第810話 フクロウ男
目の前にある無数の蝋燭は磁器の上に立てられていて、風もないのに煽られるようにゆらゆらと揺れているのが見えた。その蝋燭の光はフクロウ男の鋭いくちばしに反射して不気味に輝く。かれを知っていなければ、形振り構わず逃げ出していただろう。
我々の周囲には使い古された調度品が置かれていたが、それは部屋の雰囲気に馴染んでいるように思えた。どこか遠い国の山小屋にいるような気分がしたほどだ。実際のところ、耳を澄ますと稜線に吹き荒ぶ風の音さえ聞こえてくる気がした。
けれど窓には内側から板が打ち付けられていて、外の景色を見ることはできなかった。その板は年月を感じさせるほど古いモノで、隙間にはホコリが堆積し、斜めに打ち付けられた釘が錆びているのが見えた。ふとフクロウ男の冷たい眼差しを感じるが、気にせずに周囲の観察を続ける。
部屋のあちこちに年代物の生活雑貨が所狭しと置かれ、木製の家具が空間に独特の雰囲気を醸し出していた。古びた書棚にはホコリをかぶった書籍がずらりと並び、壁には――湿原の風景画だろうか、色褪せた絵画が飾られていた。天井からは古めかしい電球がぶら下がっていて、その弱々しい光が蝋燭の火と混ざり合って奇妙な影をつくり出していた。
フクロウ男は、揺れる蝋燭越しに私のことをじっと見つめていた。彼の大きくて奇妙な影は、すぐ背後にある黒い染みが残る壁の上で不気味に揺れていた。その視線は冷たく、あらゆる種類の感情を持ち合わせていなかった。
『君と最後に話をしてから、ずいぶんと時間がたったような気がするんだ……』
彼はそう言うと、カチカチとくちばしを打ち合わせた。
『でも君は変わらない。あのときのままだ。きっとソレが君という存在そのものを証明しているのかもしれないね』
フクロウ男の言葉には、何かしら謎めいた含みがあるように感じられた。彼が言う〝君という存在〟が、一体何を指しているのか分からなかったが、とにかく調子を合わせることにした。
「たとえ〈不死の子供〉であっても、〝永遠に変わらない〟なんてことはできないのかもしれない」声が微かに震えていたが、それを隠すことはできなかった。
『あるいは、そうなのかもしれない』フクロウ男は弱々しく笑ってみせた。その笑い声はどこか遠くから聞こえてくる風のように密やかだった。『それで――相変わらず君は彼らと戦い続けているみたいだね。君が探していたものは見つけられたのかい?』
これが白日夢や幻覚の類でなければ、彼は私の過去を知る数少ない人物なのだろう。しかしフクロウ男の存在そのものが、この異質で謎めいた空間をさらに奇妙なモノにしていたのも事実だ。彼の眼差しに何か隠された意図があるように思えたが、その答えを掴むことはできなかった。
「外の世界は……相変わらず混沌としているよ。戦いが絶えない」と、言葉を探しながら適当に答えた。「でも、探しているものはまだ見つかっていない」
フクロウ男は相槌を打つようにくちばしをカチカチと鳴らした。その動きに反応して蝋燭の火が揺れるたびに、彼の大きな影も一緒になって揺れ動いた。
『そうだろうね。彼らの妨害がなくても、この広大な宇宙で探し物を見つけ出すことは困難だったと思う。でも、君はよくやっているよ。連中に見つかってしまったら大変なことになっていたからね』
彼はそう言うと、手を開いて指先をじっと見つめた。羽毛にばかり気を取られていた所為で、指先に鋭い鉤爪があることに気がついていなかった。
「
「ここは何処なんだ? どうして俺はこの場所に迷い込んだんだ?」
彼はその鋭い眼を細めて、考える素振りを見せたあと、静かに口を開いた。
『君は招かれたんだ。あの〈
カチカチとくちばしが鳴らされる。
『だから恐れる必要はない。この世界で起きる出来事の多くは、川の流れのように、あらかじめ決められた終着点があるんだ。とても緩やかな流れだけれど、偶然の一致だと思っていたモノが河口に近づくにつれて合流し、急流に変わりながら本質が見えてくることがある』
フクロウ男は自分の言葉に酔いしれるように『クククッ』と鳴いて見せた。私は彼の話に耳を傾けながら、その言葉の裏にある意味を探ろうとしていた。〈畏ろしき神々〉とは何者なのか、そしてそれが何を企んでいるのか。フクロウ男が言う〝招かれた〟とは、一体どういうことなのか。頭の中で様々な疑問が渦巻いていく。
彼の言う〝計画〟とは、そもそも誰のためのモノなのか、そしてその中で自分が果たすべき役割とは何なのか。質問が山ほどあったが、どこから始めればいいのか分からなかった。私はただ目の前のフクロウ男を見つめ続けた。メンフクロウを思わせるその異様な姿が、私の心に不安と恐怖を植えつけていたが、同時に好奇心も刺激されていた。
『きっと帯電した砂嵐の所為だよ……』
先ほどまでの調子とは打って変わって、ひどく疲れた声で言った。
『この砂嵐がいけないものを運んできたんだ。それはいずれ僕らを
フクロウ男はそう言うと、テーブルに〈クリスタル・チップ〉をコトリとのせ、その大きな眼を
チップを手に取ろうとしたときだった。彼の身体が微かに震えているのが見えた。なにが起きているのか分からず、寒さに震えているのだと考えていたが、どうやら違ったようだ。フクロウ男は痙攣するように身体を大きく揺らし始めた。異変に気づいて立ち上がろうとしたが、足に力が入らず、ただ彼を見ていることしかできなかった。
やがてフクロウ男の額がパックリと開いて、腫瘍めいた
それから瘤はグチャリとはじけて、羽根と一緒に気色悪い膿が飛び散る。鼻を突く腐臭が漂い、次々と全身の瘤がはじけ、ドロリとした体液が噴き出し黒いスーツを黄土色に汚していく。ジュクジュクになった赤い傷口からは、ゴキブリめいたグロテスクな昆虫が
あらゆる昆虫がフクロウ男の身体を食い荒らしながら、ポトポトと床に落ちていくのが見えた。彼の苦痛に満ちた呻き声が部屋の中に響き渡り、あまりにも悲惨な光景に目を背けたくなった。しかし目を逸らすこともできず、そのまま昆虫が
部屋の中には昆虫が這い回る音だけが聞こえていた。私は震える手で〈クリスタル・チップ〉を拾い上げると、部屋を出るために何とかソファーから立ち上がり、フクロウ男だったモノの残骸を避けながら出口と思われる扉に近づく。そして取っ手に触れたときだった、ふたたび奇妙な闇の中に放り込まれる感覚が戻ってきた。
それでもまだ、背後からはフクロウ男の呻き声と、カチカチとくちばしを鳴らす音が聞こえてきていた。
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