第792話 それぞれの希望


 トゥエルブを連れて中庭に戻ったあと、子どもたちにしがみ付かれていたハクと合流してエントランスに向かう。その間、集落の人々は我々のことを遠目から見ているだけで、とくに敵対するような意志や行動は見せなかった。


 人工知能によって隔絶された生活を強いられていた影響で、余所者よそものに対して関心が持てないのか、それともただ外部の人間を警戒していたのかは最後まで分からなかった。


 集落にいる間、アイは私のとなりに立って無言で人々の生活の様子を観察していた。その小さな共同体には、ありとあらゆる種類の人間がいて、一生懸命に働いて必死に生きているものもいれば、〈廃墟の街〉から運び込まれる薬物に手を染め、無気力で自堕落な生活を送っているものもいる。


 アイがそこで目にするモノの多くは、実際に集落に来なければ見られないものだったのかもしれない。それに対して彼女が何を感じているのかは分からないが、彼女にとって――あるいは〈軍用AI〉に好影響を及ぼしてくれたら、集落に来た意味があったと思えるのかもしれない。


 我々はソヒと子どもたちに見送られるようにして集落をあとにする。そして数日間に及ぶ任務が終わり、〈人工島〉を離れるときがきた。廃墟の街につながる橋に移動しながら、墜落した機体の回収について相談したあと、さらに踏み込んだ話をしてみることにした。


 彼女は宇宙に関心を持っていると話していた。そこに行きたいと望んでいることも。だから彼女のその願いを実現できるかもしれないと告げた。だが、それには彼女の協力が必要不可欠であることも伝えた。人工知能として彼女が持つ知識と能力、そして人間とは異なる考え方や物事の捉え方が、我々の計画にとって大きな助けになると。


 アイは一瞬考えるような素振りを見せたあと、静かにうなずいてみせた。あの美しい微笑みは見られなかったが、彼女が我々の意図を理解して受け入れたことを示していた。


 橋の手前で立ち止まると、アイの綺麗な瞳を見つめた。彼女もまた、無言のまま私を見つめ返していた。それは私の思い違いだったのかもしれないが、彼女の瞳には、わずかな希望の光が宿っているように見えた。そこで短い別れの言葉を口にしたが、いずれまた会えることを願って再会の約束をした。そしてその日が近いことを我々は知っていた。



 それから数日が過ぎた。私はいつものように荒廃した街の中を歩きながら、約束の人物に会うため目的地に向かって移動していた。廃墟が連なる通りには瓦礫がれきが散らばり、無人の建物は無残な姿をさらしている。かつての繁栄を感じさせるものは何もなく、静寂と荒廃に支配された街には、未だ死者たちの影がとり憑いているかのようだった。


 ひび割れたアスファルトからは驚異的な生命力を持つ雑草が繁茂し、風が吹き抜けるたびにゴミが舞い上がり、変わることのない風景に動きを与えていた。しかし、そこに生命の気配はなく、ただ朽ち果てた廃墟が広がるのみだった。時折、建物の壁面にホログラム広告が投影されるが、それは過去の亡霊に過ぎない。


 微かな足音だけが瓦礫の間で反響し、孤独を強く感じさせた。辺りを見渡してみると、崩れた高層建築物の影が不気味に広がり、暗闇に潜む異形の存在をハッキリと感じさせる。けれど恐れることなく前進し続ける。厚い雲の隙間から光が差し込むと、廃墟の街を象徴する摩天楼が煌々と輝くのが見えた。


 やがて目的の場所が近づいてくる。通りの向こうに汚染地帯があるので、〈ハガネ〉のスーツを装着する。周囲に気を配りながら接近すると、約束していた人物の姿が見えてきた。


 しかし厳密に言えば、彼女は人ではなく、大蜘蛛の変異体を思わせる大きな生物だった。瓦礫の向こうから彼女が姿を見せると、背筋に冷たいものが走る。漆黒の体毛に覆われた巨大な身体からは、ゴツゴツした骨のような形状をした脚が伸びていた。その八本の脚は、それぞれが暗い森に浮かび上がる影のように地面をしっかりと捉えている。


 黒い体毛の隙間からは、黒光りする外骨格が見えていた。それは鎧のように堅牢で、全身がこの硬い体表によって保護されていることが分かる。すでに見慣れた姿だったが、やはり恐怖を感じてしまうのは、彼女が絶対的な捕食者だからなのだろう。


 あるいは、その邪悪な気配の所為せいだったのかもしれない。彼女はただそこに立っているだけなのに、周囲の空気が重く冷たくなり、圧倒的な存在感が辺りを支配していく。邪悪で残忍な性質を含んだ漆黒の闇が形を成したような姿は、人々を震え上がらせるのに充分な存在感を放っていた。


 スズメバチにも似た攻撃的で残忍な面影がある頭部を見ていると、彼女が敵ではないと分かっていても身構えてしまう。鋭い牙からはヌルリと毒液が滴り落ちていて、血が凍るような恐怖が全身を駆けめぐる。あるいは、人間が持つ原始的な恐怖に基づく感覚なのかもしれない。


