第791話 ソクジン


 約束の報酬を手渡すため、ソクジンにつながる人間を見つけなければいけない。この場所なら彼のことを知っている人間、あるいは彼の身内を見つけられるかもしれない。


 死んだ人間のために、わざわざこんなことをする必要はないのかもしれない。しかし彼の情報がなければカジノホテルに侵入することも、金塊を入手することもできなかった。ハッキリ言えば、ソクジンとは仕事仲間にもなれなかった間柄だったが、だからと言って約束をたがえるわけにはいかない。最後まで筋を通す必要がある。


 しかしソクジンについて尋ね回る必要がないことに気づくのに、それほど時間はかからなかった。集落の人々を監視してきた〈軍用AI〉と繋がっているアイは、ソクジンのことだけでなく、〈人工島〉で生活する人々のすべてを把握していた。


 アイは「やれやれ」と、ワザとらしく肩をすくめてみせたあと、無言で目的地まで連れて行ってくれた。ここで生活する住人全員について彼女が知っているという事実は、少し奇妙なことに思えた。ある意味では、彼女は集落の守護者であり、そして同時に絶対的な抑圧者でもあったからだ。


 すれ違う人々の多くが――男女を問わず、彼女の整った顔立ちに魅了され目を奪われる。かれらが彼女の正体に気が付いたら、果たしてどのような反応を示すのだろうか。


 彼女の独善的な支配について不満をぶつけるのだろうか、それとも無償の施しに涙を流して感謝するのだろうか。それは分からないが、ボロ布を身につけた人々のなかに電子センサーやらホロライトが織り込まれた旧文明の衣服を身につけたアイの姿は、ひどく場違いに感じられた。


 中庭を進むにつれ、人々の生活の様子が鮮明に見えてきた。小さな掘っ立て小屋の前には家庭菜園があり、人々が丹念に育てた野菜が並んでいた。ドラム缶で焚き火している人々の話し声や、道端で手仕事をする子どもたちの姿も見える。住人の生活は質素で、人工知能が提供する物資がなければ立ち行かなくなるのは明白だった。


 やがて目的の場所が見えてくる。アイが指差したのは、中庭の隅に並ぶ小屋のひとつで、錆びついたトタンの扉は開け放たれていて、小屋の中から生活音が聞こえてきていた。覗き込んでみると、ボロボロのぬいぐるみで遊んでいる幼い子どもたちの姿と、若い女性の姿が見えた。


 彼女は一瞬こちらに視線を向けて怪訝な表情をみせたが、すぐに手元の作業に戻った。けれどアイに名前を呼ばれると、彼女は驚いた表情で振り返った。


 ソヒの名で呼ばれた女性の表情には、一瞬の驚きと、それに続く困惑が見て取れた。理由は分からなかったが、彼女の目を見ただけで、ソクジンの知り合いだと直感的に分かった。アイの人間離れした容姿と対照的に、彼女の物柔らかな表情からは、たしかに人のぬくもりが感じられた。


 しかしソクジンの名を口にすると、彼女の瞳が潤んでいくのが分かった。彼の死を悟ったのだろう、それ以上の言葉は必要なかった。


 私は彼女の気持ちが落ち着くのを待ちながら、彼女を含め、小屋の様子を観察する。ソヒは大陸出身の血筋を感じさせる風貌をしていて、艶やかな黒髪が陽光を受けて輝き、色白で透き通った肌がその髪の黒さを際立たせていた。太い眉と切れ長の一重が印象的で、驚くほどの美人ではないが素敵な印象を与える女性だった。


 視線を動かすと、薄暗い空間に置かれた粗末な家具が見えた。トタンの壁は所々ひび割れていて、木板が敷き詰められた床には雨漏りの跡が確認できた。天井から垂れ下がる照明は弱々しく、その青白い光が薄暗い部屋全体をぼんやりと照らしていた。


 飲料水や〈国民栄養食〉の空のパッケージが無造作に捨てられていて、ゴミ箱に山積みにされているのが見えた。それらの物資は〈軍用AI〉から提供されているものなのだろう。色鮮やかなパッケージが質素な小屋のなかで異質な存在感を放っている。ここで目に見えているものが、彼女たちの生活のすべてなのかもしれない。


 部屋の隅に置かれた粗末なテーブルには、ジャンク品と思われる電子部品や用途不明の装置が雑然と置かれていた。どれも年季が入っていて、ただのゴミのようにも見えるが、よく見ると種類別に並べられていることが分かる。通信ケーブルや集積回路、壊れた情報端末にメモリーチップ、どれも修理に使用する目的で集められている。


 この小屋は彼女の仕事場でもあるのだろう。ここが彼女の世界の中心だと感じ取れた。おそらく集落の中で故障した機械やデバイスの修理を引き受け、細々と生計を立てているのだろう。彼女の指先は細かい作業で荒れていて、油汚れや小さな傷が確認できた。


 子どもたちの遊び場になっているベッドには、薄汚れた毛布が敷かれていた。そのベッドの横には小さな棚が置かれ、いくつかの個人的な品物が並べられていた。ホログラムフォトフレームからは、無表情のソクジンと笑顔を見せるソヒの姿が映し出されていた。彼女の大切なモノなのだろう。


