第796話 便り


 設備の点検が終わると工場をあとにして、自室がある居住区画に向かう。メンテナンス用通路を使い、無数の扉が並ぶ無機質な廊下に出たあと、目的の部屋に入る。そこは、まるで時間が止まったかのような静寂のなかに沈み込んでいる。地上の喧騒とは無縁のこの場所では、独自の時間が流れているようにすら感じられる。


 真っ白な壁面パネルに覆われた壁は、外部の騒音を完全に遮断している。しんとした静寂の中で、青白い照明が天井を透かして柔らかく射し込み、部屋全体を明るく包み込んでいた。


 デスクには無数の機器が設置されていて、小さな赤い光が点滅しているのが確認できた。歩いていくと、デスクに備え付けられていた対話型インターフェースが立ちあがり、執事服を身につけた見目のいい青年がデータパッドから投影される。


『お待ちしておりました、レイラさま』

 AIエージェントの言葉に眉を寄せたあと、敬称は必要ないと伝える。

『失礼しました、艦長』


 青年が軽く頭を下げると「やれやれ」と溜息をついて、それから施設内に関する情報を表示してくれるように頼む。施設を管理するエージェントがうなずくのを見ながら、販売所で手に入れていた〈国民栄養食〉と飲料水をデスクにのせる。栄養食は味気ないが、体力の維持に必要な栄養をすぐに補給できるので馬鹿にできない。


 データパッドから投影されていたホロスクリーンには、施設内の各区画の状況が詳細に表示されていた。各設備の稼働状況、メンテナンスが必要な箇所、そして今後の作業計画など、すべてが網羅されている。この情報があるおかげで、どこに手を加えればいいのか、どの設備が最優先で修理が必要になるのか、ひと目で分かるようになっていた。


 ブロックタイプの栄養食を一口ずつ咀嚼しながら、スクリーンに表示されていた情報を頭に入れていく。簡単な食事が終わるころには、これからの作業計画が頭の中にしっかりと組み立てられていた。まだ時間は掛かるが、地下施設を完全に稼働させるための道筋が少しずつ見えてきた。


 ホロスクリーンが消えると、執事服に身を包んだ青年が姿を見せる。かれは生身の人間のように一礼し、それからテキストメッセージが届いていることを報告する。メッセージを確認したいと伝えると、別のスクリーンに受信トレイが表示される。


 そのなかには、かつてトゥエルブが助けた娼婦からのメールも確認できた。メッセージを確認すると、我々の介入のおかげで救われた子どもたちのその後について綴られていた。メールを読み進めるうちに、子どもたちが無事にチンピラたちの支配から抜け出せたことや、鳥籠〈スイジン〉での生活について知ることができた。


 心の中で安堵の息を吐く。彼女たちは危険な状況から抜け出し、新しい生活を築くことができたようだ。しかしメールの最後には、私の提案を受け入れて、仕事仲間を連れてこの拠点に来ることが記されていた。


 彼女たちがこの決断を下すまでに、どれだけの葛藤があったのかは分からない。ヤクザめいた組織に保護されているとはいえ、この世界で娼婦として生きるのは困難なことだった。身の安全と今後の生活を守るために、勇気を振り絞って新しい一歩を踏み出す決意をしたのだろう。


 執事服の青年に、了解した旨を伝えるメッセージを送信してくれるように頼んだあと、イスにもたれて天井の柔らかな光を見上げた。彼女たちが拠点に来ることを決めたのは、単なる偶然ではない。我々が拠点で築きあげてきた秩序のおかげであり、人々を助けているハクや機械人形たちの評判のおかげでもあるのだろう。


 多くの場合、努力は報われないが、少なくとも我々がこれまでやってきたことは間違いではなかったのだろう。


『艦長、そろそろ約束の時間になります』

 青年の言葉に思わず首をかしげる。ミスズとの約束までは、まだ時間に余裕があると思っていたが。


『ミスズさまではなく、ヨシダ氏との約束の時間です。たしか、車両の整備に関する相談があるとか――』


 そこでヨシダと会う約束をしていたことを思い出す。すっかり忘れていたが、多脚車両ヴィードルの整備を頼んでいたのだ。


「ヨシダに今から会いに行くと伝えてくれないか」

『承知しました』青年は軽く頭を下げたあと、目の前から消えた。


 妙に座り心地のいいイスから立ち上がると、壁際の棚に向かい、いくつかの予備弾薬を手に取る。旧文明の鋼材で形作られるブロック状の塊は、弾倉というより白銀の鋳塊にも見えた。つぎに飲料水のボトルをいくつか手に取る。ひとたび廃墟の街に出れば、水すら貴重品になる。必要な物資を手にしたあと部屋を出た。