 しかしその恐ろしい姿とは裏腹に、彼女から敵意は感じられなかった。私を見据える生物の大きな眼には、理性と知性が宿っている。彼女は〈深淵の娘〉であり、ハクの姉でもあった。そのヨルに挨拶していると、ハクが何処からともなくやってきて、彼女と楽しそうに会話を始める。


 輸送機で迎えに来てくれるミスズと合流するため、我々は並んで歩くようにして街を移動する。その間、〈人工島〉での一連の騒動について話した。こうしてヨルと並んで歩くことは、どこか非現実的にも感じられたし、それが普通ではないことも理解していた。


 ちなみにヨルとは〈念話〉を使って会話することになる。しかしそれはハクとの会話と異なり、言葉を介するというよりも、気持ちや感情が直接伝わってくるような奇妙な感覚を伴う会話だった。彼女の思考が心に流れ込んでくると同時に、私の感情も彼女に伝わっていく。嘘偽りのない生々しい感情のやりとりになるが、それを不快に感じることはない。


 ハクも〈人工島〉でのスリリングな冒険について大袈裟おおげさに話していて、機械人形や〈生体甲冑〉との戦闘について話したときには、妹を心配する複雑な感情が伝わってきた。


 ヨルも気になることがあれば、積極的に質問を投げかけてくる。ハクとヨルが話を続けている間、私は〈人工島〉での出来事を振り返っていた。そしてアイの心の変化や、それが今後の世界にもたらすかもしれない影響について考えた。


 するとカグヤの声が内耳に聞こえる。

『人工知能が人間と同じように、複雑な感情や人格を手に入れることは不可能だと思っていたの?』


「どうだろう……たしかに動揺しているのかもしれない」と、眉を寄せながら言う。

「これまでも人間のように思考したり、似た価値観を持つ異種族に会ってきたりしたけど、アイから感じたのは、どの種族にもない感覚だったんだ」


 彼女の感情の変化は、決まりきったプログラムの反応ではなく、真の意味での感情の揺らぎであり、それを通じて他者に対する理解を深めていることが感じられた。奇妙な違和感があるのは、人間によって構築されたシステムが進化したからなのかもしれないし、もっと別の理由があるのかもしれない。いずれにせよ、それは興味深い変化だった。


 アイは人間について学び続ける過程で、他者の苦しみや喜びを理解し、その結果として他種族への興味を抱くようになった。彼女が宇宙に関心を持ち、新たな知識と経験を求めていたのは、その感情の変化が根底にあったのだろう。


『それなら――』とカグヤは言う。

『困難な探索だったけど、金塊よりも価値のあるモノを手に入れたのかもしれない』


「たしかに」彼女の言葉にうなずいた。

 カジノホテルでは多くの脅威に直面したが、それ以上に得るものが大きかった。

「今回の出来事を通じて、俺たちは新たな可能性と希望を見つけた」


 それはアイのことだけじゃない。〈人工島〉には手付かずの遺物や旧文明の技術が当時のまま残されている。そして浮遊する島や宇宙港に関する情報も手に入るかもしれない。それらの情報は、宇宙を目指す我々の今後にとって貴重なものになるはずだった。


 ヨルは沈黙したまま話を聞いていたが、その静けさの中から理解と共感が伝わってくる。彼女もまた、この廃墟に埋もれた世界の中で生きる者として、多くの困難と向き合ってきたのだろう。我々は新たな希望を胸に抱きながら、荒廃した街の中を進んでいく。この困難な世界で得た経験と知識が、我々の世界をより良くすると信じて。


 ふと視線を動かすと、高層建築群の間から差し込む夕陽が我々の影を長く引き伸ばしていくのが見えた。


 ヨルの眼が夕陽を反射して輝き、黒く艶のある体毛が燃えるように赤く染まっていく。彼女と共に歩むことで、異なる種族との共存が不可能ではないことを再認識する。人工知能の心の変化や、〈深淵の娘〉との絆、そしてこれまでに出会った者たちのことを思い、すべてがひとつの大きな物語の一部となっていることを実感する。


 ゆっくりと、しかし着実に我々は新たな世界に踏み出そうとしていた。互いに支え合い、理解し合うことで、どんな困難も乗り越えられるという確信を胸に抱いて。この広大な宇宙の中で、我々は取るに足らない小さな存在かもしれない。しかし、その小さな一歩が未来を大きく変える力を持っていると信じていた。


 私はハクのとなりに立って、これからの旅路を思い描いた。どんな未来が待ち受けているのかは分からないが、今はただ、この瞬間を共に過ごすことができる幸せを感じていた。そうして夕陽が完全に沈むころ、我々は約束の地にたどり着くだろう。


 しかしもう暗闇を恐れる必要はない。我々は共に歩むことで、きっと素晴らしい未来を手に入れられるのだから。そう信じて、私は一歩前に踏み出した。



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いつもお読みいただきありがとうございます。

これにて第十六部〈電脳都市〉編は終わりです。

楽しんでいただけましたか?


【いいね】や【感想】がいただけたらとても嬉しいです。

今後の執筆の参考と励みになります。


レイラとカグヤの物語は続きます。

いよいよ戦闘艦の修理に着手することになりますが、

コケアリの女王との謁見や浮遊島など、

まだまだ書かなければいけないエピソードが山積しています。

宇宙までの道のりは遥か遠く、しかし近づいています。

これからも応援よろしくお願いします。

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