 ソヒの気持ちが落ち着いたことを確認すると、そっと息をついて、あらためてソクジンが亡くなったことを伝える。彼女は瞼を閉じ、唇を噛み締めるようにして涙をこらえる。彼女の悲しみに沈む瞳と、世界が崩れ去ってしまったかのような表情を見て、ひどく胸が痛んだ。


 そこで真実を話すべきか迷ったが、結局〈軍用AI〉の計画については触れなかった。それを伝えれば、更なる争いの火種になりかねない。身勝手なのかもしれないが、今は彼女をこれ以上悲しませるわけにはいかなかった。


 事情を知らない子どもたちが無邪気に遊ぶ姿を見ていると、ソクジンが世話をしていた孤児だと教えてくれた。仕事で廃墟の街に行ったときに偶然見つけ、放っておけなくなった子どもなのだという。


 子どもたちの無垢な姿を見て、ソクジンの冷酷な一面しか見ていなかったことに気がつく。そして彼にも他者に対する深い思いやりと責任感があったことを知った。あるいは、彼は自分自身のためだけでなく、子どもたちのためにも戦っていたのかもしれない。


 けれど、それ以上踏み込むようなことはしなかった。我々は仕事で一緒になった他人同士でしかなく、互いの人生に深く関わる必要はなかった。それに、この世界では誰も彼もが問題を抱えながら生きている。


 女性や子どもの皮膚を剥ぐのが好きでたまらない残忍な略奪者も、足腰が弱くなった老犬を養うために働く優しい一面があるのかもしれない。でもだからといって、同情することは出来ない。もちろん、これはたとえ話だ。でもこれ以上、他人の不幸を背負う必要はなかった。


 私には私の目的があり、彼にも彼の戦いがあった。それぞれが異なる道を歩むなかで、偶然、互いの道が交差したに過ぎない。……そう思うことにした。


 約束の報酬は電子貨幣クレジットで支払うことになった。彼女の情報端末を受け取ると、カグヤに送金を手伝ってもらう。彼女は我々の様子と、端末の画面に表示される数字をじっと見つめ、不安そうに眉をひそめる。その視線は困惑と疑念に満ちていた。そして当事者であるソクジンが亡くなっているのに、どうして報酬を支払う必要があるのかと質問する。


 どう説明すれば彼女に納得してもらえるのか考えたが、余計なことは言わず、ただ率直に事実だけを話すことにした。ソクジンのおかげで、望んでいたよりも多くのモノが手に入れられたからだと。彼の情報がなければ目的を達成できなかった。そして彼の身内は――我々を襲撃した狙撃手を含め――その恩恵を受けるべきだと感じていたと。


 彼女は納得していない様子だったが、事情を説明すると一瞬だけ穏やかな表情に変わる。この報酬が彼女たちの生活を少しでも楽にすることを願いながら、手続きを完了させた。送金が完了すると、彼女は報酬の額に愕然とするが、深く頭を下げて感謝の言葉を口にした。


「本当はね、ソクジンから欲しかったものなんて、なにひとつなかったんだ」と、彼女は言う。「たとえ彼が何もしなくても、わたしの気持ちは変わることがなかった。それなのに――」


 アイは私のとなりに立って、ソヒが涙を流す様子を静かに見つめていた。その無機質な視線で彼女が何を感じていたのか、私にはうかがい知ることはできない。しかしその冷静な瞳の奥に、何か今までにない微かな変化が生じたような気がした。


 彼女の計画によって命を落としたソクジンにも大切な人がいて、戦う理由があった。それを単なるデータの羅列としてではなく、実際に目にして、その事実を冷徹な論理ではなく、どこか生身の感情をもって理解し始めたのかもしれない。


 人工知能の計画が引き起こした結果と、それに伴う感情の重みを、はじめて実感して受け止めたのかもしれない。そうして機械的な計算では理解できない何かを感じ取ったのだろう。


 それが事実なら、やはりアイはプログラム以上の存在なのだろうと再認識した。彼女は計算と論理に基づく行動だけでなく、人間の感情や彼らが生きる理由も理解し始めているのだ。この変化は、彼女がこれからどのように進化していくのかを示唆しているようにさえ思えた。


 そこに市場を見学していたハクとジュジュが子どもたちを引き連れてやってくる。小屋のなかにいた子どもたちは見たこともない大蜘蛛の姿に興奮して、すぐに小屋を飛び出していく。


 それは奇妙なことだったが、人工島という小さな世界しか知らずに育ち、変異体の恐ろしさを知らない子どもたちはハクとジュジュに怯えることがなかった。


 約束を果たしたあと、この集落のどこかにいるトゥエルブについてソヒに質問した。

「あの奇妙な機械人形のことかな?」


 彼女に案内されながら地下駐車場にある闇市に行くと、商人たちに交じって小銃の実演販売をしていたトゥエルブの姿が見えた。共同体に溶け込む驚異的なコミュニケーション能力は羨ましくもあったが、問題なく動ける状態ならすぐに合流してほしかった。とにかく、トゥエルブに声を掛けて集落をあとにすることにした。

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