第795話 診断〈義肢〉


 拡張現実で表示される地図を確認しながら〈販売所〉を出ると、医務室に足を向ける。地下施設で唯一の医療施設は、こぢんまりとした空間になっていたが、必要最低限の設備を備えていて、あらゆる病気や怪我に対処できる場所として設計されているようだ。


 長い廊下を歩くと目的の場所が見えてくる。ドアが開くと、白を基調とした清潔感のある内装が目に飛び込んでくる。調度品や医療機材も、同じく白で統一されていて、無機質さと清潔さが共存しているようだった。小さな空間ながらも照明や医療用ベッド、そして棚に整然と並べられた薬品や器具が所狭しと配置されているのが確認できる。


 私は部屋の中央に置かれた簡易手術台に腰を下ろした。手術台というより、快適性を追求したイスのようにも見えたが、ここでは簡単な手術や処置が迅速に行えるようになっていた。目の前に設置された複数のモニターには、患者の医療記録が表示されるのだろう。過去の傷跡、内臓の状態、そして健康状態など、すべてここで管理できるようだ。


「全身スキャンを開始します」

 女性の合成音声が室内に響くと、手のひらにのせられほどの小さなドローンが飛んでくるのが見えた。


 ドローンの形状は丸みを帯びていて、白い外装の表面は滑らかで金属光沢がある。その白い外装には赤のラインがぐるりと引かれていて、中心には十字の赤いマークが描かれていて、ひと目でメディカルドローンだと分かる工夫が施されている。


 そのドローンは私の周囲をゆっくりと飛び回りながら、微かな音を立てながら全身をスキャンしていく。その光景を見ていると、旧文明の驚異的な医療技術に保護さられているような、奇妙な安心感を覚える。


 扇状に広がる微細な光が肌に当たり、その度に体温や血圧、体内の状態がスキャンされていく。全身が映し出されるモニターには、骨格や内臓の状態がリアルタイムで表示され、どこかに異常があれば即座に診断が下される仕組みになっているようだった。


「スキャン完了。異常なし」と合成音声が告げる。

 モニターを確認すると、複数のエラーが報告されていたが、そもそも〈不死の子供〉を診断することは想定していない設備なので文句は言えない。


 それでもこの場所では、怪我や病気がすぐに治療できるだけでなく、定期的な健康診断も行えるようになっていた。我々のように過酷な環境で生き抜く者にとって、ここは命綱になるような施設だった。


「カグヤ、義足の状態を確認してくれるか?」

『了解、すぐに確認するよ』


 戦闘で失った義足の状態を確認する必要があった。左足に使用されている義足は複雑な機構が組み合わされたメカニカルな外見になっていた。金属のフレームと精密に組み込まれたモーター、そしてセンサーの数々。職人の手作業によって緻密に作られたような義足は、旧文明の技術の結晶……というより、〈ハガネ〉によって形作られていた。


 本物の足と遜色ない機能を持ちながらも、冷たく硬い手触りは、ソレが異物だと強調しているようだった。


 ドローンによって義足の接続部を慎重にスキャンされながら、動作に問題がないか確かめていく。旧文明の高度に発達した再生医療を行えば、自分の遺伝情報を基にしたクローンを作成し、ナノマシンを使い筋肉と神経、それに血管をつなぎ直すことで、もとの状態に戻すこともできた。


 けれど生身の肉体よりも、変化自在に形状を変えられる〈ハガネ〉の義足の方が戦闘では実用的になると考えていた。各種部品を保護するために義足の表面を覆う白い〈人工皮膚リアルスキン〉に手を当てた。冷たく滑らかな感触が指先に伝わる。この人工皮膚は見た目だけでなく、触感や温度感知も本物の皮膚と遜色そんしょくないように作られている。


 義足を保護する白い皮膚は、機械人形の関節部に使用されているような、ただの保護カバーではない。その表面には葉緑素にも似た化学物質が含まれていて、これが酸素と二酸化炭素の利用効率を飛躍的に高める効果があった。通常の皮膚では考えられない機能だったが、宇宙軍の兵士たちに支給される肉体では一般的に使用されていた技術だった。


 この人工皮膚があれば、必要な酸素を効率よく取り込み、二酸化炭素を排出することができる。つまり、長時間の運動や戦闘でも息切れすることなく行動できる。


 さらに、この人工皮膚は光合成によってエネルギーを得ることができる。そのため、太陽の下で活動すれば、つねにエネルギーが補充され、疲労感が軽減される。簡単に補給が得られないような惑星でも、作戦を遂行するために必要な機能だったのだろう。


