青白く光るそのホログラムは、〈異星生物〉に関する警告を繰り返し投影していた。


〈注意・異星生物および異種族の立ち入りを禁止します。このエリアへの侵入は、重大な危険を伴う可能性があります。安全のため、指定されたルート以外の進入は避けてください。侵入者は発見次第、システムによって無差別に排除される可能性があります〉


 何度も繰り返し投影される警告文は厳重で、異様な緊張感を与える。けれど我々はその警告を無視して建物の中に足を踏み入れる。ふと背後を振り返ると、居住区画の照明が一斉に落とされて、あの広大な空間がふたたび暗闇の中に沈み込むのが見えた。


 もはや鳥の囀りも、小川の流れる音も聞こえてこない。そこにあるのは世界そのものが息を潜めているかのような、鳥肌が立つ不気味な静寂だけだった。

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