第802話 決闘〈インシの民〉
「レイ、あれを見て」
ペパーミントの言葉に反応して顔を上げると、全天周囲モニターの一部が四角い枠で囲われながら拡大表示されるのが見えた。
そこで異様な景色を目にすることになった。はじめは砂漠の熱気が大気を揺らしていて、陽炎のようなモノだと思っていたが、しだいにソレがただの自然現象ではないことに気づいた。
「あれは……たぶん〈混沌の領域〉に侵食された汚染地帯だ」
揺らめく大気は、まるでシャボン玉の表面のように構造色の輝きを帯びていて、絶えず色を変化させていた。
砂漠には今も人を寄せ付けない危険な地域が多く存在している。放射線、毒ガス、異次元につながる空間の歪み──その原因はさまざまだが、一度足を踏み入れれば命の保証はない。我々が目にしているのも、そういった場所のひとつに違いなかった。
やがて目的地の交易路が視界に入ってきた。ここまでの道程がどれほど荒涼としていたのか知っているからなのか、視線の先に広がる光景が一瞬、幻のように感じられた。砂漠に突如として出現したオアシスは、木々と緑に生い茂る植物に覆われていて、まるで砂の海に浮かぶ小さな島のように見えた。
車両を砂丘の上に進めると、オアシスの全貌が明らかになっていく。中心には澄んだ水をたたえた広大な池があり、その周囲にはヤシの木と思われる樹木が見られ、緑の葉を風に揺らしていた。植物が豊かに茂り、砂漠の乾いた空気とは対照的な湿り気を含んだ空気のなかにある。陽射しが強く降り注ぐなか、緑地が涼しい環境を作り出している。
だからなのか、そのオアシスには無数の鳥が集まっていた。色とりどりの羽を持つ小鳥たちが水辺を飛び交い、さえずりを響かせる。かれらは喉の渇きを癒し、羽を休めるためにこの場所に集まっているのだろう。
その中には、これまで見たこともないような珍しい鳥もいた。赤と金色の斑紋を持つ脚の長い鳥は水面を優雅に歩き、翼を広げてはまたすぐに閉じる。その動作は、かれらがこのオアシスの主であるかのような風格さえ感じさせた。
そこでは砂漠の厳しい環境に適応した小さな動物たちの姿も見られた。足の速いトカゲを追いかけるキツネが岩陰から姿をあらわし、水辺に向かって駆けていく。その様子を遠くから眺めていたネズミの家族が水を求めて行進している。かれらにとって、このオアシスは命をつなぐ貴重な場所になっていた。
「やっと主要な交易路に到着した」
ペパーミントの言葉にうなずくと、コクピット内の装置に接続されていたテンタシオンに巡回部隊と連絡を取るように頼む。
するとテンタシオンはくるりと機体を回転させ、短いビープ音を鳴らして同意を示してくれた。かれが連絡を取ってくれている間、砂漠の中にぽつりと浮かぶオアシスを眺める。その静かな繁栄は、自然の強さと美しさを再認識させてくれる。この場所が交易路にとって重要な拠点になっていて、砂漠で生きる人々の命をつないでいることが分かる。
テンタシオンがビープ音を鳴らすと、モニターに巡回部隊の位置が表示される。
「略奪者たちが
彼女の言葉にうなずくと、オアシスの穏やかな風景を横目に見ながら現場に向かう。
我々の視線の先には、戦闘用の
昆虫種族の姿は恐ろしく、麻布の裾から覗く太く強靭な二本の脚は、関節が逆方向に曲がっていて、
体高は二メートルほどもあり、その堂々とした姿勢は見る者に威圧感を与えた。異様に長い腕は強靭で、四本の指がついた手が大きく見えた。指も硬い殻で保護され、人間の皮膚くらいなら、いとも容易く引き裂けそうな鋭い爪が陽の光を反射して鈍く輝くのが見えた。
頭部は触角のないミツバチに似ていたが、スズメバチのような恐ろしげな大顎を持ち、鋭い牙がカチカチと動いているのが見えた。複眼は大きく、何とも言えない冷酷さを感じさせる。その眼の周囲には細く短い体毛がビッシリと生えていて、顔の他の部分は鈍い光沢を帯びた緑青色の甲皮で保護されていた。
哀れな略奪者たちは、その昆虫種族の前で完全に怯え切っていた。顔は恐怖に青ざめていて、声を上げることもできずにただ震えていた。恐れを知らない冷酷な戦闘種族でもある〈インシの民〉の冷淡な視線が、彼らの魂まで凍りつかせているようだった。
警備隊の人間に状況を確認したあと、〈インシの民〉の戦士に挨拶をしに行くことにした。略奪者たちが怯えた表情で地面に跪く様子から、周囲の緊張感が一層高まっているのが感じられたが、彼らにしてやれることは何もない。どうやら昆虫種族が行動を起こさなかったのは、我々の到着を待っていたからだったようだ。
私がひとりで行くのは危険だと感じたのか、テンタシオンがコクピットの装置からフワリと浮かび上がるのが見えた。そして球体状の機体をホバリングさせながら、車体後部のコンテナに格納していた機械人形を遠隔操作で起動させ、本体を接続させて準備を整えた。