 そこで、ふと以前出会った〈人造人間スイレン〉のことを思い出す。彼女の手足も白い人工皮膚で覆われていて、ラテックスの黒ビキニを身につけて活動していた。最初は痴女めいた奇抜なファッションに驚いたが、今になって考えれば、あれは光合成の効果を最大限に引き出すためだったのかもしれない。


 素肌を露出することで人工皮膚が太陽の光をより多く吸収し、エネルギーを効率的に生成する狙いがあったのだろう。彼女が戦いで見せた驚異的な体力と回復力は、人造人間に備わる人工皮膚の恩恵だったのだろう。


 人造人間ほどのモノではないにしろ、この白い皮膚は〈皮下装甲〉を備えているので、義足が簡単に破壊されることも防いでくれる。ちなみに、その人工皮膚はすでに〈ハガネ〉に取り込んでいて技術解析が行われていた。だから義足の形状を変化させても皮膚が裂けたり、もとの状態に戻せなくなったりする状況にはならない。


 義足の検査を終えて、各種機能に問題がないことを確認したあと医務室を出た。冷たい空気が頬を撫でると、あらためてこの場所の静寂と清潔さを実感する。拡張現実の地図で次の目的地を確認する。そこには無数のメンテナンス用通路が網の目のように表示されていた。ここから先は迷路のように入り組んだ通路の状態を確認しながら進んでいく。


 小豆色あずきいろに塗装された非常扉を通ってメンテナンス用通路に入り、明るい施設には似つかわしくない薄暗くてホコリが舞う長い通路を歩いた。天井に設置された非常灯が点滅し、壁には古びた警告標識がいくつも貼られている。足音が人気ひとけのない通路に響くたびに、この場所で生活する予定だった人々のことを考えた。


 通路の先にあるのは小規模な生産工場だった。そこでは人々の生活に必要な設備を修理するための道具や素材が製造できるようになっていた。普通に考えれば、荒廃した都市でこのような場所が存在し続けているのは奇跡のようなことだった。


 通路に異常がないか確認しながら歩いていると、しだいに空気が変化していくことに気がつく。金属と油の混じり合った独特なニオイが漂い、工場が近いことを示している。歩を進めるたびに、廊下の先から微かな動作音が聞こえてきた。無人の施設で機械が作業を続ける音だ。


 セキュリティゲートを通って工場に入る。そこでは旧文明の機械が今もなお黙々と稼働している。床には装置の振動や音を吸収するゴムマットが敷かれ、天井には無数の配管が蜘蛛の巣のように張り巡らされている。その中には、〈物体複製装置〉の名で知られた高度な装置の存在も確認できる。


 それは旧文明の高度な技術の結晶と言ってもいいだろう。〈分子合成技術〉を駆使し、エネルギー変換を行うことで、新たな素材を作り出すことができる。


 原料になる旧文明の鋼材は装置の中で一旦エネルギーに変換され、再物質化されることで、新たな素材が生み出される。そのプロセスは複雑極まりなく、装置内部で原料となる物質が見えない力で変化していく様子は奇跡のようだった。


 装置の周囲にはホログラムの警告が表示されていて、〝高エネルギー変換装置〟や〝危険につき無許可操作禁止〟といった文言が確認できるようになっていた。


 驚異的な装置だったが、〈フードディスペンサー〉にも使用されている簡易的な機能しか備えていないため、生成できる物質には制限がある。それでも、拠点での生活を維持するには充分な性能だった。鋼材や基礎的な合成素材、簡易的な機械部品など、拠点に必要不可欠なものを生み出すだけでも、この装置の価値は計り知れない。


 すでにペパーミントたちの手で整備が行われていて、工場は稼働していた。地上で使用される機材や素材の大部分が、この小規模な生産工場で製造されていた。


 防壁やバリケードの強化に必要な素材、住居の修繕や小銃の予備部品まで、すべてがここから供給されていた。この工場は地上で生活する人々の生命線でもあった。もしこの場所が悪意のある者に失われてしまえば、人々の生活基盤は瞬く間に崩れ去る。


「カグヤ、工場は順調に稼働しているか?」

『問題ないみたい。今日も予定通りの生産量を達成できそう』

 拠点の開発が進めば、いずれ機械人形たちの整備も行えるようになる。そうなれば警備も強化され、より安全になり、多くの人間が訪れるようになるだろう。

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