 長い廊下を歩きながら、あれこれとつぎの行動について考える。これから向かう場所は足場が悪く、多脚車両があるのとないのとでは移動の自由に大きな違いが出てくる。探索範囲を広げるためにも、車両の状態は把握しておきたかった。


 ……それにしても、施設が広すぎるというのも何かと不便なものだった。地上に向かうだけでも、それなりの時間を必要とした。


 重い扉を押し開けるようにして教会の外に足を踏み出す。雨が冷たく、風は頬を刺すように感じられた。教会の重厚な扉が背後で重々しく閉まる音が響く。石畳が敷かれた広場が目の前に広がり、雨の所為せいで石の表面が滑らかな光沢を帯びているように見えた。


 その広場は、相変わらず賑わっていて、市場は活気に満ちていた。簡素なテントや屋台が立ち並び、様々な品々が並べられている。食料品、日用品、ジャンク同然の電子機器など、あらゆるものが売られている。そのなかを、ボロをまとった人々が行き交っていて、雨を避けるように足早に買い物をしていた。


 灰色の雲が廃墟の街を覆い、人々の足元に小さな水溜まりを作っている。市場の様子を眺めていると、この場所にも確かな秩序があることが分かる。耳を澄ますと、背景の騒めきのなかに水滴が地面に落ちる音が聞こえてくる。それは独特のリズムを刻んでいて、廃墟に埋もれた都市にいることを忘れさせてくれた。


 その市場の喧騒を背に、職人たちのために用意された区画に向かう。教会の裏手に位置していたが、高い防壁と土嚢が周囲を囲み、各種センサーが侵入者を感知して即座に警報を鳴らす仕組みになっていて、職人たちが安心して作業に没頭できる空間になっていた。


 一見すると無秩序に見えるその区画は、実際には職人たちの手で計算され尽くした配置で構築されている。解体された輸送コンテナが幾重にも重なり、仮設の作業場として再利用されていた。大きな天幕が雨を遮り、錆びついた鉄板や木材が壁の役割を果たしている。物資が限られたこの世界で、何も無駄にしないという精神が徹底されているのが分かる。


 作業場には一通りの設備が揃っていて、職人たちが日々の作業に精を出している。金属の打ち合う音が響き渡り、機械油のニオイが鼻腔を刺激する。半壊した機械人形が整備台の上に横たわり、職人たちの手によって整備されるのを待っている。そこでは、一度失われてしまったモノに生命を吹き込もうとする人間の情熱が感じられた。


 それぞれの職人が、自分の技術を活かしながら荒廃した世界で生き抜くための道具を丁寧に修復している。傭兵が小銃を手に戦うように、職人たちにとってこの場所はただの作業場ではなく、生存をかけた戦いの最前線でもあるのだろう。


 作業風景を見ながら歩を進めると、見慣れた顔が見えてくる。作業所を監督していたヨシダだ。彼の技術と経験は、この辺りでも随一だった。


 ヨシダは職人仲間と何やら真剣な表情で話し込んでいた。彼らの背後には整備を依頼していた多脚車両がとめられている。昆虫めいた車両は、激しい戦場から抜け出してきたかのような荒々しく、それでいてどこか優雅さを感じさせる姿をしていた。


 車体の中心には半球状の複座型コクピットがあり、その左右に三本ずつの脚、そして前方に二本のマニピュレーターを備えている。蜘蛛を模して造られたかのようなデザインからは、威圧感すら感じられる。


「ヨシダ、車両の調子はどうだ?」

「完璧だ、レイの要望通りに仕上げておいたぞ。これならどんな地形でも問題ないはずだ」


 彼の自信に満ちた声が頼もしい。車体を見上げると、その細部にまで手が行き届いていることが分かる。どんな過酷な状況でも、故障せずに動いてくれるだろう。


 ヨシダに感謝したあと、かれに預けていたドローンについて質問する。ヨシダは嫌そうに眉を寄せたあと、溜息をついて見せた。きっとドローンに嫌味を言われたのだろう。

「こっちだ、ついてきてくれ」

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