専用機でもある機体は軽快な動きでコンテナから姿をあらわし、折り畳んでいた脚を伸ばして大地に立つ。多脚車両から降り立つ姿はさまになっていて、周囲の機械人形を従える司令官を想起させる厳格な雰囲気を漂わせていた。その機体が近づいてくるのを待ったあと、我々は一緒に昆虫種族の元に向かった。
やけつくような砂漠の太陽に思わず額に汗をかく。嫌な感じがするのは、異種族と対面しているからなのかもしれない。けれどテンタシオンが近くにいるからなのか、昆虫種族から感じる重圧はそこまで気にならなかった。
その昆虫種族のひとりがこちらに気づき、大きな複眼で我々の姿を見つめた。ボロの麻布から覗く緑青色の甲皮が太陽の光を受けて、その姿を異質で恐ろしいものに見せた。戦士の体高は二メートル近くあり、その姿と威圧感に思わず身構えてしまう。が、警戒している様子を見せることなく、穏やかな声で挨拶をする。
戦士は静かにうなずいたあと、恐ろしい大顎を打ち鳴らした。彼らとの意思疎通は、首元に埋め込まれた装置を介して行われる。〈インシの民〉は言葉ではなく、意識や感覚で直接情報を共有する〈
『〈刃の勇者を従えるもの〉よ、貴様の到着を待っていた』
戦士がカチカチと牙を鳴らすと、装置から合成音声が聞こえる。
『これから決闘を行う。貴様には見届け人になってもらう』
やはり略奪者たちの能力を試すための決闘が行われるようだ。この試練を乗り越えられなければ、捕虜としての価値もないモノとして扱われ、彼らの食料にされるのだろう。
「了解した。我々も準備が整っている」
そう口にすると、戦士は満足げにうなずいた。
戦いに選ばれた略奪者のひとりが、怯えた表情を浮かべながら前に出る。彼に手渡されたのは、骨を加工して作られた特殊なナイフだ。粗野だが、鋭い刃が妖しげに輝いている。略奪者は震える手でナイフを握り締める。彼は戦士ではない。廃墟の街が生み出した哀れな略奪者であり、これまでに感じたことのない恐怖と向き合っていた。
対峙する昆虫種族の戦士は、強者としての圧倒的な存在感を放っていた。体高二メートルを超えるその巨体だけでも驚異なのに、緑青色の硬い甲皮に覆われている。人間の関節とは逆方向に曲がっている太く強靭な脚は、地面にしっかりと根を張っているように直立している。
そして戦士の合図によって絶望的な試練が開始される。略奪者は恐怖に駆られるように前に出ると、ナイフを握りしめたまま必死の形相で戦士に向かっていく。だが戦士の動きは予想を超えて素早かった。巨体にもかかわらず、その動きは風のように滑らかで無駄がなく、略奪者の攻撃を簡単に躱してみせた。
そしてボロ布の隙間から補助腕があらわれたかと思うと、ナイフによる容赦のない一撃が略奪者の脇腹を捉えた。その鋭い刃は、略奪者が胴体に身につけていた錆びた鉄板を容易く引き裂いてしまう。大量の血液が砂に飛び散り、短い悲鳴が聞こえる。
略奪者は地面に膝をついて、思わずナイフを手放してしまう。しかし戦士は攻撃の手を緩めるつもりはなかった。略奪者の首を狙って再び攻撃を加えた。皮膚がパックリと裂けて、大量の血液が噴き出す。戦士は生温かい鮮血を浴びるが、気にすることなく立ち尽くしていた。
あっという間に決闘が終わると、血に染まった戦士は略奪者が手放していたナイフを拾い上げ、それから空に向かってカチカチと大顎を鳴らした。すると他の戦士もそれに応えるように大顎を打ち鳴らした。
それから昆虫種族は何の躊躇もなく他の略奪者たちを殺していった。跪いていた彼らの首を次々に引き裂いていく光景は、冷酷で無慈悲なものだった。略奪者たちは涙を流し、震えながら自分の順番が来るのを待つことしかできなかった。
恐怖と絶望に歪む表情は、ハッキリ言えば見るに堪えなかった。彼らはこの荒廃した世界でただ生き延びたいと願っていただけだったが、やり方を間違えたために、その願いは叶わなかった。その略奪者たちの亡骸は、昆虫種族の食料にされるのだろう。
ひとりの戦士が近づいてくると、テンタシオンはビープ音を鳴らし警戒する。緑青色の甲皮が陽光に鈍く光り、恐ろしげな大顎が開閉する音が響いた。
『〈刃の勇者を従えるもの〉よ、決闘の見届け人になってくれたことを感謝する』
端末を介して聞こえる合成音声は低く、機械的なノイズが混じっていた。
「礼には及ばない」
私は感情を表に出すことなく、淡々とした口調で応じた。ここで余計な言葉を交わすことは、かえって事態を複雑にするだけだ。
それから〈インシの民〉は、略奪者たちの死体を手際よく処理していく。その動きには無駄がなく、淡々としていた。私はその血にまみれた光景を静かに見つめながら、かれらの冷酷さと残虐性を改めて実感していた。
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