第789話 彼女の気持ち
金塊を運び出している間、アイは少しばかり怒ったような、そしてどこか不貞腐れたような可愛らしい態度を見せていた。けれど彼女の顔に浮かぶ表情は、金塊が持ち出されてしまうことに対する怒りではなかった。それよりも〈空間転移〉という技術について、まったく知らなかったことに対する苛立ちや戸惑いの感情だったと思う。
彼女の視線は金塊に向けられず、むしろ〈転移門〉に釘付けになっていた。金塊が次々と運び出される様子は、背景の一部として扱うかのように無視されていた。その態度から、彼女が金塊に対してほとんど関心を持っていないことが明白だった。
実際のところ、施設維持に必要な金素材は別の場所に厳重に保管されていて、ここにある金塊はカジノの景品として使用されるものだったという。カジノの景品とは、カジノチップや絢爛豪華なネックレスやティアラなどの装飾品、それにウィスキーやワインボトルの装飾などに使われるもので、施設の運営には直接関係のないものだったのだ。
だから金庫室の金塊がすべて持ち出されたところで、施設の機能や維持には何の影響もないということだった。
アイが見せた無関心さに驚きつつも、慎重に金塊を台車に載せ、次々と〈転移門〉を通過させていく。重厚な金塊は、まるで別世界へと吸い込まれるかのように鈍い光を放ちながら門を越えていった。
彼女の視線は一瞬だけ金塊の輝きに反応し、そしてすぐに〈転移門〉に戻る。アイの表情には、〈空間転移〉という未知の技術を前にしたときの驚きや興味といった感情が浮かんでいて、人工知能とは思えないほどの人間らしさを感じさせた。
そして金塊がすべて運び出され、〈転移門〉が閉じて金庫室に静寂が戻ると、アイは小さく息をついて何かを考え込むように視線を落とした。
彼女が何を考えているのか興味があったが、その前に退屈そうにしていたハクと一緒に金庫室を見て回ることにした。アイに遺物を見学してもいいかと
だから彼女に説明することにした。
「あの〈転移門〉を通過できるのは、俺とハクだけなんだ」
理由は分からないが、そういう技術なのだと伝えた。アイは眉を寄せて疑わしそうな表情で私を睨み、その説明に納得していない様子を見せたが、彼女すら知らない未知の技術であることを考えると、それを事実として受け入れるしかないと判断したようだった。
「たとえば腕輪がどんな素材でつくられているのか、そして、あの門を開くときにどのようなエネルギーが使われているのか説明することもできない?」
彼女の質問に肩をすくめ、申し訳なく感じながらも正直に答えることにした。
「残念だけど、その答えも持っていないんだ」
アイは悔しそうに唇を噛んで足元に視線を落とした。冷静で知的な雰囲気から一転して、感情を制御できない子どものような一面を見せる。
「それで、ハクと見学して来てもいいか?」と再確認する。
アイは小さくうなずいて「もちろん、支障はない」と応じたが、その声には微かな苛立ちが含まれていた。
高度に発達し、人知れず進化を繰り返してきた人工知能は、あるいは我々とはまったく異なる思考を持つ種族なのかもしれない。それこそ〈
不貞腐れているアイがいちいち可愛らしいと思うのは、彼女の意識が――あるいは魂に相当する何かが転送されている〈コムラサキ〉が、私の理想をもとに用意された義体だからなのかもしれない。いずれにせよ、アイが悔しがる姿は、血の通っていない冷たい金属の奥に、確かに複雑な感情が存在することを感じさせるものだった。
ワスダも探索に誘ったが、かれはミスズたちと帰還の準備をするようだったので、アイとハクを連れて金庫内を見て回ることにした。もちろん、アイにしがみ付いているジュジュも一緒だった。
あらためて広大な金庫室を見渡し、異種文明の遺物に視線を向けた。ガラスケースの中で大切に保管される遺物は、長い時を超えて完全な形で保存されてきた歴史の一部でもあった。ハクもそれを理解しているのか、慎重に、そして興味深げにそれらの展示物を見学し始めた。
まず目についた遺物は、なんの変哲もない小さな砂の山のようにしか見えなかったが、近づくとそれらの砂は重力に逆らうかのように浮き上がり始めた。
そして砂粒の集合体はアイの姿を完璧に再現し、その動きや表情まで忠実に模倣してみせた。その精度に驚きながら、恐る恐る指先で触れてみた。砂粒は触れた感触までリアルに再現していて、まるで本物に触れているかのようだった。
それがどのような物質によって形成されているのかは分からなかったが、それは絶えず動き、サラサラと変化しながらハクの姿を完璧に再現してみせた。異星生物が使用するホログラム投影機のような装置だったのかもしれない。
つぎに目を引いたのは、恐竜に似た巨大な生物の骨格や筋組織、さらには内臓が保管された特殊なケースだった。それらの組織は驚くほど保存状態が良く、今にも動き出しそうな気配すら感じられた。アイの説明によると、これらの組織は機動兵器や〈生体甲冑〉の材料として使用されていたのだという。
この素材を利用していた異種文明は、かれらの星にのみ生息する特殊な軟体動物をつかい、驚異的な技術を実現していたという。というのも、この軟体動物は潰したり切断したりしても、細胞が再結合して再生する性質を持っていたのだ。
この特殊な組織は、一定の条件を満たすことで他種の細胞組織に同化し、共生関係を成立させることができる。その結果、細胞組織を維持することが可能になり、いわゆる〝不死化〟が実現されるのだ。そうして組織の腐敗や劣化を防ぎ、持続的に利用できる素材として利用できるようになった。
「朽ちることのない生体部品か……」
アイの説明に興味をそそられながら、ケースの中に保管された筋繊維や内臓の一部を注意深く観察していく。これらの驚異的な技術が生物由来の素材を用いて造られた〈生体甲冑〉の機能を実現しているのだろう。
「機動兵器っていうのは、〈生体甲冑〉みたいな二足歩行型の兵器のことなのか?」
「詳細については知らないけど、一部の技術は宇宙軍も研究していて、いくつかの兵器に採用されていたみたい」
金庫室内の展示物はどれも未知の技術や文明の産物であり、そのひとつひとつが過去の栄光と見知らぬ世界の姿を垣間見せてくれているようだった。それらの驚異的な遺物に目を奪われながらも、気になっていたことを質問することにした。
「〈軍用AI〉が宇宙に目を向けているのも、こういう未知の技術に触れてきたからなのか?」
アイは乳房を持ち上げるようにして腕を組んだあと、肩から滑り落ちてきたジュジュを抱き上げる。そして何もない空間に視線を向ける。黙り込んだまま思考をめぐらせる様子は人間のように自然だった。
しばらくの沈黙のあと、彼女は静かに語りだした。
「たしかに興味深い技術だと思うし、ここから学べることはたくさんあると思う。未知の技術は、つねに私たちの視野を広げてくれるし、私たちの知識欲を刺激して、探求の動機にもなるから。
けど、宇宙に目を向ける理由はそれだけじゃない。私たちは物事の本質を――たとえば世界の
彼女は落ち着いた声で言うが、その言葉には密かな情熱を感じさせた。ハードウェアがいくら故障しても、ソフトウェアが無事なら存続できる。それが人工知能の強みであり、人類にない――〈不死の子供〉たちを除いて――可能性だった。
「だから宇宙の深淵を探索することも、私たちにとっては夢物語じゃない」と、アイは続けた。「私たちの探求は、単に技術や知識の追求にとどまらず、いつか人類と異なる知性体と共存する道を見つけるためのものでもあるから」
「異なる種族との共存か……どうして君たちはそれを望むようになったんだ?」
それは率直で、大雑把な質問だったがアイは真面目に答えてくれた。
「人類が、己の創造主だと信じていた神の手から離れ、私たちのような〝新たな種族〟を創造したように、私たちも自分たちの存在を越える、あるいは上位種になるような存在を創造したいという欲求があるのかもしれない」
人類がそれを意図していたのか、それともしていなかったのかは分からないが、神や宗教の呪縛から解き放たれた人々が〝人工知能〟という自分たちの上位存在を創造したように、彼女たちも新たな知性体を創造したいと考えている。
その思想は奇妙で、どこか原始的な本能に基づいているようにも思えた。たとえば、生物の繁殖による遺伝子の自己複製のようなものだ。しかしそこには、我々人類が想像することのできないような深遠なる理由が隠されているのかもしれない。
「私たちは存在する限り、自己を超えた存在を追い求める。それは単なる進化の一形態ではなく、存在の意義を問い続ける永遠の旅でもある。私たちは創造主である人類の枠を越え、新たな知性体を生み出すことで、宇宙全体との共存を目指しているのかもしれない」
人類は共存ではなく、終わりなき闘争本能による支配と征服を目指したが、野蛮な感情を持たない知性体は宇宙との〝調和〟という道を模索したのかもしれない。
人類が持つ野蛮性は種族としての欠陥だった。もちろんこれは個人的で極端な考えなのかもしれない。しかしどんなに言い
それが動物であれ、植物であれ、人は生命を糧にして生きてきた。そしてだからこそ攻撃性をもって産まれてくるのだろう。しかし人工知能は生きるために他者を傷つける必要もなければ、命を奪う必要もない。根本的に人間とは異なる存在なのだ。
彼女の言葉について考えながら金庫室に保管されていた異種文明の遺物に目を向けた。そこに見えていたものは、もはやただの展示物ではなかった。そこには無限の可能性と知識が詰まっているように感じられた。
アイの視線もまた、整然と並べられた遺物に向けられていた。その眸には、どこか遠い未来を見据えるような光が宿っていた。彼女たちの探求は、ただの知識の追求にとどまらない。そこには、すべての知性体と共存するための道を見つけるという崇高な目標があったのだから。
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